第2話 決断

「……話をまとめると、初音ちゃんは花魁の名代を務めていて、お客が帰った後に急に眠気がした。で、そのまま座敷で寝てしまった」

「はい」

「そして目が覚めたら蒼太の部屋にいた……これで合ってる?」

「合ってます」


 初音は表情に落ち着きがなく、緊張しているのは明らかだった。口調もいつの間にか敬語になっている。

 母さんはリビングに入ってすぐ俺の胸倉を掴み、初音について訊いてきた。ごまかしても無駄なので俺は素直に話した。初音が俺のベッドで眠っていたこと。本人もなぜ家にいるのかわからないこと。彼女が江戸の吉原遊郭に住んでいる(らしい)こと。

 最後に関してはさすがの母さんもあきれていた。ならば初音本人に訊いて確かめればいい、ということになり今に至る。


「初音ちゃんが名代を務めることは多いの?」

「はい。姉さんは馴染みが多いので」

「そう。……初音ちゃんのほかに振振は?」

「いません。姉さんについている振振は私だけです」


 俺はテーブルから少し離れた場所で二人の会話を聞いていた。「ふりしん」がなんらかの役職を指しているのはわかるがあとはさっぱりだ。それにしても、母さんやけに詳しいな。どんだけ吉原遊郭に精通してんだ。


「ありがとう。事情はだいたいわかった」


 ちょっと着替えてくるから待ってて、と言って母さんは一旦リビングを離れた。姿が見えなくなったところで初音はテーブルに突っ伏す。微妙ににぶい音がしたが大丈夫だろうか。


「……母さんには廓言葉使わないんだな」

実里みのりさんは気が張るんです」

 

 年上でも名前呼びは貫くのか。あ、俺がいるから名前じゃないと区別できねぇから当然か。母さんが自己紹介したときは「実里様」なんて呼んで苦笑いされていたが。

 初音は顔を上げると髷を整えて大きく息を吐いた。少し疲れが見える。ふと、初音は俺に視線を向ける。


「……なんだ?」

「私が今、見ているものが夢ではないような気がするんです」

「お前が見ているのは夢じゃない。現実だ」

「げんじつ? 蒼太さんはたまに難しい言葉使いますね」


 どちらかというと簡単な方だと思うが……俺と初音では語彙にズレがある。一応会話はできてるけど。

 

「夢でないなら、ここはどこなんですか。見世にいたのは確かなんです」


 初音の言っていることはおそらく本当だろう。だが、その見世が現時点で存在しているかは別問題だ。

 俺は手元にあったスマホで見世の名前とそれに関連しそうなキーワードを打ち込み検索した。いくつかのサイトを閲覧えつらんしてみたが初音の言った見世の情報は何一つ得られなかった。ついでに「江戸町一丁目」で検索すると、さっきと比べてかなりの情報が出てきた。


 吉原遊郭の唯一の出入り口は大門おおもんと呼ばれ、入って中央には仲ノ町と呼ばれる通りがあったらしい。そして江戸町一丁目は大門から入って右手。その先に揚屋町、京町一丁目と続いた。左手には大門から近い順に江戸町二丁目、すみ町、京町二丁目。

 初音に確認を取ると「伏見町と堺町がありません」と指摘された。吉原遊郭は思っていたより奥が深い。


「蒼太さんは本当ほんに変わったものを持ってますね。それ、なんていうんですか?」


 こいつならめっちゃ初期の携帯でも同じこと言いそう。

 

「これはスマートフォンだ。いろんなこと調べられるし、どこにいても連絡……話ができる。相手もスマートフォン持ってないと話できないけど」

「どこにいても話が……じゃあ、見世の誰かがそれを持っていれば、姉さんや禿たちは見世にいながら、ここにいる私と話ができるってことですね」

「それは無理だと思う」 


 仮に見世の人間がスマホを持っていたとしても、さすがに時代を超えて連絡を取るのは無理だろう。できるのはSFの世界だけ。


 母さんは着替えから戻ってきたかと思ったら初音を手招きする。俺は「そこで待っておくように」と指示された。母さんの意図がよくわからない。やることがないので俺は椅子に座り、ぼっちの味方であるスマホでネットサーフィンをすることにした。自分でも何を言っているのかわからん。

 少し経って母さんがリビングに戻ってきた。初音の姿がない。

 

「初音は?」

「あたしの部屋で待機してもらってる。吉原の知識がどれだけあるかテストしてみたんだけどすぐ返してきたわ」

「テストって……さっきから思ってたけどなんでそんなに詳しいんだよ」

「幼い頃に街のイベントで花魁道中があったのよ。両親と一緒に行ったんだけど、もう夢中になって見てたわ。それがきっかけで吉原に興味を持ったってわけ」

「なるほど」


 俺は見たことないけど、母さんが夢中になるほどだから相当魅力的だったのだろう。

 

「それはともかく今は初音ちゃんね。演技してる感じはなかったけど、あんたはどう思う? 私が帰ってくるまで話してたんでしょ?」

「ああ。俺もあれはマジだと思う。演技だったらバケモン」


 母さんは「そうね」と言って苦笑した。


「で、ひとつ訊きたいの。あんた理系よね」 


 文系だけど、と言ったらどう返してくるだろう。


「言いたいことはだいたいわかってる。タイムスリップが可能かどうかだろ」

「ご明察」


 何がご明察だ……まあ、初音と会話していてそのことは何度か思った。過去のタイムスリップはタイムパラドックスの問題があるから難易度はかなり高い。未来の場合は時間の流れが絶対的ではなく、相対的であることを利用すれば理論的にはできる。ただ、技術的には一秒後の未来に行くだけでも難しい。彼女が本当に吉原遊郭に住んでいたとするなら、二百年ぐらいの差はある。そうなると理論だけではどうにもならない。


「……不可能じゃないけど、確率的にはかなり低い」

「でも、ゼロではない」

「一応な」

 

 つーか、一介の高校生に答えを求められても困る。


「あの子がタイムトラベラーかどうかはこの際置いとくとして、居候させるとなると金銭的負担が大きくなるのがネックね」


 初音の居候は決定事項なのか。まあそれしかないよな。警察に連れて行ったら初音は間違いなく困惑する。施設に預けるのも現時点では無理だろう。


「あんたがバイトすれば多少はマシになると思うけど、確か禁止されてるんだっけ」

「校則では」


 禁止されていると言っても結局は建前だ。こっそりバイトしている生徒はざらにいる。


「バレて呼び出されても面倒だし、あんたは勉強に集中しときなさい」


 俺は無言で頷いた。


「それに、あんたまでバイトしたら初音ちゃんは一日のほとんどをひとりで過ごすことになる。それはできるだけ避けたい」


 ごもっともな意見だが初音は今、母さんの部屋でひとりでは? それはいいのか。そんなことを思っていると、母さんは腰に手を当てて言った。

 

「とりあえず、初音ちゃんと話し合ってみましょうか」

 

 そう言って、母さんは再びリビングを離れた。忙しい人だな。しかし今日は現実味のないことが起きすぎた。母さんの帰りが早かったのは意外だったが、一番はやはり初音の存在だ。

 俺の失態でどこかに侵入経路を作ってしまったと仮定しても、おかしな点はいくつもある。まず遊女の格好で他人の家に侵入してくる奴は、常識的に考えていない。あのでかい髷は嫌でも目立つ。

 しかも物を盗るどころか人のベッドで眠るなんて常軌を逸している。「私を捕まえてください」と言ってるようなものだ。


 タイムスリップ説はどう考えるべきだろう。初音のいた見世が実は浦島太郎に登場する竜宮城のようなものであった……は荒唐無稽こうとうむけいすぎるか。「ウラシマ効果」とか言うけど。

 仮説はいくらでも思いつくが所詮は妄想だ。あの小さな名探偵でもこの謎を解くのは難しいかもしれない。

 体感的に十分ほど経っただろうか、初音がリビングに戻ってきた。


「話は終わったのか」

「はい。実里さんから『今は吉原に戻ることは難しい』と言われました」

「そうか。……ほかには?」

「もし戻る手立てがあるなら、それが見つかるまで私を預かると」

「手立てね」


 果たしてそんなものはあるのだろうか。タイムスリップ説を信じるなら、過去に戻ることは容易なことじゃない。初音がどのようにして現代に来たのかもわかっていないのだ。


「……ひとつ訊きたいんだけどさ」

「なんでしょう」

「吉原は『苦界くがい』って呼ばれてるんだよな。お前は……戻りたいのか?」


 母さんがリビングに戻ってくるまでの間、俺はネットで吉原遊郭のことを調べていた。そこで偶然見つけたのが「苦界」という言葉。

 吉原遊郭の花魁はデビューしてから年季が明けるまでの期間、何人もの男とヤるわけで。見習いの振袖新造や禿と呼ばれる少女の費用もすべて花魁の負担。こんなの理不尽極まりない。

 俺の問いに、初音は困ったような表情を見せる。


「確かに吉原遊郭を『苦界』と呼ぶ人はいます。私も吉原はあまり好きではありません」

「だったら……」

「でも、落籍ひかされてもないのに、私だけ外に出るのはいけないと思うんです。もう出てますけど」

「……」


 普通、初音の立場であれば今の状況は喜ぶべきものだろう。利他主義というやつか。

 

「それに、ずっと私がここにいては迷惑でしょう」


 そう。俺は問題なくても、母さんの立場からすると初音が居候することによって金銭面で負担がかかってしまうのは事実だ。母さんがどう思っているかはわからない。

 

「あたしのことなら心配無用」


 背後からの声に俺は肩が大きく跳ねた。


「実里さん。いつの間にいたんですか」

「今戻って来たばっかりよ。話はばっちり聞こえてたわ」

「……盗み聞きしてたのかよ」

「そんな趣味の悪い事するわけないでしょ。あたしの耳が敏感なだけ」 


 いまいち納得できないがケチをつけるのはやめておこう。


「初音ちゃんは全然迷惑じゃない。そもそも、初音ちゃんの居候はあたしが決めたことだし。面倒は蒼太が見てくれるから大丈夫」

「……勝手に決めるなよ」

「あんたが代わりに仕事してくれるなら、あたしが面倒見るけど?」

「わかったやるよ」


 口ではどうやっても勝てない。初音は俺と大して年は変わらないし、少し教えれば身の回りのことはひとりでもどうにかなるはずだ。


「……さて、時間も遅いし今日はここまでにしましょ。これからよろしくね、初音ちゃん」

「は、はい。よろしくお願い致します」

「ほら蒼太、あんたも」

「……よろしく」 

 

 こうして、高尾家の住人がひとり増えた。明日から慌ただしくなりそうだ。

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