遠い日の復讐

冷門 風之助 

其の一

 この暑さの中、俺はもう一週間も都内をうろついている。

 

 もう汗も出尽くした。

 

 喉はからからだ。


 しかし、今の俺にはそんなものに構っちゃいられないものが、心の中にあるのだ。



(情に溺れるのをよしとしないお前にしては珍しい)って?


 俺だって人間さ。


 機械じゃない。


 俺の名前は乾宗十郎いぬい・そうじゅうろう、職業は私立探偵。


 一日六万円の探偵料、プラス必要経費。拳銃のいるような場合は、危険手当として四万円の割増しを付ける。


 それさえあれば、『私立探偵業法』の条項に違反しない限り、大抵の依頼はやってのける。


 普段は『カネの為さ』なんて、ドライな物言いをしてる俺だが・・・・・


話は八月の半ば近く、太陽が頭の上で、

(仕事なんかして、ビールでも呑めや)と誘惑している。そんなある日の事だった。


『初めまして』


 彼女は不自由な手にも関わらず、丸い盆を持って現れ、俺の前と自分の前に、ガラスの湯飲みを置き、静かにひじ掛け椅子に腰を下ろして頭を下げた。

『あ、いえ、こちらこそ』


 俺は彼女の前に認可証とバッジ、それから名刺を置き、挨拶を返した。

 ガラスの湯飲みに注がれた麦茶を口に運ぶ。

 窓辺に吊るされた風鈴の音が、夏の暑さを幾分涼やかにしてくれる。


 依頼人は世田谷にある瀟洒しょうしゃな一戸建て住宅に、たった一人で暮らしていた。

 年齢は80代、それ以上は言わなかった。

 夫とはとうの昔に死に別れ、息子は仕事の関係で英国で暮らしているし、娘は娘で夫と子供二人と共に長野県で暮らしている。


 地味な服装に地味な化粧、どこから見ても普通の老婦人。


 名前を最上百合もがみ・ゆりという。


 10年前にわずらった脳梗塞の後遺症で、右手と右足が多少不自由であることを除けば、週二回やってきてくれるヘルパーの助けで、どうにか生活を支障なくこなせる。


 彼女の亡夫は元某一流商社の元創業者であり、そこそこの財産家でもあったので、そういう意味の『かて』にも困ることはなかった。

  

 ただ、今言ったような事情があるので、外出もままならない


 そんなわけで俺がこちらに出向いてきたという訳である。


 俺を紹介したのは、夫が経営していた会社の顧問弁護士をしていた人で、俺が独立した頃からの顔なじみだった。

 信頼できる人間だったので、一応はここまで来てはみたのだが・・・・。


『この人です』


 彼女は一冊のスクラップブックを広げ、ある記事を示した。


 今からざっと30年は前の新聞の切り抜きのようだ。


 スーツ姿に縁なし眼鏡をかけた男性が、足を組んで椅子に座り、こちらを向いている。


 写真の下には、


『権力と闘う男、間島博人まじま・ひろと氏』と、見出しが付けられてあった。


 間島博人・・・・何となく聞いた名前だ。


 確か元東洋日報の記者で、退社後、ドキュメンタリー作家として名を成した男だ。


 第二次世界大戦中、日本軍が犯したとされる『知られざる戦争犯罪』を幾つか暴き立てたというので、一時マスコミに広く取り上げられていた。


年齢としはまだ70代の後半までは行っていないでしょう』

 彼女は静かに言い、硝子の湯飲みに入れた麦茶を優雅な手つきで啜った。


『失礼ですが、まだ依頼内容をうかがっていませんが?』


 彼女は俺の顔を見つめ、しばらく何か考え込んでいたが、やがて決心をしたように、


『この方を探してください。復讐がしたいのです。父のかたきですから』




 




 





 




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