箱の中身は

柊 撫子

出題編 前

 特に変わった事のないある秋の日、とても変わった事が起きた。

始まりは交番勤務の若き警官が受け取った一本の電話からである。

誰が訪ねてくる事もなく一日が終わろうとしていた昼過ぎ、微睡を吹き飛ばす様にけたたましい着信音が鳴った。

 数刻前、先輩が『この時間は何もないから』と仮眠を始めたばかりな事もあり、ワンコール目で取ってしまった。

そのままの勢いで受話器に向かってはきはきと大きな声を出す。

「もしもし、こんにちは!こちら――」

と言おうとした警官の声を遮り、電話の向こうの人物は慌てた様子でこう告げる。

『あっ、警察ですか!大変なんです!何か事件かもしれないんです!』

そう捲し立てる相手を落ち着かせようと、記憶の中のマニュアルを頼りに声を掛けた。

「落ち着いてください、ゆっくりと呼吸もしましょう。……」

と言われた相手は数回深呼吸し、警官は落ち着いた頃合いを見計らい尋ねる。

「それでは、何があったかお話できますか?」


『あのう……人、が……燃やされたみたいなんです……』


言葉に詰まりながらもそう告げた声は微かに震え、何かに恐怖している様だった。それも仕方のないことだ。

電話を受けた警官も自分の耳を疑った。

「失礼ですが、人が……というのは事実ですか?もし悪戯なら―――」

『悪戯でこんな事言うわけないでしょう!?お願いです、信じてください……』

そう言って泣き崩れそうになっているのが受話器越しでもわかる。

「すみません、確認しなければいけない事なので……」

『いいんです、突然こんな事言われたら疑うのも当たり前ですから。でも真実なんです』

「わかりました。では少しお尋ねしますが、あなたは今安全な状態ですか?」

『えぇ、はい。安全……だと思います』

「と、言いますと?」

『それがその、何だかような気がして……』

そう告げる声は微かに震えており、経験が浅い警官でも相手が怯えているのが伝わった。先程の様に相手の恐怖心を煽らない為にも慎重に言葉を選ぶ。

「では、あなたは今どちらにいますか?周囲に人はいますか?」

『今いるのは公民館の駐車場です。人は……』

と少し間があり、言葉が続いた。

『表じゃなく裏手にいるからか、誰もいないみたいです』

「そうですか、では今からそちらに向かいますので、その場を動かないでください」

『はい、わかりました。よろしくお願いします』

そうして電話は切れた。

 程なくして、この若き警官は状況の整理や仮眠中の先輩への相談もせず、後先考えず無謀にも飛び出した。未熟さ故の失敗とも言えよう。

 目的地に向かって走りながら警官は思考を巡らせた。

 交番の徒歩圏内に町で唯一の公民館があり、恐らくそこが電話の主がいる場所だろう。その公民館は老若男女問わず多くの町民が利用しているこの場所である為、当然ながら今日も人の出入りが多いはずなのだ。いくら裏手側の駐車場とは言え、人が一人しかいないのはおかしいと思った。

 そして、電話の主が言っていた『人が燃やされた』という言葉を思い出す。もしそれが本当ならば、交番勤務の警官では手に負えないものとなる。

更には相手はと言っていた。この言葉は”燃えるさまを見た”とも受け取れるが、相手は最後に”みたい”だと付け加えていた。それによってこの解釈は間違っていることとなる。

やはりそのままの意味として”人が燃やされたものを見た”のだろうか。


 秋の夕暮れで涼しくなっていたものの、少し走れば薄ら汗も出る。ポケットに入れていたハンカチで軽く拭いつつ、そのままの足取りで駐車場の方へ向かった。

 電話の主が先に警官を見つけたらしく大きく手を振り、ようやく気付いた警官がそこへ駆け寄る。やや息を切らしながらやってきた警官を見て、申し訳なさと不安が混ざった表情をしながら話し掛けた。

「あの、自分も言えたものじゃありませんが……大丈夫ですか?」

それに対し警官は大きく深呼吸を一つし、人の好さそうな笑顔で向き直った。

「はい、大丈夫です!早速ですが、案内していただけますか?」

「……わかりました。こっちです」

そう言って連れられたのは公民館の非常口だった。この非常口は普段から開放されており、近道として使う利用者も少なくない。

 外から館内へ入ってすぐは少し狭い通路があり、その先に短い階段があり本館へと繋がっている。館内の冷房が効いてるのか、非常通路とはいえやや肌寒く感じる程だ。

「これです」

そう言って指した方向には大きな段ボールが数箱、壁に寄せて積み上げられていた。箱の大きさは大小異なるが、一番大きなものは小柄な人なら入れる程度だ。

「これが……中を見たんですよね?」

「全ての箱は見ていませんが、確かにあれは……」

そう言いかけて口をつぐんだ。このダンボールの中身を思い出してしまったのだろう、箱から目を背けていた。何が入っているのか知らない警官は、ダンボール箱の中身を想像してしまったのは言うまでもない。あの中には一人分の肉体をバラバラにされているのか、もしくは肉体の一部を入れられているか。あるいは複数の肉体を……。

 そうして悍ましい想像した上で中身を確認しなければならないのだから、いっそ考えなければ良かっただろう。何の変哲もない”ただのダンボール箱”が、今この瞬間だけは爆発寸前の危険物に見えてしまう。

 警官から見て一番手前にあるダンボール箱は少しだけ蓋が開いており、あと少し開ければ中が見える状態だった。そのあと少しさえ恐怖で手が震えるが、そのあと僅かな隙間を広げる事を躊躇っている場合ではないのはよく理解していた。もし、これが本当に”殺人事件”と言われるものならば、一刻も早く無線を飛ばさなくてはいけないからだ。傍らにいる一般市民を疑うつもりはないが、出来ればショッキングなものを見たくはないというのが警官の本音だ。

 わなわなと震える腕と固まる指先でどうにかダンボールに触れる。触れた場所は冷房のせいか想像以上に冷たくなっていた。指先で溶けていく氷の様にダンボールは冷たさを失っていき、その冷たさは警官の指に染み込んだ。

 上に被さる蓋の両側にそれぞれ手を掛け、開ける前に自分を落ち着かせるために深く呼吸をする。静まり返った通路に警官の微かな呼吸音が耳に残った。2度目に吐いた息を合図として一気に蓋を開けた。


ダンボール箱を開け、真っ先に目に飛び込んできたのは


「ひぃぃっ!!」

警官はあまりの事に情けない声を上げてしまった。予想していた通りではあるが、想像していた以上だった。

八〇サイズ程のダンボール箱に親指から小指までを一組とし、透明な袋に入れ隙間なく並べられている事から推察すると、明らかに一人の”手”で済む数ではない。喉奥から上がってくるモノを堪えながら、警官はその指たちを観察する。

 当然ながら指の形は全て異なっており、指の太さや爪の形まで違うもののその全てが程よく焼かれている。蓋を開けたことで漂う独特な匂いが鼻を擽る。恐らく電話で言っていた”燃やされた”というのはこれの事を言っているのだろう、と推察した時。

「あ、あぁ、それです。それ」

と、警官の後ろから震えた声で告げるその人は目に見えて顔を蒼くしていた。先程開けたダンボール箱によって、箱の中身が残忍なものである事は容易に予想できる。そうなると他のダンボール箱の中身が恐ろしくなってくる。


 残る箱は大きいものが二つと小さいもの。先程の”指”を見た後では、どちらを選んでもショッキングであることに変わりはないだろう。そう考えた警官はなるべく刺激が弱そうなもの、小さめな五〇サイズ程のダンボール箱を選んだ。

 先程開けた箱より冷たいものの、中に何が入っているかは検討も付かないとは言え、どの箱を選んだとしても恐ろしい物が詰め込まれている可能性は高い。

 警官はふと”案ずるより産むが易し”という言葉を思い出す。それは今まさにこの状況を打破するための言葉である。幾ら考えたところで仕方がない、一刻も早く中身を確かめた方が良いのは明白なのだ。

 箱に掛けた手に自然と力が入る。この小さなダンボール箱に収まるであろう物が次々と浮かんでは頭に残った。

冷たかった箱の側面は手が触れている部分が水滴となってゆっくり流れていき、警官が勢いよく蓋を開けた事で流れ落とされる。


 ダンボール箱から薄く白い冷気が溢れ、その中身を露わにした。

透明なフィルムに包まれた眼球が色とりどりのリボンで飾られ、輪となって箱に収められていたのだ。


 警官と目撃者は言葉を失った。あまりにも想像から逸脱していたのだ。

 ダンボール箱に収められた眼球は黒色や茶色の瞳をし、一つずつ区切るように可愛らしいリボンで飾られているのだが、どこをどう捉えても悪趣味極まりない。それが直径三〇㎝程の輪になったものが数十個積み重なり、透明なフィルムに包まれた眼球が全て自分を見ている様な気がしてしまう程だ。

 その場にいる二人は眼球そのものを実際に見たことはないものの、誰もが抱く”おおよそこんな形状をしているだろう”という想像が具現化しているような物体が数十個以上。これを一体誰がこれを想像出来るだろうか。

 この凄惨な状況は経験の浅い若き警官では対処出来ないと考え、一先ず交番に駐在している先輩警官へと連絡した。焦りと恐怖で言葉が詰まりながらも、震える声で必死に伝えた。

しかし、電話の向こうからの返答は無情なものだった。


「それは……大した事じゃないね、帰ってきなさい」

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