8-5

 今や泣き出しそうな不安定な空の下、人気のない公園のベンチにひとりの少年が座っていた。

 うつむく顔に生気は薄い。まるで半分はこの世の者ではないかのように、少年は沈黙して地を見詰めていた。


 そんな少年――架金かけがね光輝こうきの下がった視線に、ふと白と黒の色彩が入り込んでくる。誰かのスニーカー。

 反射的に光輝が見上げれば、そこには黒いパーカーのフードを目深に被った人物が立っていた。一瞬、光輝の息が止まりそうになる。


「――お前、まだに命狙われてるとか思ってんのか」


 目の前の人物がフードを脱ぎ去る。光輝は、怯えた表情でその人物の顔を見上げた。十代後半ほどの若い男。

 と、いきなりその男が光輝の胸倉を掴み、無理やり光輝を立ち上がらせる。


「お前はまだ現実を受け入れられねえのかよ……ッ!!」


 男の瞳は、狂おしいほどに怒りで満ちていた。光輝は自分より背の高いその人物の顔を、釘づけにされたように恐怖を浮かべてじっと見上げるしか出来なかった。男は、憎そうに声を漏らす。


「どうして……どうしてお前なんだよ……ッ!!」


 絞り出すような声で言って、男は身体をくの字に曲げるとうめき声をあげる。


莉子りこは真面目で……面倒見が良くって……近所の子の作文を手伝ってあげたり……みんなに好かれてて……っ! 将来は……学校の先生になりたいって……!!」


 男は、泣いていた。光輝を掴んだまま、顔を伏して泣いていた。

 やがて男は嗚咽おえつを漏らしながら泣き崩れる。その手だけは、まだ光輝を掴んで。


「どうして……どうしてお前なんだよ……っ! どうしてお前だけなんだよ……ッ!! なんで代わってくれなかったんだよ……ッ!! ……!!」


 喉が絞れた男の悲痛な叫びに、光輝はその顔面をらせていた。

 光輝には男が誰で、何故こんなことをしているのかが分かっていた。その上で、声ひとつ上げられなかった。

 やっと男の手が光輝から離れる。男はついていた膝を上げ、立ち上がりながら涙をぬぐう。

 ――涙が拭われた瞳には、強い“殺気”が宿っていた。


「俺は認めない――お前なんかが生き残ったことを、俺は認めない――ッ!」


 敵意のめられた眼差しと言葉を送った後、男は踵を返す。

 その背に怒りを背負って、そのままパーカーの男は公園から出ていった。

 悲痛な面持ちでその背中を見送った後、光輝はひとり、消え入りそうな声でこう呟いていた――。


「ごめんなさい……」

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