第3話 旧友

 翌日の昼休み。俺は図書室でひとり調べ物をしていた。初音のタイムスリップについてだ。初音がタイムトラベラーだと決まったわけではないが可能性は充分ある。

 この学校では、およそ八百人の生徒がいながら、図書室に来る生徒は非常に少ない。図書委員や司書を含めても一日で十人ほど。ネットが普及して読書離れが増えているという話はよく聞くけど、それが顕著けんちょに表れている。

 とは言っても、静かなこの空間は嫌いじゃない。それを邪魔するかのように、旧友の明石あかし優也ゆうやが俺のもとまで来た。


「よお蒼太。相変わらずぼっちだな」


 白い歯を見せながら優也はそう言った。彼とは中学からの仲になる。俺と違ってコミュニケーション能力が高く、他のクラスの生徒や上級生と気兼ねなく会話している場面を何度も見てきた。

 

「俺はひとりの方が人に気を遣わないで済むから楽なんだ」

「完全に陰キャじゃん。にしてもまた難しそうな本読んでんな」


 優也は言って、俺が読んでいた本を取り上げる。


「おい返せ。まだ読み切ってないんだよ」

「自分の本じゃないのに何が返せだ。……相対性理論? 何、お前アインシュタインにでもなんの?」


 なるつもりはないが、アインシュタイン並みの頭脳は欲しい。


「時間の遅れについて調べてたんだ」


 優也は「何それ」と言って本を元の場所に戻す。


「言葉だけで説明するのは難しいだけど……ざっくり言うと、そうだな。例えば俺が超高速で移動するロケットに乗っていて、優也が地上で待機しているとする」

「ほう。それで?」

「仮に地上で一時間が経ったとき、ロケット内では何時間経ったと思う?」

「そりゃ一時間だろ」

「いいや。ロケット内ではまだ一時間経ってない。ロケットの速度が速くなるほどロケット内の時間の流れは遅くなるんだ」

「そんなことありえんの?」

「特殊相対性理論に従うとそれがありえる。まあ実際の時間差は一秒もないだろうから実感はできないと思う」


 意図的に時間差を広げようとしても、かなりのスピードが必要になる。たった一秒遅くするだけでも音速の数百倍で飛行しないと厳しい。


「特殊相対性理論って相対性理論と何がちげぇの?」

「違うというか、相対性理論は特殊と一般の二つ合わせた総称」

「詳しいな」

「俺が知ってるのは概要だけ」 

 

 厳密に理解するには用語や数式は避けられない。俺は免疫あるけど数学嫌いは発狂するかもな。


「それより、優也が図書室に来るとか珍しいな。普段本読まねぇだろ」

「まあな。周りの男子がウザかったから教室出た」

「何かされたのか?」

「何もされてはないけど、なんでか女子と喋ってるときに忌々いまいましく見てくるっつーか。とにかく鬱陶しいんだよ」

嫉妬しっとしてんだろ」


 優也は友人が多いだけでなく、女子から絶大な指示を受けている。優也は客観的に見てイケメンだし、体も筋肉質なので女子からすれば理想なのだろう。それゆえ、優也をねたむ男子も少なからずいる。


「嫉妬するぐらいならモテる努力しろよな。顔はともかくして体は鍛えりゃどうにでもなるだろ」

「俺に言われても……その通りだけどな」


 確かに顔は整形しない限り変えることはできない。体格は限界はあれど運動や筋トレで変えることはできる。それでモテるはどうかは知らないが……。

 

「悪い。思い出すとつい愚痴りたくなるんだよ」

「モテる奴は大変だな」

他人事ひとごとみたいに言いやがって……」


 実際他人事だしなぁ。俺にできることは何もない。


「まあ、最初は嬉しかったよ。女子に注目されて悪い気はしなかったし、友達も増えたからよかったと思ってる」 

「それは自慢か?」

「そういうわけじゃねぇけど……でも、だんだん男子からの視線が冷たくなってさ。別に危害を加えたわけでもないのに敵視されるとか理不尽だと思うんだよ」

「お前に嫉妬する奴は自分が他人に認めてもらえないことが不満なんだろ。要はただの八つ当たりだ」


 俺がそう言うと優也は顎に手を当てて「なるほどな」と呟く。


「だったらめっちゃ性質たち悪いな」

「アドバイスになるかはわかんねぇけど、『ああ、こいつ妬むことしかできないんだ可哀想』とでも思っとけば少しは気が楽になると思うぞ」

「……お前、意外と毒舌だな」

「そうか?」

 

 多少毒はあったかもしれないが毒舌というほどではないだろう。


「やっと見つけた。こんなとこにいたんだ」


 優也の背後から凛とした声が聞こえた。クラスは違うが一年の入学式で新入生代表だったから名前は知っている。佐藤さとう若菜わかなだ。


「誰かと思ったら若菜か。びっくりするだろ」

「びっくりしているようには見えないけど」

「わ~。びっくりした」


 わざとらしいリアクションに、佐藤は呆れたようにため息をついた。


「で、何の用だ? 俺はこいつと話してる途中なんだけど」

「みんなが『優也を連れて来て』ってうるさいの。悪いけど戻ってきてくれない?」 

「はいはいわかったよ。そういうことだから戻るわ。まあ、ひとりで頑張れ」


 ありがたみのないエールを送って優也は図書室を出ていく。彼女は優也がいなくなったのを確認すると俺に視線を向けてきた。


「……俺に何か」

「優也が図書室で話してるの初めて見たから……あなたが優也を呼んだの?」

「違う。あいつが勝手に来たんだ。男子の視線が鬱陶しくて教室出たんだとよ」

「男子の視線?……ああそういうこと」


 今ので全部わかったのか……この人エスパー?


「優也を毛嫌いする男子は結構いるからね。あなたは違うみたいだけど」

「マジで嫌いだったら俺はここに進学してない」

「へぇ、優也と同じ中学なんだ」


 佐藤の瞳孔がわずかに大きくなった。余計なことを言ってしまったかもしれない……。


「同じ中学つっても一緒に遊んだことないし、めちゃくちゃ仲が良いってわけじゃねぇぞ。俺は家から近かったからここ選んだだけで……それより優也達と合流しなくていいのか?」

「……そうだね。あなたの邪魔したら悪いし」


 彼女は無言で踵を返し、図書室を後にした。なんだったんだ一体……。

 頭を使ったせいか眠気がしてきた。椅子の背にもたれて足を伸ばす。と、足元に何かが当たった。足元を確認するとヘアピンが落ちている。もしかして佐藤の物だろうか。

 案の定、彼女はすぐ図書室に戻ってきた。不安そうな表情で周りに視線を巡らせる。目が合うと、俺の持っているヘアピンに気付いた。

 

「これ、床に落ちてた。……盗ってないからな」

「言わなくてもわかってる」


 彼女は苦笑してヘアピンを受け取り、訊いてきた。


「そうそう訊き忘れてた。あなた名前は? 私の名前は入学式に出席してたならもう知ってるよね」


 俺は首肯して彼女のフルネームを口にした。そこでふと、昨日のことを思い出した。


「高尾蒼太……別に覚えなくてもいいぞ」

「ふふ、何それ」


 女子の前で自己紹介するの……これで二日連続だな。

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