第29話 リザーバー・ポート

「ヒカル、その記憶もあるん? なんで? あのころ、アタシ、めったに高校行けんかったけど、行けた日には楽しかった。クラスの子たちと笑ったこと、今でもはっきり覚えてる。みんなと同じように掃除できんかっただけが、心が、苦しい」

「掃除なんか、みんなやりたくないから、いいじゃん。思い出した、お姉ちゃん、両手に松葉杖だった。しょうがないって、みんなわかる」


 ヒカルは本心、掃除をさぼる同級生にムカッときていた。でも、足が悪けりゃ、ちゃんとした理由だ。


「だから嫌なんじゃん」姉は本当に悲しそうになった。

「その気持ちわかるけど」ヒカルは姉のために話題を変えようと思った。「また、三千前にチャレンジするつもりなんだよね?」


「うん、実は再チャレンジ、もう、した。でも時代がもっとずれた」

「うっそ」


「有名人にあったよ」姉の表情が晴れた。

「誰」


「ナガスネ族の女首長」笑顔になった。

「ナンだよそれ?」


「ど強い。日本を征服しにきた農耕民族に抵抗した先住民!」背筋をピンと伸ばした。

「知ってるよ、おれだって。ナンだよってってのは、有名人じゃないってこと」


「ま、一般的にはね。でもヒカルには有名人でしょ、古事記に出てくるから。モンゴロイドの容姿じゃない。Y染色体ハプログループD1bなの。ハプログループOが弥生人」

「よくわからんけど、今はどこを向いても弥生人ばっかりだな。コメのチカラはすげぇ」


「縄文人が消されていく過程は壮絶だった」

「消される? お姉ちゃんが受動態使うのはへんだろ。おれたちが加害者だ、勝者だ。で、お姉ちゃん、さっき言った、一回目の三千年前、どんな人と結婚したん?」


「アタシは豊玉姫として、ヤマサチと楽しく暮らした。竜宮城で」

「タイムトラベルって、観光旅行みたいに見るだけじゃないん? その人物になるってこと? どうやって? それに、竜宮城のおんなって、サメじゃね?」


「その人物になるんだよ。サメになったのは赤ちゃん産んだ時だけ。あたし子供いるんだよ! 正体ばれたから一緒に暮らせなかったけど。っていうか、現代に戻ったんだけど。その赤ちゃんがアマツヒコ」

「アマツヒコは神武天皇のパパだから、お姉ちゃんは九州を出て西日本を征服した人のおばあちゃんかぁ!」


「ヒカル、こういう分野、強いよね、小学生んときから。アタシは二十一世紀に戻ったから、その孫の活躍は直接、見てないんだけどね。まあ、離れてしまえば何もわからない時代だけど。ネット動画もテレビもカメラもないから」

「おれだってエラいもんね! で、また、挑戦するつもり?」


「オフコース」

「おれも連れてってよお」ヒカルは勝手に目の前の清潔なベッドに横になって二歳児のように膝を曲げ、両足裏をバタバタさせた。「絶対、役に立つから! ずえってぇ!」


「ヒカルぅ! 言い出したらきかない、二歳から。ベッドがさ、これしかない。ま、そのリクライニングチェア使えば点滴できるか。キリンは実はもっとあるんだ。連れて行ってあげよう! しっかり、働いてよ!」

「まじぃ? やりぃ! お姉ちゃん大好き!」小学生の時以来の姉だから、姉に対する自分の精神状態が小学生のまま止まっているような気がした。物心ついた時から、とにかくこの姉といれば何でも大丈夫。


「でも、すぐ点滴は無理。これ見て」左腕の袖を肩までめくった。「ここ、触って」


 ヒカルがそっと三本の指の腹をあてると、皮膚の下に直径三センチほどの固い丸いものがあった。


「リザーバー・ポート。リザーブする港、って言ってね、ここから心臓まで、静脈の中をカテーテルが入ってる。薬を一瞬で心臓に直接届けて、心臓のポンプ機能が十秒でこの薬を全身に届ける」

「誰がそのポート、付けるん?」


「アタシのはセキセインコの妖精が付けてくれた」そう言って妖精を見ながら姉はまた固まっている。何考えてんだろ、指を十本広げたまま。

「どこで? どうやって?」


「奥に手術室がある。今日、取り付けたら、カテーテルが心臓に届いてるかCTで確認して、腕の傷を十二時間様子見て、そのあと薬を点滴する。体が消えてなくなったら、そのあとの点滴の針はここに残る。リザーバー・ポートは特殊なたんぱく質で作ったから体と一緒に消える」

「ここにCTあるぅ? すげえ。手術、痛そう!」


「部分麻酔ね。そのあとに痛みには痛み止めあげる。でも止めとけば? リスクは絶対ゼロにはならない」

「やるよ、絶対! おれ、生きてる、って感じがしてきた!」


「役に立ってよ、ホントに」

「卑弥呼の時代?」


「ノー、ノー、卑弥呼は紀元後やろ、アンタ得意分野やん」

「古代と言えば反射で卑弥呼」


「卑弥呼はAD三世紀でしょ。ヒカルとアタシが行くのは紀元前。秦の始皇帝よりずっとずっと前に行くんだよ。抗がん剤の調剤、ほとんど完成してるから二十八時間後には点滴できる。ターゲットの人間は女の人だけど、ヒカルの遺伝子配列はアタシと似てるから、調剤の変更は最終段階のほんの少し」

「おれ、女になるん? ホントならアレクサンダー大王かチンギスハンがいいんだけど。ギルガメッシュも! あと、南米もいいなあ! 誰でもドコでもいいから連れて行ってくれ!」


「目的があるの! 鏡を奪う! それに、ここに戻るために水を手に入れ易い場所じゃないと。砂漠を横切ったアレクサンダー大王とか大草原のチンギスハンじゃぁねぇ。ギルガメッシュの時代に森林伐採が広がったみたいだしね。そりゃあ、砂漠化するよねぇ。文明の代償は大きい。鬼に金棒、ってさ、人類に鉄の精錬技術、じゃない?」

「お姉ちゃんがおれに点滴するってことは」鬼とか、話を横にそらせないでくれ!「おれが先に行くってこと? お姉ちゃんもすぐ後で絶対、来て。すぐ、だよ」



 

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