少年Iとの関係
中ノ瀬
□
「ちょっと一花、説明してくれる?」
「どうして夏は暑いのかって? それは日本が北半球にあるからだよ」
「誰がそんな質問するか」
いつも通り一花と食堂で落ち合った同僚の葉月は、トレーに乗った今日の昼ご飯を丁寧に机に置きながら文句を言った。向かいに腰掛ける一花の手にはデザートとして売られているフルーツゼリー。箸を取るついでに一緒に持ってきたプラスチックのスプーンを渡しながら、葉月は言葉を続ける。
「知らない電話番号から連絡があって『一花ちゃん?』って言われる私の気持ちになってくれる?」
「世の中の男の子はあたしよりも葉月みたいな女の子の方が好きかと思って」
「だからってナンパされる度に私の番号教えないでくれるかな」
派手に音を立てて冷やし中華を食べる葉月を見ながら、一花もゆっくりゼリーの蓋を開ける。指についたゼリーの液を舐め、その指をシャツに擦りつけた。
「でも、それがきっかけで今の彼氏と付き合ってるんでしょ」
「それはそれ、これはこれ!」
「いや、同じじゃん」
毎朝早起きをして、ヘアセットとメイクをし、綺麗な服に袖を通して出勤してくる葉月は普通と言われれば普通であるが、どこと取ってもズボラだの怠け者だのと評される一花は、葉月こそが真の女の子だ、と勝手に思い込むことにしていた。色落ちしてきている明るい茶色の髪も、よく似合っている。花を模したレースの襟がポイントになっているブラウスも、アイロンをしっかりかけているスカートも、靴もアクセサリーも全部。
「彼氏がいないときは、まあ許そう。でもね一花、私彼氏いるのよ」
「あたしのおかげで」
「そうなんだけどね。もういいじゃん。彼氏がいる友達に男を紹介するのはどうかと思うよ?」
「あたしと葉月って友達だったんだ」
「今のは冗談でも傷つくから二度と言うな」
「はーい」
手でとかしただけの髪には軽く寝癖がついたままで、昨日と同じ黒のデニムをとりあえず履き、洗濯物の山から引っ張り出してきた皺つきのシャツを着た一花とは大違いなのだ。周囲はもちろん、本人もそれは分かっている。
だからこそ、定期的に街中で声をかけてくる輩を、一花は物好きな人くらいにしか思っていない。
しかしそれとは裏腹に、街中で一花に声をかけてくる人は一定数いるのである。本人は納得いっていないようであるが、葉月をはじめ、一花のことを知っている人からすれば当然のようにも思えることだった。
ロングストレートの黒髪に、青白い肌。切るタイミングを失った前髪が、もともと光の入りづらい黒い目にかかっていた。食が細いこともあり、手足は掴めば折れてしまいそうなほど細く見える。
「それで話を戻すけど」
「夏はなんで暑いかってところ?」
「その話題は全く関係ないから」
麺を啜った際に机に飛んだ麺つゆをティッシュで拭きながら、葉月は小さくため息をついた。目の前で平然とフルーツゼリーを口に運ぶ一花であるが、カップの中のゼリーは全く減っていない。一方、葉月の皿はもやしが数本浮いているだけである。
「ほんと食欲どうにかならないの?」
「葉月こそ食べすぎてるよ。また彼氏に太ったとか言われるぞ」
「一花には言われたくない」
缶詰のみかんとパイナップルが入ったゼリーは、おそらく昼休み中に食べ終わることがない。また半分ほど残ったものを押し付けられるのだ。食べすぎている原因に自分が全く関与していない、といった言い方をしてくる一花の足を軽く蹴る。席に着いたときから靴を脱ぎ、裸足になっていた一花は大袈裟に痛がった。
裸足で何度か蹴り返してくる一花に、もう一度蹴りを入れた。そんな攻防が続く中、それを割って入ったのは、一花のビジネス・パートナーであるネロだった。
「何やってるの、二人とも」
「葉月が蹴ってきた」
「元はと言えば一花が悪い」
「先に手を出した方が負けんだぞ」
「勝ち負けっていう問題じゃないの」
今にも噛みつきそうな勢いで葉月を睨む一花の隣に座ったネロは、二人の間に一台のスマートフォンを置いた。画面が明るくなり、ロック画面が表示される。真っ黒な背景が設定されており、上三分の一には現在時刻。既に昼休みは半分を過ぎていた。
「何勝手にあたしのスマホ持ってきてんの。これプライベート用だから仕事には使わないんだけど」
一口にも満たない量のゼリーを食べながら、一花は視線の先をネロに変えた。
「今朝から結構な量の電話がかかってきてて、うるさいから持ってきた」
「話聞いてた? 今日仕事なんですけど?」
文句を言いながら着信歴を確認する一花は、分かりやすく顔をしかめた。葉月も画面を覗くと、そこには同じ電話番号がいくつも並んでいる。
「葉月」
名前を言われただけだが、一花の言いたいことが何なのか、葉月はすぐに分かった。しかしそれはいつも葉月が一花にされていることであり、単純な仕返しである。それでも、友好関係を築くのが苦手で、プライベートも一人でいることが多い一花には申し訳ないことをしたかもしれない、と葉月の良心が少しだけ痛んだ。
一花のスマートフォンに並んだ同じ電話番号は、もちろん葉月にも見覚えがある。だが、葉月は敢えてそのことを口にしない。
「これって出るまでずっとかかってるやつ?」
「諦める人と粘る人がいると思うけど」
葉月の場合は間違い電話だと一掃することが多い。しかし今回はあまりにもしつこかったので、魔が差したのだ。一花も同じ目に遭えばいいんだ、という気持ちが働いてしまった。
「例のごとく街中で声をかけられたんなら、諦めて出た方がいいと思うけど」
いつの間にか一花が食べていたはずのゼリーを完食させているネロが言う。どうして、と葉月が質問をしようとするが、その間もなくすぐに答えが出た。
「一花ほどの容姿の人から番号教えてもらって、間違い電話だったと思いきや友人と名乗る子から電話番号聞きだしてるんだ。確かめざるを得ない」
そう、その通りだった。葉月はこくこくと必死に首を縦に振る。
「葉月、覚えてろよ」
「いや、チャラでしょ」
「あたしのおかげで彼氏ができてるんだから、それを汲んでマイナスでしょ」
その話を何度されればいいのか分からなくなってきた。だから葉月は嫌味も込めて言い返す。
「じゃあ、万が一その子と付き合ったら、貸し一ね」
そんなことない、と言い切る一花のスマートフォンが鳴った。画面には例の電話番号が表示されている。一瞬動きが止まった一花は、葉月とネロの顔を交互に見た。
「戒めだと思えばいいんじゃないの」
「右に同じ」
一花は二人の反応に舌打ちで返し、応答の項目をタップした。
「……はい、『一花ちゃん』ですけど」
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