ブレイク・アウト③

『……悪かった。僕の落ち度だ。こればかりは済まない……本当に済まない』



 瓦礫だらけの廃屋に通信の声が落ちる。

 太陽が西の地平線にその身を沈めていた。反対側の空からは既に夜が侵食してきている。まだ星は見えない。

 影の濃い手元を、俺の熾した焚き火がゆらゆらと照らす。皆の沈んだ表情を通信機の声が晴らすことはない。ベイの野太い声が、常以上の低音を揺らした。



「謝られても仕方ねえ。そっちで掴んでるネタを吐け。すべてだ」

『包み隠さずね、もちろんだ。ボスからガラクト入りの話が出た頃、実は一つ気になる噂を掴んだ。“ミズリルがエイモス社に飼われている”という噂だ。出所も曖昧だし根拠もなかったものだから、君たちに伝えるかどうか渋って……』

「渋ったのは別の理由だろガナン。俺が途中で任務を投げ出すとでも? とことん人を信用しねえ奴だなてめえは」



 ベイは声を荒げることなく淡々としていた。風が止んだ夜のように静かな、空恐ろしささえ感じさせるような声だった。



「エイモス社がキース族誘拐や一連の襲撃に関わってんじゃねえか、って情報はこっちでも聞いてた。ある伝手からな。ミズリルがどこぞに匿われてたのも知ってる。だがその二つがまだ関連付けられてるわけじゃねえ──」

「ベイ、そのことなんだけど、ちょっといいかな」



 イコが手を挙げて割り込んだ。おどけている様子はない。ベイの横目がイコを捉えて発言を促した。



「一つ目。おっちゃんが爆破した車はエイモス社グループの自動車メーカーです。ちゃんと細部まで確認したわけじゃないけど、あれはたぶん最新のオフロード仕様のものだね。わたしの車よりも馬力が出るタイプ、しかもこの土地に合った車だよ」

「さすが自動車専攻」

「ありがとナダ。二つ目、あの人たちの中にイモのお兄さんがいました」



 イモのお兄さん?

 ベイとラヒム、それから通信機のガナンの声がユニゾンを奏でた。しかし俺とイザベラはピンときた。



「この前市場で落とした芋を拾ってくれたんだ……あの男が? ってちょっと待て、まさか」



 俺が気づくより先にイザベラが動いていた。芋の入った紙袋を漁って程なく、悔しそうに顔を歪めて何かを手に戻ってきた。赤く点滅するボタンのようなものだ。



「発信機。くそッ、あの男やっぱりのしとけばよかった!」



 歯ぎしりと同時に発信機は握りつぶされて、埃っぽい床に破片を増やした。イザベラは力なく項垂れた。



「……ごめんベイズ、あたしも顔は知ってたはずなのに」

「仕方ねえ。十年も経ってる、パッと見て気付けって方が無理だ」

「あー、悪いけど整理していいか? ついて行けなくなってきたので」



 手を挙げた。気まずいが、俺一人だけ状況を飲み込めていないのはよくない。



「エイモス社は俺を追ってる線が濃い。そのエイモス社の車にイモのお兄さんが乗っていた。つまりイモのお兄さんたちは俺を捕まえようとしている新たな刺客。んで? イモのお兄さんはエイモス、じゃなくてミズ……あれ、イモ……?」



 イモがゲシュタルト崩壊を起こして混乱してしまった。

 見かねたイコが棒切れで地面に下向きの三角形を描いてくれた。下の頂点には「ナダ」、左上に「エイモス」右上には「イモ」と書かれた。



「エイモス社はナダを追ってる。お兄さんたちはエイモスとグル。そしてこのお兄さんはミズリルです」



 右上の頂点の名前が「イモ=ミズリル」になった。

 わかりやすい勢力図だ。しかしまだ解せないことがある。



「“ミズリル”の名前はどこから出てきたんだ? 初めて聞く名前なんだけど。それとも俺が聞き逃してただけか?」

「ミズリルは」



 ラヒムが久しぶりに声を発した。紙ケースから片手で器用に煙草を一本出して口に咥えた。手に小さく火を灯して差し出すと、顔を近づけて巻いた紙の先に火が移るのを待った。



「……ミズリルってのは、真ん中の州・ガヤラザ軍が抱えていた特殊小隊だ」



 人のいない方へ向けて煙を吐き、そう言った。



「構成員のほとんどは、親が死んだ子供、親家族とはぐれた子供、戦力にと攫われてきた子供、暴力の結果に生まれた望まれない子供……大っぴらに少年兵なんて言わずに“特殊”って名前で呼んだものさ。どこの勢力もな。昼間の連中はその成れの果て……紛争を生き残っちまった憐れな亡霊」



 遠くを見るような目に焚き火が映る。指に挟めた煙草から灰が落ちる。



「特にミズリルは強力な少年兵団だった。捨て身だが無駄がなく、子供って立場を上手く使った戦闘方法、他の少年兵たちになかった組織的な統率力。敵にとっちゃ厄介で仕方がなかったよ、実際えげつねえ戦い方しやがる。そんな奴らが大人になって俺らの前に現れた」



 “イモのお兄さん”こと市場の男を思い出す。あの軽い身のこなしは戦場で得たものだったのか。

 そんな男たちが俺を狙っている──全力で。



『申し訳ないけど、君たちにはこのままガラクトを通ってもらうしかない。今内部の裏切りを洗い出して叩きにかかっているところなんだ。巻き込んでナダとイコを失うわけにもいかない。後発隊がガラクト入りした報告が来たから、戦力的には援助があるけど……やっぱりほとんどは三人で何とかしてもらうことになる』

「ここまで来ちまったもんなあ。しょうがねえわ、でもおじさん酷使するお礼は後でたっぷり頂きますからね」



 ラヒムは笑って見せたが、すっかり日の落ちた廃墟は明るい空気に変わらなかった。


 通信を切って、イザベラは辺りの警戒に、ラヒムは装備のチェックに、イコは車の点検に取り掛かった。誰もが重い沈黙を守っていた。

 俺も夕飯の支度を始めよう。一番暇そうなベイに声をかけた。



「ベイ。手ェ空いてるなら芋剥いてくれ。五個ぐらい」

「……わかった」



 夕飯のスープと塩漬け肉の調理に取り掛かった俺は、ふとあることが気になった。

 “ベイ”と“ミズリル”がまだ繋がらない。エバンズの森でベイが師匠から何か伝えられていたが、ミズリルのことを探ってもらっていたのだろうか。



(でも何故だ?)



 ラヒムは口ぶりからして紛争に兵士として参加している。十年と少し前と言っていたが、彼の年頃も兵士として妥当だ。

 だがベイは? 三十路くらいだというベイは、紛争当時十代そこそこだろう。



(……まさか、少年兵……?)



 そこまで考えが及んだ時、ちょうど強い風が吹いて焚き火を揺らした。



「あいたッ」

「どうした」

「風で目に砂入った……痛ェ、ゴロゴロする」



 火の傍を離れて目を瞬かせていると、少し離れた壁に何かが貼られているのが目についた。何となく近づいて、手で剥がれかけの貼り紙をのばしてみる……ポスター? いや違う、これは──。



(手配書だ。十年ぐらい前のものか)



 顔写真が五枚と、それぞれに名前。




◆◆◆

  ラザロ郊外保養施設襲撃犯につき指名手配中

  DEAD OR ALIVE -生死問わず-

  この顔に ピンときたら 治安局


 ►ジハルド

  (元・ガヤラザ解放軍 特殊小隊ミズリル所属兵)

 ►イール

  (同上)

 ►サラディーン

  (同上)

 ►リダ

  (同上)

  ……


◆◆◆




 五人目のところは紙が破れていたが、ギリギリ写真の一部と名前が残っていた。

 しかしこの人物だけ、写真の上に“証拠不十分のため手配取り消し”と色褪せた朱で印が押されている。



「…………」



 インクの薄れた名前を白い指でなぞった。

 先程のラヒムの沈んだ声が蘇る。



「紛争を生き残っちまった憐れな亡霊」──。






 “ベイザム”。


 元ミズリル所属兵。






 唇の上だけで声を留めて呟く。

 野ざらしの手配書は色褪せていたが、写真から昏い目で睨んでくる少年は間違いなく、今後ろで芋の皮剥きをしている男と同一人物だ。


 特に驚きはしなかった。今の今に予想していたことの証拠が現れただけだから。

 だが不可解さがより深まった。イモ……この写真から推測するに“ジハルド”は仲間だった男だ。ならば何故ベイは先ほど、殺気の混ざった視線を彼らに投げかけていたのだろう?



「ナダ、鍋ン中沸騰してるぞ」

「やべ」



 慌ててスープ鍋を火からおろしながら、本人が訳を話す日は来るんだろうかと考えていた。そして、自分はどこまで線引きをすればいいのだろうと、まだゴロゴロする目をこすりながら考えていた。







  + + +






 その頃、ガラクト地方西域“リ=ヤラカ州”。

 西の外れは荒れ地ではなく、豊かな緑が大地を覆っている。しかしどういうわけか人里は少なく、荒れ野に差し掛かる辺りにようやく小さな村があった。

 その村で二人の旅人が宿を頼み、夜を明かそうとしていた。



「久々の屋根だ。ねえ、アドラー」



 少女に男が呼び掛ける。少女アドラーは短剣の手入れをしていた。先日商人から買ったもう一本の短剣の具合を確かめている。



「なるほど、質が良い。これならば蔓草など容易たやすく断てよう」

「……頼もしい限りだ」



 機嫌のいいアドラーに男は苦笑いした。ベッドに腰を下ろした男は、カーテンを閉め切った窓を見やって溜息を吐いた。



「しかし予想以上の地だな。もし“オホロ”が中心なら、影響は研究班の推定よりも遥かに大きいということ……本当ならオホロももう暫く調査したいところだが……」

「噂が気にかかるね。『オホロの森に立ち入るなかれ、さなくば精霊が汝を許さず』……現地の古くからの言い伝えならば無下にもできぬ。どうするエリック? 私はあなたに従おう」



 ──エリックはニコリと笑って白い髪を掻き上げた。

 色の薄い瞳が、白い睫毛に縁取られた瞼の向こうに隠れた。



「ナダの捜索を優先しよう。精霊とやらを相手に取るよりずっと確実だ」

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