1-4 私は強い 高遠彩

 テニスをやったのははじめてではない。小学生の夏休み、おじいちゃんの古稀だか、結婚何周年だか、なにかのお祝いで親族一同が集まったとき、一度だけやったことがある。伊豆だったかな、ずいぶん大きなホテルで、テニスコートが10面くらいあった。親戚の真美おばさんは大学の頃テニスをやっていて、家族全員テニスが上手かったし、教えるのも上手だった。

「サヤカちゃん、すごい、天才。将来はプロになれるね」

 なんておだてられながら、はじめてなのに、長いラリーを続けることができた。そればかりか3つ年上の親戚の健君にも勝ってしまった。テニス経験のある自分の息子が、初めてテニスをする私なんかに負けて、真美おばさんもさぞかし歯痒かったにちがいない。

 子供の頃から、勉強もスポーツも、大抵のことは人より上手く出来た。

「それにしても・・・」と思う。

 どうしてみんなこんなに下手なのだろう。自分の足元に落ちてくる、こんなに優しいボールを、相手のコートに打ち返すこともできないなんて。

「本気?」

 さっきからずっと、ラケットにかすりもしない奴がいる。

「冗談だよね?」

 明らかにわざとフレームで打っている奴がいる。

「意味が分からない」

 どうみても私がずば抜けて上手い。そんなことは分かっている。だけど、これはあまりにもひどい。だんだんイライラしてきた。

「本当に本気?」

 先輩方も大したことなさそうだ。

「これを三年間やる?」

 苛立ちをボールにぶつける。ネット際から、優しいボールを出してくれる部長の杉山久美の顔面めがけて、思いきりボールを打ち返す。

 今日一番のショットが、杉山に襲いかかる。

「おっと」

 杉山は不意をつかれ体勢を崩しながらもラケットでボールをさばく。山なりで力ないボールが再びサヤカの足元ではずむ。

「私は強い」

 心の中でつぶやきながら、サヤカは再び杉山にアタックを仕掛ける。

「ちょっ」

 杉山は体勢を立て直し、先ほどよりも勢いのあるボールを、しかし今度はしっかりとさばく。杉山のラケットに勢いを吸収されたボールは、正確に、再び、サヤカの足元へと放物線を描く。

「私、何か悪いことした?」

 杉山は苦笑いしながら、サヤカを見つめる。構えが早い。獲物をしとめるべく、既にラケットを引いてボールが落ちてくるのを待っている。

「いいよ。こい」

 杉山は口元に笑みを浮かべ、自分を狙えとばかりに両手を大きく拡げ、構える。

「私は、強い」

 サヤカは、これでもか、と三度目の強打を放つ。

 杉山はまたしても、ラケットで勢いを吸収し、サヤカの足元に優しいボールを返そうとした。しかしサヤカのボールの勢いに押され、リターンが浅くなる。

「やば」

 サーブエリア内に山なりのボールが落ちる。至近距離から4度目のアタック。

 杉山は反射的にボレーで返した。

 サヤカのアタックより更に早いボールが、サヤカの顔面を捉える。

「あっ」

 と声をだす間もない刹那、しかしサヤカはボールをしっかり目で追って、ほんの少しだけ体を回転させた。ボールはサヤカの目の前1センチのところをビュンと音を立てて通り過ぎ、エンドラインのわずかに後ろをかすめていった。


「おい!お前何やってんだ!」

 2年の長門香織(カオリ)が、サヤカに近づきにらみつける。長身のサヤカより、縦も横も更に一回り大きく、すっくと伸びた背中からは背筋の強さを感じる。

「経験あるからって、調子のんなよ」

 一重で細いつり目ににらまれると、大抵の女子はその場に凍りついてしまいそうだが、サヤカは目を細め、冷たく一瞥すると、チッと舌打ちし、背中を向けた。

「おい、ちょっと待てよ」

 と香織が、後ろからサヤカの肩を掴む。

 その瞬間、サヤカの身体がふっと沈み、香織の体が宙に舞った。

 香織は飛び込み前転のような形で、きれいに一回転して尻から落ちた。

 さくらも、ヒナコも、生徒会の面々も、その場にいた皆が凍りついた。

 尻餅をついたまま、香織は呆然とサヤカを見上げた。

「なんだ今の?」

 香織は小さくつぶやき、

「おい!」

 と、大声をだした。

「やばい、とめなきゃ」

 喧嘩っぱやい香織の性格を知る杉山が慌てて駆け寄る。

「今って、触った?」

 ヒナコが小声でさくらに聞く。

 さくらは小さく頭を横に振った。

「触ってない。ってか、今、笑ってたよね」

 香織が後ろからサヤカの肩を掴もうとした瞬間、サヤカはニヤっと笑ったのだ。振り向くこともなく、そこに手が伸びてくることを分かっていたかのように。そうして自分の体をわずかに沈めながら、ほんの少しだけ向きを変えた。たったそれだけの動きで香織は宙を一回転したのだ。

「おい! なんだ今の!!」

 意外にも香織は楽しそうに笑っていた。

「ちょっと大丈夫???」

「あ、全然大丈夫です。私が勝手に転んだだけです。ちょっと大げさに転びすぎました」

 香織は笑いながら平然と立ち上がり、ジャージの土をパンパンと払った。さっきまでの怒りや苛立ちが消え、むしろ楽しそうだ。

 サヤカは香織を無視して、杉山に話しかける。

「さっきの、本気じゃないっすよね?」

「ん?」

「わざと打ちやすいところに、打ちやすいボールを打って。最初から強いボレーすればよかったのに」

「んー?」

「手加減したり、遠慮したりするの失礼じゃないっすか?」

「んーー?」

「やっぱりテニスはむいてないみたいなんで。すいません、失礼します」

「んーーー?」

 踵を返したサヤカに、香織が「おい!」と呼びとめる。

「お前、経験者だろ」

「経験あるって言ってもテニスは子供のときに一回やっただけですけど」

「まじか」「天才か」と一同がざわめくなか、

「テニスじゃない」と香織が苦笑いする。

「テニスじゃなくて、柔道とか、格闘技とか、なんかやってたろ。じゃなきゃあんなに綺麗に投げられない」

「経験者はそっちでしょ」

 サヤカはわずかに口角をあげニヤッと笑った。

「とても見事な受け身でした」

 そうして清々しい顔で一礼すると、何事もなかったかのように、テニスコートをでていった。

「失礼なのか、礼儀正しいのか、なんなのあの子」

 呆然としているテニス部員のなか、杉山と香織だけが楽しそうに笑っていた。

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