ブレイク・アウト⑤

「ッ──!」



 炎が激しく襲い掛かってくる。

 壁があるおかげで丸焼きは免れたが、体の芯は冷え切っていた。



 嘘だ。

 誰か嘘だと言ってくれ。

 どうか嘘であってほしかったのに。



「どうだベイザム……美しいだろう」



 頭を抱えても、耳を塞いでも、蕩けたような声は俺の中に入り込んでくる。何より背中に伝わる熱せられた石の感触が、これが現実であることを知らせていた。

 更に、俺の中のキースの力が囁く。



 と。



『ベイズ。指名手配中のミズリルの残党全員を確認した。……ベイズ?』



 インカム越しのラヒムの声が怪訝そうに呼びかける。ベイは戸惑いを隠しきれない様子で、曖昧な返事を返してきた。その間もジハルドの裏返った笑いが響き渡っていた。




 息を吸う──。


 ──そして吐く。




 頭をフル回転させて状況整理を始める。

 理由は不明だが、“ベイザム”と“ミズリル”は対立関係にある。しかし一方的なものなのか、ジハルドからはベイに対して敵意を感じない。それどころか何かに勧誘している節さえ窺える。その一方で、ラヒムとイザベラは特にミズリルと深い関わりはないようだ。

 俺を狙っているミズリルは、全員がそうかはまだ不明だが、俺と似た能力を持っていることが今判明した。彼らの狙いにイコも含まれるのかどうかはわからないが……。



(……これでハッキリした)



 目を閉じる。自分の立ち位置が分かった今、やることは一つ。

 カチリ、と頭の隅で音がした。




 俺は俺の為すべきことを




 壁にピッタリ身を寄せて、改めて辺りを探る。壁を越えた先ではラヒムが廃屋の外壁を盾にして隠れている。ベイの姿が見えないが、俺のいるところから見えない位置にいると先程言っていた。

 インカムに声を潜めて呼びかけた。



「ベイ、ラヒム。集まって話そう、目くらましをかけられるか」

『出来ねえってこたァねえが……どうした大将』

「頼んだ。ラヒムのところへ行く」



 訝りながらもラヒムは爆弾を前方に放り投げ、爆発音と砂嵐で動きやすくしてくれた。その隙に壁を飛び越えてラヒムの隣に屈み込む。



「作戦会議をしよう」



 ベイが来るのを待ってから、俺はそう切り出した。イコとイザベラも状況が飲み込めるようにインカムはオンのままだ。



「その前に。ベイ、簡潔に訊くから必要なことだけ答えろ。お前はあいつらと知り合いだな」

「……ああ」



 ベイの目が昏い何かを宿したが、構わず質問を続ける。



「まだ感覚の域を出んが、敵は全員能力を持っている気配が濃い。それは昔からのことか?」

「いや……いいや。俺らと同じ、フツーの人間だったはずだ。つーかお前──」

「そんな顔をせずとも俺は正気だ。では最後……お前、あの四人を皆殺しにするつもりだな」



 目の昏さが深みを増した。

 それが何よりの答えだった。



「口挟んで悪いが少年、まさか“殺すな”なんて言わねえよな」

「云うさ。生け捕りにするよう頼もうかと」

「残念ながらそりゃ不可能だ。よりによってミズリルだぞ? 殺さず捕まえるなんてな、圧倒的な戦力があっても五分五分がいいとこ……」



 表情を変えない俺を見て、ラヒムの声が尻すぼみになった。そして焦燥が声に乗る。



「おい……正気じゃねえ、ガラクトで力は使わねえようにって再三再四忠告したってのに!」

「ミズリルとやらが単に襲撃してくるだけならば勿論そうするつもりだった。だが事情が変わった。……奴らが何処いずこで能力を手に入れたか、本当にエイモス社が背後におるのか、つまびらかにせねば」




 ──本当は感情が爆発しそうだった。


 ことの次第によっては、俺が逃げ続けてきた意味が……キース族が三百有余年も隠れ続けてきた努力と犠牲が、すべて水泡に帰すのだ。

 八年前に捕まって色々と調べられた段階で、既に“普通の人間に能力を付す”ことが可能になっていたのだとしたら。そして、その過程で何人も犠牲にしていたのだとしたら。



(キース族はこれを恐れていたというのに。ずっと……三百年以上も)



 そんなことを考えるとはらわたが捩れそうで、必死に感情を押し殺しているのだ。悔やむのは後で存分に悔やめばいい、その前にキースとしてやるべきことを為すのが最優先。手のひらに爪を食い込ませてそう自分に言い聞かせる。

 冷静であれ。俺はキース族。



「銃での対抗では、良くて拮抗だ。最悪なら全滅。だがここに俺の能力が加わればどうだ? 生け捕りも叶わぬ話でもなかろう」

「……少年。落ち着け。こんな事態だ、先走るのも分かる。だが他に手はあるはずだ。つーかその前に君は護衛対象、俺らの後ろにいて貰わねえと俺らが困る。君に何かあったら……」

「俺の護衛はガラクトを抜けた後も続く。その時に肝心のに死んで貰っては困る。何より時間がない、そろそろ奴らが痺れを切らす頃だ」



 ジハルドと仲間が言い合う声が風に乗ってここまで届いている。撃つか撃たないか、“ベイザム”を説得するか否か、そういったことで揉めているようだ。

 その会話を静かに聞いていたベイが、不意に銃を持ち換えた。狙撃用のものから連射式銃へと。そしてベストのポケットをまさぐって、呼びかけてきた。



「ナダ」



 ベイの顔が見えない。こちらに背を向けている。



「戦おうとか考えんな。奴らは盗賊でも破落戸ゴロツキでもねえ、だ。俺の言ってることが分かるか?」

「ベイズが正しい。大将は後ろでドカッと──」

「違えラヒム。そうじゃなくてだ」



 バサリと何か布のようなものが降ってきた。手に取って広げるとカーキ色のケープだった。首を傾げた俺をベイが振り返って、ニヤリと笑った。



「隠密は得意だろ?」

「ベイズ! 護衛対象だぞ!」

「このバカにじっとしてろなんて無理なんだよラヒム。そもそもこっちの頭数が少ねえ、使えるもんは何でも使う。キースの力もだ」



 俺から目を逸らして射撃の準備を始めるベイは、どこか吹っ切れたように見えた。

 ……別人とも言えるほどに。



「緊急事態だからな。いいかナダ、甘い考えは一切捨てろ。殺す気でいかなきゃ死体になるのはお前だぞ。俺は優しくねえから、誰かさんを火葬してやる気はねえんだ」



 ベイに胸の中央を指で突かれて、俺は苦笑いした。



「手厳しいな」

「当たり前だろ。そら、いい加減腹ァ括れラヒム、じゃねえとガキに遅れ取ることになるぜ」

「……さいですか。ハハ……いいのかなそんなこと言っちまって。おじさん本気出しちゃうよ~、俺のかわいいボムたちがハジケちまうよ~、結構値段したけど奮発しちゃうよ~。ハハハ」



 変なスイッチが入ってしまったのか、ラヒムから爽やかさが消えた。ラヒムはこう見えて爆弾魔なんだ、とベイがこっそり耳打ちしてきた。そんな節はこれまでにも確かにあった。お目にかかりたくはなかったが。

 渡されたケープを羽織り、靴と靴下を脱いでラヒムに預けた。不可解な顔をされたが、瓦礫の上を渡るにはむしろ靴は邪魔になる。「山育ちだから」と言うとそれ以上の追及はされなかった。



「奴らがどこまで能力を使えるのかも見たい。しばらくはつもりだ。努々ゆめゆめ、爆破になど巻き込んでくれるなよ」

「はーい。善処しまーッす」

「……なあ、ベイ」



 ケープのフードを目深に被り、背後のスタンバイ中の傭兵に小声で呼びかける。



「結局、ここに至るまで何も明かさなかったな」

「…………」

「この地で俺一人が特別扱いだ。理由も語らぬまま事が終わるなどと思うなよ。何よりお前自身が『話す』と云った、約束は守れ」

「……始める。行け」



 ベイの一声に飛び出し、廃墟に隠れて隙を見ながら裸足のまま前進していった。

 冷たい汗がこめかみをずっと流れていた。銃への恐怖からではなかった。



 ──ベイは今、“ベイザム”に戻っているのではないか?



(杞憂ならば良い。ベイが行動に移る前に、早く事を済まそう)



 ポケットに入っている種を握りしめて、長く深く息を吐いた。






 俺は今、地を覆う緑。

 俺は今、砂を吹かす風。

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