少年兵“B”④
◆ ◆ ◆
「オホロの森」。
古くから精霊が住まうと言われる土地での、本当に起こったあの出来事。
──この日を境に小競り合いや衝突は起こることがなく、三民族それぞれの指導者同士で和平に向けての合議が行われた。リ=ヤラカ、プトリコに続き、ガヤラザ軍もほどなくして事実上の解体となり、俺は僅かな俸禄だけ手渡されて放り出された。
ミズリルをはじめとする“特殊小隊”……つまり少年兵たち、それから心身に傷を負った者たちは治療やケアを受けることになったらしい。負傷兵のための“保養施設”が主要な町の外れに次々と設置されていった。
俺は簡単なテストの結果“異常なし”と判断されて施設送りにはならなかったが、伝え聞いたところではほとんどのミズリル兵が保養施設に収容されたとのことだった。
会いに行く気にはならなかった。あいつらにとって戦士の象徴である
だから──俺は一人、行き場を無くして彷徨っていた。
一人の時間を過ごす中、ミズリルたちのことを考えた。俺がしてきた選択について考えていた。
俺はただ、子どもたちを死なせたくなかった。
だが、そのために何をさせた?
楽しそうに敵の喉を掻き切っていたジハルドやサラも、最初は泣きながらナイフを振るってはいなかったか。
自分の体よりも大きな銃を抱えてよろめく子どもに無理をさせて「銃が持てないならナイフを」とあてがわなかったか。
(あいつらを“人殺し”にさせたのは俺だ)
町にいると嫌でも“再会”の場面に出くわした。命があることを喜び合う彼ら。それを眺める周囲の目。何か磁場でも狂っているのかという程、言いようのない重さがのしかかってきて、その度に逃げ出した。
逃げても逃げても、その重力は影となり、そして俺が下してきた数多の末期たちに姿を変えていった。やがて幻影に絡め捕られた俺は、もう一つの自分の罪を知る。
自分が手を下すのみならず、“生かしてやりたい”という身勝手な願いから、子どもたちにも手を染めさせてしまった。
(何で俺、生きてんだ……?)
骸の幻影は常に追いかけてきて、少しずつ俺との距離を詰めていった。
俺はあの日に死ぬつもりでいた、だが“オホロの森”は迫りくる業火を消し去った。俺を生かしてしまった。
生き残ってしまった。
そのうち俺は何もできなくなった。
俺が率いたせいで、子どもたちは汚れてしまった。
俺が手を下したせいで、影に落ちた人が増えてしまった。
俺が最初から何もしなければ……超えてきた数々の窮地を指折り数えて、あの時に、あの時にと悔いた。
◆ ◆ ◆
飯を食わなくなって随分経った頃。
強い陽射しから逃れ、路地裏の石壁に背を預けていた俺の前に立った者があった。そいつは薄暗がりにもよく映える白い歯を見せて爽やかに笑った。
「よっ、
なんだよボロ雑巾みてえじゃねえか、と俺を抱き起して日向へ連れ出し、車に乗せられてどこかへと運ばれた。岩だらけの道に揺れる車内に舌を噛みそうになりながら、ラヒムは道すがら話してくれた。
脚の銃創は快復したこと。
病棟にとある御仁が現れ、戦争で培った能力を護衛に活かさないかと打診を受けたこと。
その時不意に、命を救ってくれた敵兵の少年はどうしているかと、よぎったこと。
「保養施設を片っ端から当たってみたが、それらしい奴はいなくてさあ。んでつい最近、町のチンピラから、喧嘩吹っかけても殴り返さねえ少年兵崩れがいるって聞いてさ、もしやと思って来てみれば。奇跡って起こるもんだなあ」
どこか他人事のようにウンウンと頷いたラヒムは、俺に屋根のある場所で清潔なベッドと温かいスープを提供してくれた。手を動かせずにいると笑って「食っていいんだぜ」と言ってくれた。
「……あの後さ」
遠慮がちにスプーンを口に運ぶ俺を眺めながら、遠い声で語り出した。
「一緒になろう、って言ってくれた
そうか、父親になったのか。人ひとりが誰かと出逢って、子どもが一人生まれるほどの月日が流れていたのか。
それだけの期間、俺は屍のまま過ごしていたのだと思い知る。
ラヒムの話はそれで終わりではなかった。どう聞いても喜ばしい近況報告を告げる声色ではなかった。
「赤ん坊の顔見た瞬間さァ……何つーのかね。とんでもねえことしちまったと思ったよ。あの子を抱けるわけねえと思った。こんなロクでもねえ親父を持っちまって……生まれさせちまって、申し訳なくて」
「…………」
「あの
「……うん」
分かるよ。
「俺……、おれなあ」
ラヒムの静かな声が潤んでいく。ベッドの傍の椅子で顔を覆って、絞り出すようにラヒムは言った。
「殺そうとしたんだよ……息子を」
窓の外から、幼い子どもたちがふざけ合う声が場違いに明るく透けて聞こえてきていた。
自分は家族と居られない。そう決断し、出稼ぎと称して家族の下を離れ“御仁”の話に乗ることにしたのだという。
それを分かった上で、俺は彼に礼を言った。誰かの下でなら俺は動ける。誰か、何か……俺の存在を使う誰かが欲しかった。これまでに無駄に積み上げた殺人という経験に、利用価値が欲しかった。
利害の一致というやつだ、そう告げると三十路手前の元敵兵は痛々しく笑んだ。
◆ ◆ ◆
ラヒムに人身警護員採用の取引を持ちかけた“御仁”ことガヴェルは、多忙な身でしばらくガラクトに顔を出せないとのことだった。ラヒムと一緒にその話を受けることにした俺は、ガヴェルを待つ間体力の回復と、これまで受けたことのない
“勉強”だ。
「ちーがうって。そこはBじゃなくてV。あとRは一個でいいの」
「VとBで何が
「いいかベイズ。記号一つ違うだけで戦術が変わってくるだろ。文字も一緒さ、意味が変わっちまうんだよ。下手すりゃ『そんなの朝飯前だぜ』って言いてえところを『俺は青っチョロいどうて』……」
「ラーヒームー。真面目に勉強教えてる奴のセリフじゃねえな」
“取引”を受ける仲間の一人、ルアクが何かを言いかけた男の頭を叩く。元リ=ヤラカ兵のルアク、プトリコ軍出身のラヒム、そしてガヤラザ軍の少年兵の俺と、奇妙極まりない組み合わせで生活していた。
「てっきり読み書きできるモンだと思ってたが。“冷酷非情のベイザム・ミズリル”とは思えねえ話だな」
「何だそのクソ恥ずい二つ名……文字は柄みてえに覚えてたんだよ。すぐ死ぬガキに読み書き教えたって実にならねえだろ」
「うぅわー……耳が痛えわあ」
「虫にでも刺されたか?」
「慣用表現っつーんだよ──何だ、騒がしいな」
にわかに小屋の外がざわめきだした。一時的に身を寄せているこの小屋にはいくつか部屋があって、俺たちのような宿無しの人間が短期間屋根を借りる場所となっていた。だから人の出入りは激しいのだが、この気配は新参者という雰囲気ではない。
ほどなくして、この部屋のドアが乱暴に開け放たれた。
「“ベイザム=ミズリル”だな」
肯定か否定かも待たず、顔面にこぶしが飛んできた。
椅子から吹き飛んで壁に背を打ちつけた。殴ってきた男は唾を吐いて言い捨てた。
「ハッ。不意打ちでも受け身取りやがった、さすがだなあ!」
「おい! いきなり押し掛けて何しやが……」
「ラヒム待て、抑えろ。そいつ治安局員だ。ちょっとでも小突いてみやがれ、ナントカ妨害で即座に現行犯逮捕だぜ」
鼻に溜まった血を噴き出し、治安局員を困惑して見上げる。依然ギラギラと殺気を放つ局員は、彼の後から続いて入ってきた局員から何かを受け取って俺の鼻先に突きつけてきた。
書類。顔写真付きの。
「コイツぁ手配書だ。何が書いてあるか分かるか?」
「いや……」
「そうか。じゃあお前、読み上げてみろ。ガキの教育ンなるぜ」
ラヒムが言われるままに紙を受け取り、戸惑いながらも音読する。
「……『ラザロ郊外の保養施設で集団殺人』……『内部で起こった殺戮、下手人は』……嘘だろ、そんな」
「最後まで読み上げてやれ」
浅黒い肌ながら、唇から色が消え失せた。
「……『下手人は少年兵団“ミズリル”か』」
頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。
ガヤラザ民の主要な町ラザロ、その郊外に設置された保養施設で、療養中の元兵士らが殺害される事件が起こった。病室には累々と死体が無造作に放りおかれ、談話室は血の海に沈んだ。
死亡者数は数え切られていない。
が、“負傷”に留まった者は誰一人としていなかった。
──文字通り
中にはミズリルの死体も数名分確認されたらしいが、収容されていたミズリルのうち四名──ジハルド、イール、サラ、リダの四名が、監視カメラに向かって中指を突き立てている映像が残されていた。
更に壁には血文字で「大いなる力を手に、我らは戦神の元へ再び集う」と。
死体が見つかっていない者もいる。名を挙げた四名はもちろんのこと、他にも元ミズリル兵が一名、プトリコとリ=ヤラカの少年兵もそれぞれ数名、行方知れずのままである。
壁に残されたメッセージから、特殊小隊ミズリルの指導者ベイザムも容疑者候補に挙げられた。ミズリルはあの戦争で一番
そんなはずはない、事件発生当時はたしかに自分たちと共にいたと、ラヒムとルアクは必死に説明してくれた。それをどこか遠く聞きながら、俺は倦んだ何かが全身に満ちていくのを感じていた。
あいつらは、戻れないところまできてしまっていたのだ。
俺が……そうしてしまった。
「──殺さねえと」
ポツリ、そう溢すと、部屋に血が滴ったかのように静まり返った。
自然と漏れ出たその言葉は俺の腹にすとんと落ちた。ああ、俺がやらなければならないのは、これだ。
「殺してやる。あいつらは俺が、殺してやんねえと」
雑然とした部屋に明るい陽射しが差し込んで、影をより色濃く彩っていた。雨の少ないガラクト地方はその日も恨めしいほどに晴れていた。
俺が、自分の道を決意した日。
□ □ □
「──アリバイがあるってンで、“ベイザム”の分は指名手配取り消しになった。でもあの一件で“ベイザム”の名前は余計に強くなっちまってな。
空が白んできている。ラヒムの足元には既にひとケース分の煙草の吸殻が転がっているが、尚も新しい一本に火を点けて苦そうに煙を吐くのを、誰も止めなかった。
“ラザロ郊外保養施設事件”は結局、捜査しても何も解決が望めないまま「紛争の果てに歪んでしまった少年兵の異常事件」として片が付けられた。
三民族の間で和平締結が間近だったことも影響していたらしい。だから争いの火種をもみ消すべく、“ミズリル”たちにすべてをなすりつける結果となってしまった。
救いどころのない話だ。
その首領だった少年“ベイザム”の心境は如何ばかりか。
「ガナンやローズ……ウチのオペレーターのことな、あいつらがミズリルのことをいち早く教えなかったのも分かる。けどベイズが『ミズリルを殺してやる』ってのも、俺ァ分かるんだ」
ラヒムは黒っぽい前髪をくしゃりと言わせて項垂れた。
影の落ちた顔は苦悩で満ちていた。
「だけどな、これが真っ当な道じゃねえってのもまた、分かっちまうんだよ。だからあいつを“ベイザム”に戻したくなくて……年若い君たちの護衛につくなら“ベイ”と名乗れって言ったんだ」
「本当の名前の方が語感が柔らかいから」──その理由の裏に、
一方で、「殺すのを躊躇うことがあれば背を押してくれ」という友人の約束を破れず──。
静けさを費やすうち、また煙草が灰に変わった。新しい一本を取り出してライターを擦るも、火花が散るだけで火が点かない。
「どうぞ」
見かねて俺が手のひらに小さく炎を灯すと、ビクリと武骨な肩が震えて強張った。
「あ……悪かった。ビビるこたァなかった」
「いや……俺の方こそ」
恐るおそる、炎の先に煙草が近づけられ、火が点くや否やラヒムは身を引いた。火を恐れているのではないことは誰の目にも明らかだった。
「そんなに似てるか。“オホロ”と」
「似てるなんてもんじゃねえ。
違う、恐怖とも少し異なるそれは、畏れだ。畏怖の中に確かな高揚と狂気が秘められているのだ。
その目を見つめていると、フッと傭兵は苦笑いした。
「そうだよ。あの森に俺たちは魅せられちまった。……ミズリルの子たちも、ルアクも、イザベラも、無論俺も……例外なく“ベイザム”も」
なあ、と哀願するように声が掠れた。
煙草を指に挟んだままの両手で顔を覆った。
「オホロの精霊は──
砂の混ざった夜明け前の風が、ケープの裾を揺らした。
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