労働者の権利②
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ホテルでの生活はとても快適だった。
清潔で適温に保たれた空気、体を柔らかく跳ね返すベッド、清潔なバスルームに豊富なアメニティ。設備も充実している上、最新の新聞や雑誌も読める。
そしてなんと、テレビがついている!
「テレビだ。テレビ。イコちょっと点けてみてくれよ──うわあすげえ、ホントに画面の中で人が喋ってる、言い伝えは本当だったのか」
「大袈裟だな。テレビ見るの初めて?」
「ああ。でもこれってアレだろ、絶対エステトンが仕込まれてるタイプの機械だろ。俺触れねえなあ……残念」
「そう落ち込むなって。チャンネル変えたげるからさ……わーお、せくすぃーな美女。この下着どうなってんの? ちょっと着てみたい」
「やめてくれ。俺泣くよ」
テレビは一部家庭には普及しているようだが、ワイユにはなかった。高級家電なのだ。
そもそもあったところで俺は操作できない。能力の由来となる“ベルゲニウム”という物質が
市井で出回っている一般的な通信機器もほとんどアウトだが、俺が持っている通信機は桐生が拵えた特別製のものなので、何とかやっていけている。これを壊してしまえば後がない。大切に使おうと思う。
ベイが新聞を片手に部屋に戻ってきた。呆れた顔をしている。
「たかがテレビでどんだけはしゃいでんだ。原始人じゃあるめえし」
「おいおいベイー。考えてみなよ、ナダだぜナダ。半分野生児なんだからさ、ちょっとぐらいはしゃがせてやろうじゃないの」
「たしかにそりゃそうだ」
「納得すんな。人を野生児呼ばわりして。新聞、何か目ぼしい記事あるか?」
ストライキ決行中の護衛役はとうとうソファーに座って新聞を広げる姿が様になってきている。イコと並ぶと休日のお父さんにしか見えない。本人曰く「三十路くらい」とのことだが、ちょっとそこらの三十代の貫録ではないと思う。
「ローカル新聞ならガラクトの情勢も少しは入ってくると思ったんだが……記事は至って平和だな。せいぜい『スリに気をつけろ』ぐらいだ。奥地のことは現地に行かねえと分からねえんだろう」
「そうか……ああヒマだな。ここじゃ黙ってても食いもんも出てくるし、掃除もやってくれるし、ベイとの手合わせは近所迷惑になりそうだし、本当にやることねえな」
「あ、ねえねえナダ、あれやってよ。水人形」
イコの前で両手を広げ、水の球を二つ手のひらの上に浮かべた。そして少し力を籠めて水球の形を変えていく。
「あはは、かわいい。ねえこれって難しいの?」
「いや、そうでも。子どもが水を操る練習をする時にやれるくらいには。まずは決められた大きさに球を作って、安定するようになってきたらいろんな形を作るんだ。こうやって人形遊びとかもするよ」
二体の水人形にダンスを踊らせて見せる。手足が動く度ぱちゃぱちゃと音が上がる。かわいい。イコが指で人形を突いたのに合わせて人形に身震いさせると、イコは楽しそうに笑った。
クルリ、と人形がターンを決めた時だった。
部屋に来訪を告げるベルが鳴った。立ち上がりかけた俺とイコに身を隠すよう指示し、ベイはピストルを手に様子を窺いに行った。
「誰だ? ……ラヒム!? お前どうしてここに……まあいい、入れ。おいお前ら、出て来ていいぞ」
ソファーの影から頭を出すと、ベイと同じ肌の色をした男がいた。年は四十ほどだろうが、Tシャツのシワが隆々とした体躯を物語っている。皮のショルダーホルスターに収まる銃の重々しい雰囲気とは裏腹に、男は白い歯を見せて朗らかに笑っている。
「やあ、こうして会うのは初めてだな。ラヒムだ、よろしく」
「ナダだ。よろしく、らひ……ラき、えっと? 悪い、もう一回……」
「
「どーもこんちは」
ベイとは違い、穏やかでよく笑う人だ。白い歯が眩しい。
「ベイズも。久しぶりだな、“リーズバーグ”の町での逃走援護作戦、あの時以来か?」
「そうだな」
「『ベイズ』……?」
聞き慣れない呼び方に俺とイコが首を傾げると、ラヒムはやはり笑って言った。
「俺らの間じゃ“ベイズ”って呼び名なのさ」
「へえ。本名じゃなかったんだ」
「無戸籍だからな。本名も何もねえ、名乗った名前が俺の名だ」
「かっけえ。じゃあ“ナダ”は本名なの?」
「……ああ、まあ」
「おやァ? 曖昧な返事ですなあ、もしや“ニコラ”が本名……」
「それは生まれてすぐ死んじまった姉さんの名前」
空気がにわかにピシリと音を立てた。
視線が一気に集まって、急に居心地が悪くなった。
「え、あれ、言ってなかったっけ? 俺、三番目の子なの」
「うっそお」
「ほんとホント。一人目は流産、二人目は死産。俺もギリギリだったって。まあこの話は別に重要じゃねえだろ、とにかくラ……、ラヒムが来た理由を聞こうぜ」
「あ……ゴホン。そうだったそうだった」
話があると言いながら一番呆けていたラヒムが我に返った。軽く咳払いをして、話を始めた。
「ボスが交渉材料を持ってきたんだ。“オホロ”は百歩譲るとしても、ラザロの町は避けて通れない、だから傍に置く人員を増やす──これでどうかってな。ベイズさえオーケー出せば、このまま俺と、それから後からイザベラも合流する手はずだ。加えて前衛・後衛チームも人を増やすことになってる」
「あとは俺だけって……ラヒム、お前呑んだのか? この要求を」
「俺とお前とイザベラの三人も居りゃ鉄壁の護りさ。何が来たって切り崩せなんかしねえよ。まあ、ラザロに関しちゃベイズが一番思うところがあるだろうって言うんで、最終決定権はお前にある。お前が決めてくれ」
会話を聞くに、“オホロ”よりも“ラザロ”の方がまだ安全というか、ベイの中での優先順位は低めであるらしい。だがそれでもベイは一つ返事とはいかなかった。先日イコが言っていた紛争の話、あれと関連があるのだろう。
俺はその話に首を突っ込んでもいいのだろうか。紛争とやらには関係ないが、俺がこれから行く地であり……
……いやちょっと待て。
ベイは“俺”を連れて行くことを渋っているのではなかったか?
(イコは行っても“ガソリン”にならない……ガソリンになるのは俺?)
ベイはガナンとの通信で言っていた。
俺が能力を暴走させてしまえばマズいと。
(何故だ? キースの能力と紛争、関係はないはずだが)
もしキース族が……否、ベルゲニウムの
ここは静観が最善だ。そもそも俺は自分の脳みそを信用できない。俺の思い違いかもしれないし、キース族がこんなカラッと乾いた暑い地域にいた記録もない。引っ掛かることは胸の内に留めておいたまま、今は黙って旅の進路のことに集中しよう。
「……わかった。オホロに近寄らねえならそれでいい」
俺が一通りの思考を終えたと同時、ベイも山草を生で噛み潰したような顔ながら結論を出した。
「だがラザロ滞在は必要最低限だ。とにかく安全性重視、それにかかる費用は度外視する。全額会社で持ってもらうぞ、
「ううむ……」
「それから、少しでも危険だと判断したら撤退する。元々現場の判断で動いていいってことになってるからな。後でネチネチ言われるのも面倒だ、この条件でなら俺は動く」
「なるほど。たしかにそういう勘はお前が一番鋭い、それはガナンもボスも分かってる。きっと呑んでくれるはずだ。金に関しては……俺の交渉術の見せ所ってところかな」
未だ顔の晴れないベイを気遣うように、ラヒムはポンポンとその肩を叩いた。そして置いてけぼりになっている俺とイコに向かって爽やかな笑顔を見せてきた。
「振り回しちまってすまねえな。むさいおじさんも増えるけど、今回はちゃんとレディもついてくるから。安心していいぞ」
「“イザベラさん”だっけ。その人もガラクトの人?」
「おう。きっとお嬢ちゃんも仲よくなれるよ」
そっと胸を撫で下ろす。この男ばかりの道中でイコに申し訳なく思っていたところでもあった。一人でも女の人がいるのなら、イコも少しは安心できるだろう。
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