1-3 高野文子の書

「個人情報ゲットしました」

 桜の下に戻りながら、一仕事終えた高野文子が報告する。セミロングの髪をひっつめて後ろでギュッと結び、どこか武士のような雰囲気がある。

「頼んでないっちゅーの」

 生徒会長の上杉美紗希が苦笑する。

「それがすごいんです。素晴らしいんです。ほら、あの三人」

 ちょうどそのときジャージに着替えたテニス部の体験入部組がコートに入ってきた。

「見てください」

 と、文子が芳名帳を差し出す。結婚式やお葬式の入口で名前を書くあれだ。

「これです。この三人です」


 高遠 彩

 笹岡 日向子

 仙道 さくら


 多くの名前のなかに、毛筆で三人の名前が書かれている。

「あんたまたテニス部のふりして新入生に名前書かせたな。どれどれ。ほー、これはなかなか」

 会長も毛筆の名前を見て関心を持ったようだ。どれも一癖二癖、個性のある字だ。


 テニスコートでは玉だしが始まった。部長の杉山久美子が優しく出すボールを、新入生が交代で打っていく。まずは自由にやらせてみようということだろう。一人二人といかにも初心者らしい山なりのボールが続いた後、バコーンという音とともに鋭い玉が、コート隅にあるボールカゴを弾き飛ばした。

「今のがこれです。高遠彩。あやではなくサヤカ。あの背の高いモデルっぽい子」

 高野文子が興奮気味に話す。

「見てください。この流れるような行書。少し力みと、尖ったところもありますが、それがまたいいんです。すごくいい字です。こんなレベルの字をかける子はそうそういない。少なくとも学年に一人くらいの逸材です」

 強烈なフォアハンドに、「おおー」、「経験者か?」と周囲がどよめくが、高遠彩はクールな表情のままだ。

「狙った?」

 部長の杉山がサヤカを見つめているところに、

「お願いしまーす!!」

 次の順番の生徒が、空気を変えた。


 高遠彩とは対照的に、小柄でぽっちゃり、ニコニコと元気で明るい。

「あの丸いのがこれ。笹岡日向子。見てください。このぶっとい字。この力強さ。こんな力強い字をかける子はそうそういない。少なくとも学年に一人くらいの逸材です」

 文子が言うとおり、相撲の番付表のような太い字が、行をはみだして自己主張している。一人で二行分使う生徒は確かにそうそういないだろう。

「日に向かう子で、ヒナコです」

 文子はまるで自分のことのように、今しがた会ったばかりの新入生を紹介する。

 笹岡日向子は左手でラケットを持ち、左右上下にビュンビュンと素振りをする。音だけでパワーが伝わる。

「ん。左利きか」と、杉山がみんなとは逆方向に優しいボールを出す。

 その瞬間、ヒナコの目つきが細く座る。腰に差していた刀を抜くように、右手をグリップに添え、やおらボールを切りつける。ガットの張られた面ではなく、細いフレームで打ち抜く。ボールはギュイーンと変形し、予測不能の変化をして、またしてもボールカゴを弾き飛ばした。

 一瞬コートが静まり返る。

「失礼しましたー」

 ヒナコは笑顔で後ろに下がる。

「わおー、連チャン」と会長。

「フレームショットですよ」と千明。

「座頭市か?」と文子。

 生徒会の面々が驚きながらはしゃいで笑う。

「右ききかよ」

 杉山がヒナコを見つめる。


 やりにくい空気のなか、誰にも聞こえないような小声で「お願いします」と、次の順番の者が前に出た。

「そして彼女がこれです」と文子が芳名帳を見せる。

「仙道さくら。桜木高校、桜の季節に、桜の下で、さくらちゃん」

「さあ、三連チャン、いけるかな」

 サヤカ、ヒナコが連続でボールカゴを弾きとばした手前、根拠のない期待が高まる。

 杉山が優しいボールをだす。仙道さくらがラケットを振る。しかしボールが手元にくるはるか前に、ラケットはすでに空をきっていた。位置もタイミングもまったくあっていない。あまりにもひどい空振りに、先ほどとは逆にコートが静まる。

「ドンマイドンマイ」

 杉山が明るく言うと、

「ドンマイでーす」「ドンマーイ」

 と、他の女子部員が続く。

 仙道さくらは恥ずかしさで顔を真っ赤にしている。

「あ、まあ、見てください。この字」

 文子が解説をする。

「仙道さくら。ものすごい素直な字。まったく癖がない。平仮名でさくらってのがもうたまらないですね。ほら見て、こんな素直な字をかける子はそうそういない。少なくとも学年に一人くらいの逸材です」

「逸材、すでに三人・・・」千明が笑う。


 その後も順番で新入生がボールを打つが、サヤカは強烈なショットをコーナーに決め、ヒナコはフレームショットでホームランを連発、そしてさくらのラケットは、一度もボールをとらえることはなかった。

 スマホをいじりながら音楽を聞いていた北上奏太がヘッドフォンを外し、首にかけた。耳全体を覆うオーバーヘッドタイプながら、スタイリッシュでコンパクトなメタリックブルーのボディがキラキラと反射する。

「圧倒的にあの三人が目立つね」奏太が言った。

「三人とも学年に一人くらいの逸材です」文子が言う。

「だからおかしくない? 理屈」千明が笑う。

 奏太は、強打するサヤカを見て言う。

「女王」

 フレームショットのヒナコを見て、

「ニコマル」

 空振りするさくらを見て、

「ポチ」

 角田がシャッターを切りながら笑う。

「女王、ニコマル、ポチ。ふっ。確かにそんな感じだ」

「角さん、盗み撮りはだめですよ。捕まりますよ」

 千明がからかう。

「いや、俺はただ望遠レンズがどのくらいの・・・」

「変態」千明が言う。

「変態」文子が言う。

「ど変態」大山花が続く。

「パッツン、侍、横綱」奏太は三人を見てニヤッとつぶやく。

「そろそろ行こう」

 会長が立ち上がった。

「オッパイメガネ」

 奏太は誰にも聞こえないように、つぶやいたつもりだったが、後ろから山田一に頭をはたかれた。

「聞こえますよ。失礼っす」

「お前先輩の頭を」奏太がうずくまる。

 花見の片付けをしながら、

「あの子達、来ないかな」と文子。

「来てほしいね」と千明が続く。

「そうだ。山ちゃん、さっきのポスターちょうだい」

 文子は筆と墨汁をだしながら言う。

「これ?」

 山田一が新入生歓迎のポスターを広げる。

「そう。その裏。置いて。押さえて。ちょっと千明も手伝って」

 ポスター裏の白い面を上にして、山田と千明が大きな紙を押さえる。

 墨汁をたっぷりとつけ、文子はポスター全面に筆を走らせた。

 力強く一文字。

 「武」。

 風が吹き、花びらが舞い、「武」の文字の上を何枚かの桜の花びらが彩る。

「さあ、行こうか」

 会長が言うと、生徒会の面々は、縦一列になりテニスコートの端を歩きだした。

「久美、ありがとねー」

 と、会長は部長の杉山久美に軽く手を振った。久美は「おお」と笑顔でラケットを振って応えた。

 山田と千明がポスターの端と端を持つ。そのまま歩くと、表面「新入生歓迎ポスター」がテニスコートの皆に見える。千明が山田を追い抜くと、今度は裏面「武」の一文字がテニスコートに見える。山田と千明は、ポスターと武の文字が交互に見えるように、抜きつ抜かれつ歩いていった。テニスコートの面々は皆、サヤカも、ヒナコも、さくらも、首を傾げてその様子を見つめていた。

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