8-6

「あのー、秋津佐あきづさ? どうやら行き違いになった」


 誰もいない公園の入り口で、令は気まずそうな表情で秋津佐に電話をかけていた。


「ハァー……。捜査官用のスマホ持っていきゃそっちで調べられるっていうのに……」


 電話口で秋津佐はほとほと呆れていた。令は苦笑して「検討します」と返す。

 短い沈黙の後、秋津佐がぶっきらぼうに喋りだす。


「自宅に帰ったみたいね。これでもう流石に出会えるでしょ」

「分かった。ありがとう。……ところで秋津佐、訊きたいことがあるんだが」

「なに? もう自宅の場所忘れたの?」

 

 半ば煽られているかのように秋津佐に返されるが、令にとってこの質問は真剣なものだった。

 それは、令が知らなくてはいけない“ピース”な気がしていたからだ。


「“ハッピージョージ”ってどんな奴なんだ?」

「ハァ? ハッピージョージ? どんな奴って……」


 秋津佐はそこで一瞬答えるのを止めかけたが、令が真剣に知りたがっているのを察して頭でまとめながら先を続ける。


「まあ、殺人鬼で……実態はなんなんだかよく分かんない奴ね。色んなものに化ける能力があって、ピエロとか、死霊とか、老婆に化けたりして人を恐怖におちいらせるの。――現実にもいるタイプだけど、ターゲットを最大限恐怖させてから殺す変態ね」

「……“恐怖”、か」


 令は秋津佐の話を噛み砕いて、何やら思案にふける。短くそうしてからパッと表情を変えると、令は秋津佐にお礼を言う。


「ありがとう。助かったよ」

「ん。今度こそしっかり会いなさいよ?」


 秋津佐が刺してきた釘に苦笑いしてから、令は通話を終える。

 令には少し敵の実態が見えてきたように感じられていた。光輝こうきの家へと引き返しながら考える。


(昨日公園であのブランコを見てから妙だと思っていた。――俺は光輝と擦れ違った。だがその後、光輝を追う者はいなかった――。道も、屋根伝いも、追う者はいなかった。光輝を襲ったというのなら、まるで追おうとしないのは妙に思っていたが――“恐怖”か。はなからアレは光輝を恐怖させる為のものだとするのなら、満足してすぐに去っていったのも理解出来る……)


 そこまで考えて、ひとつの引っ掛かりが令の頭に生まれる。


(しかし――。例外的にひとりだけ、“出会った人物”はいた――)


 思考を巡らせ、令はその洞察に優れた瞳を薄暗さの中で光らせる。


(寸断されたブランコを“目撃”した女性――。彼女だけが、光輝と公園の間で唯一出会った人物だ――。……ハッピージョージには変身能力があるという……。まさか彼女は……)


 そこまで考えて、令はにやりと口角を上げる。


(なんてな。流石にそれは光輝の認識に引っ張られ過ぎだよな――)


 思いを巡らせながら令は光輝の家へと急ぐ。



 ※ ※ ※



 光輝は亡者のように生気のない歩みながらも、自宅へと辿り着いていた。

 家に帰ってから何も言葉は発せず、何やら話しかけてくる母親の声も光輝には届いていなかった。

 光輝は今、学習机に向かい、じっとうつむいていた。

 まるで動くということを忘れてしまったように、光輝はただうつろな眼差しを机へと落とす。


(どうして僕なんかが残ったんだろう……。清水さんの言うとおりだ……。僕以外の誰かが生き残ってくれた方が、ずっとよかったのに……)


 最早 外界がいかいと断絶されてしまったかに思えた光輝の意識だったが、ふとという音が耳につく。

 それが意識の中に入ってきたのは、この部屋では聞き馴染みのない音だったからかもしれない。

 この部屋には水槽も、ウォーターサーバーも、加湿器すらない。何故そんな音が聞こえたのか気になった。光輝は顔を上げる。

 そして振り返って部屋の中を見るが、そんな音がしそうなものはない。

 。音が増す。

 光輝の心には急激に恐怖が湧いてきていた。汗が染みだし、背中を伝っていくのを感じる。


 光輝は、何かを感じていた。いやもっと正確に言ってしまえば、“音の出所”を徐々に理解していた――。

 光輝は、恐る恐る、机の“角”へと視線を移す――。ゆっくりと、顔を動かして……。


 


 そこには――飲みかけの“ペットボトル”が置かれていた。

 ペットボトルの中の水は、今や激しく音と泡を立てて、


「ひっ!」


 光輝が短い叫び声を上げて立ち上がる。その勢いで椅子は倒れた。光輝の顔は恐怖で引き攣る。

 異様な状況のペットボトルに視線を奪われる光輝だったが、不意にに駆られる。

 光輝にも何故そう思ったのか一瞬分からなかったが、すぐにその原因がからだと気付く。

 光輝は、目の端に涙を浮かべて、最早そうせざるを得ないといったように、本人の意志なのか定かでないままにゆっくりと顔を横に向ける……。


 顔を向けた先には、

 ――一瞬そう思ってしまったが、すぐに光輝の意識は異変を理解した。


 壁にかけられた“温度計”の中のが、みるみる

 この部屋の中では、異常なことが起こっていた。光輝は呟く。ほとんど無意識に。


「“ハッピージョージが来た”……“ハッピージョージが来た”……ッ!!」


 そのまま光輝は、叫びながら、足をもつれさせながら、半狂乱に部屋の扉を殴りつけるように開けると、転がりそうになりながら階段を駆け下りていった。

 母親が出てくるよりも早く、光輝は靴もほとんど履けないまま、家を飛び出していった。




 End


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