第40話 征服のための出立
その日の太陽が四十五度の角度になると、第二船軍の五十の兵士たち以外が、壊れた門の前に集まり始めた。
ニニギは、占領した地域に一軍団を残して次の土地を征服しに行くっていうプランみたいだ。上陸した村に第一船軍、ここに第二船軍。おれはどの船軍? この体に聞いてみよう。
誰にも邪魔されないように、ニニギを警護するかのように、高床式建物の床下で片膝をついた。
目を閉じ、心の奥深くに分け入っていく。
おれは第二船にいた。やっぱ、おれが目、なんだ。大空と大洋の狭間、船がうねる波に上下している。気持ちが悪くなって目を開いた。固い地面に安心する。
ここの次は北東へ去って行くと言った。北東は高原地帯だよな。
ヒカルは溜まった熱を追い出したくて、麻でできた貫頭衣の首の周りと両脇を引っ張った。
これからもっと暑い季節かぁっ。高原、いいなぁ。
てきぱきと男たちが整列する音が聞こえる。
一人が床下のヒカルを手招きした。「あのケモノを使って猟をせよとのお達しだ」数メートル先にある檻を指さす。
「扱えるか? 物凄い凶暴だぞ」手を見せた。血が出ている。「大人しくしてるから、ちょっと、触ってみようと思ったんだ、隙間から。毛が綺麗だろ? あんな獰猛なのに罠にかかったからアホかも。猟、無理じゃね?」
ヒカルは近づいて膝をつき、ミカン色の瞳を覗いた。
ケモノが白い体を格子に押し付け、黒い鼻先をヒカルに寄せて来た。
「鼻が黒いからハナクロって呼ぶぞ」
格子の一本を上に引き抜く。
上がりきる前の僅かな隙間をすり抜けてハナクロが出てきた。ヒカルの体に尻尾と体側を当てながら二周する。
「お前には懐くんだな」噛みつかれた男が後ずさりしながら言った。
号令が聞こえ、ニニギがいる伽藍の正面が開かれた。
現れたニニギが持っているもの、あぁ、お姉ちゃん、鏡だ!
支配者は両手に持つそれを高く掲げた。太陽の光を反射して輝く。長い両腕をゆっくり回し、反射した太陽光を東から西に移動させた。占領者も被占領者も皆、その光の軌跡を追いかけ視線を動かす。
「天におわす我の親である!」
良く通る言葉に兵士たちは片膝をつき頭を垂れた。
通訳者は相変わらず郷里の言葉のまま、「親」を「母」と訳して宣言した。彼なりに誠実を尽くしている。
太陽神の息子は階段を降り、近衛兵が持つ神の長槍の一つを水平にさせた。
その刃先にはすでに細工が凝らしてある。近衛兵がうやうやしく鏡をはめ込み、革ひもで固定した。
ニニギがコノハナサクヤヒメと共に大きな黒馬に乗ると、近衛兵が素早くその槍を差し出す。
受け取ったニニギは先頭に出る。
太陽神の家系に取り込まれたその島女の母親が、孫娘を胸に括り付けたまま、別の馬に乗った。
その島女、コノハナサクヤヒメが振り返り、赤ん坊を見詰める。
隊列は動き始めた。
お姉ちゃん! 死ぬわけがない! 探しに行く、待ってろよ! あの赤ちゃん、まだ平和だったときに生まれた赤ちゃん、が、おれらのご先祖さま? 鏡もどうしよう? でも、あいつから取り戻すなんて、おれにできるわけないよぉ。でも、やらんと。その前にお姉ちゃん探さんと。
出立する隊列を見送りながらヒカルはため息をついた。
お姉ちゃん、神代記だと、この後、ニニギのひ孫が東征を思い立って、宇佐を経由して
そこで三人のお姫様のために彼女らを女神として神社を建てるだろ?
それから歴史は人代記にはいる。やっぱ、歴史換えるなんてさぁ、おれ、ヒーローってガラじゃないし。
でも、やらんと。
ヒカルは食料や水を背負わされた子供たちが気になって凝視した。
兵士たちに両脇を挟まれ、三十人は超えている。その歩みは当然、遅い。あの子供たちはどうなる?
おれがなんとかするはず、マイ使命、なんてはずないよな? インポッシブル、絶対、無理。
んん、あの鏡を取り戻したらこの子たちは母さんとこに帰れるんか?
ニニギの隊列が、かすむほど遠くに去ると、残った新しい支配者はさっそく態度を変え、横柄な若者を副司令官にした。
「ろくでもねぇ」ささやきがあちこちで漏れた。「いくら息子だからって」
最高権力者になった親子に対し、残された第二船軍の元歩兵四十八人の目に、暗い炎がともった。
内輪もめが起きそうだ。
ヒカルは目だけ動かし一人一人の表情を伺った。
おれが目、なんだから、報告しなきゃなんない? 間者が来たら、報告するってこと?
いつ、来るんだ? わかんないことばっかし。
コノハナサクヤヒメが戻って呪術でここを治めるのはいつ? 戦闘になったらこの体の父親はいないし、おれの身が危ない、お姉ちゃん、どうしよう?
壊れた門の外、一本、残った、不思議な若いイチョウが目に入った。その向こう、美しかった田が戦闘で潰れている。ケモノとトリが骨をかじる音が今でも聞こえる。
ああ、ウチに帰りたい。水に頭まで浸かりさえすれば。
しかし田に水を引くための水路さえ、跡形もない。
水を引くために、いったいどれだけの苦労が必要だったんだろう。元々、全身が浸かるような深さじゃなかったけど。
この大地に溝を掘り、水が浸み込まないように粘土と小石を敷き詰め、嵐が通り過ぎ去るたびに補修し続けてきたんだ。
敗者は歴史に残らない、略奪者が勝者だ。
おれ、民主主義の時代に生まれてよかった。
平等や人権ってものを広めてくれた人たち、アリガト。あたりまえじゃないんだな。
ジョン・ロック、モンテスキュー、ルソー、感謝するよ。高校受験で無理やり、覚えた名前だけど。
基本的人権、三権分立、国民主権、まだ覚えてるおれはスゲえ。
このときの革命や戦争での、名前のない何千人も、何万人もの命と辛苦の上に、自由にモノが言える二十一世紀があるってことだ。
まてよ、民主主義の反対が、独裁。じゃあ、原始的な集落って、何なんだろう?
おれの経験じゃ、ほとんど親戚集団だったな。小さな集団が、密林に、海に、崖に遮られ、お互いに見えないところで生きている。
親戚間の人間関係は、周囲の地形や植栽、水の場所とか次第だった。
でも、稲作が普及すると一律化するんだ。畑作より、稲作の方が、集団の団結がもっともっと必要だもんで。
きゅうりとかの野菜作ったり、ヤギとかの家畜を飼ったりするのは趣味でもできる。
でも、大量の水をどっかから引いたり、維持したりは趣味じゃぁできん。
集団の団結は強い。より強い集団が為した光景が目の前に広がる。
肉片が散乱する、弱肉強食の悲惨な光景は目に入れないようにしながら遠くを見ても、どこにも水は無さそうだ。
「でも、アンタにはできやんことやないと思うよ」急に大学の友達の三重弁が再び、蘇った。
ニニギを追いかけるのは恋愛より簡単な気がする。
そうだ、ハナクロと一緒に猟に出かけるって言おう。
不平を漏らす新しい住人の間で小競り合いが始まっていた。
ハナクロは地面に散るイチョウの枝や葉を集めた。ヒカルはよくわからないまま、それらをまとめて懐に入れた。
多分、何かに使うんだ。
それからネコはヒカルの目を何度も見ながら、勝手に歩こうとする。
「どこかにおれを連れて行きたい?」何となく、声をかけてみた。
ニャア。
「え、今、返事した?」
ニャア。
オレンジの瞳を覗き込む。
「お前も、人工知能のロボット? タイムトラベル、してきた?」
ニャ。
「返事が違う。でも、会話はできるんだね。じゃ、セキセインコの友達? 翼が生えて空を飛べたりする?」
集落の周りの骨を、鳥獣が奪い合いしたらしく、それらの敗者も転がる。大きな獣さえ噛み千切られ横たわる。
ネコが急に緊張する。一番、遠くの亡骸を見詰めている。
ヒカルも視線を合わせる。
骨が山のようになったあたりに、獣が転がっている。
クマか?
ハナクロと共に用心しながら近づいてみると、人間だった。まだ、完全な形。死んでるのか?
十数メートル離れて、ハナクロが臭いをかぐ。
その気配が、死体の目を開かせた。
ヒカルは凍り付く。ハナクロがヒカルの前に出て盾になる。
開いた視線はまずネコを射、次に村を観、そして前衛舞踏のように起き上がるとヒカルを捉えた。
「あなたは」ヒカルが口を開く。
「案の定だな。コノハナサクヤヒメは戻されるであろう」
「今はどこに?」
「北よりわずか東の方角へ。出立された後、全ての水の流れという流れが、沸く岩に替わっているのをご覧になりました」
「沸く岩? 溶岩?」
「コノハナサクヤヒメは仰いました、イチョウが切り倒され、怒っている、と」
ヒカルは懐の枝や葉を押さえた。
間者はヒカルから詳細を聞くと、疾風のように去った。
ハナクロがヒカルの腰をつついて、行くべき方向を示す。
しばらく走ると溶岩の流れに当たった。
ネコがヒカルの懐から勝手にイチョウの枝を出し、溶岩の上に投げた。溶岩が見る見るうちに水に代わる。水は溶岩を遡り、樹々の向こうに見えなくなった。
ハナクロが上流に向かい遠吠えをする。ヒカルはネコが遠吠えをするのを初めて聞いた。
すると、微かに、人間の声が帰って来る。
お姉ちゃん!
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