8-3

 二日連続で持ち場を離れるというのに、幹公木はあっさり令が離脱することを認めてくれた。

 ――といっても、最早言葉すらなく、という承諾の仕方だったが。しかしそれは雄弁に“とっとと失せろ”という意志を物語ってくれていた。


 令は今、住宅街の道を歩きながら電話をかけている。これで何度目かの発信。

 しかし、その電話が繋がることはなかった。令はちいさく溜息を吐いて遂に諦める。


(今どきの子が知らない番号からの着信に出る訳ないか……)


 しかしそれは令も織り込み済みだった。本命はあくまで自宅である。

 今日は土曜日であるから、在宅している可能性が高いと踏んでいる。

 先に家に連絡するという手もあったが、何となく令には“そうしない方が良い”という予感めいたものがあった。

 それは、必ずしも“まだ彼がSCCAを信頼している”とは限らない、という思いに起因していたかもしれない。

 令はスマホの地図アプリを見ながら、道を辿る。数分して、アプリのガイドが終了した。


 令が顔を上げれば、そこには表札に『架金かけがね』と書かれた一軒家があった。

 令はちらりと二階のカーテンの閉まった窓を見てから、塀につけられたインターホンを鳴らす。

 少しの沈黙の後、「はい」という女性の声がインターホンのマイクから流れる。


「すみません、この近くで起きた事件についてちょっとお話を訊きたいんですけど、宜しいですか?」


 あえてSCCAの名は出さずに令が問いかける。

 不審がられればその名を出すつもりだったが、その前に玄関の扉が開いた。


「あの子が、何かしたんでしょうか?」


 顔を出して令に近づくなり、その女性が口にした言葉はそれだった。

 年齢からいって、その女性が光輝の母であることは間違いないだろう。その血色の悪い顔からは、不安と憂悶とした意識が感じられた。令は母親のその様子で、つぶさに状況を感じ取っていた。これは、“子がまた迷惑をかけた”と思っている親の顔だ。そのことを感じて、光輝が家庭内でどのような立場に置かれているのかを令は一瞬にして察した。


「いえ、息子さんが事件について目撃していることはないか、少し話をうかがいたいんです。あ、SCCAの者です」


 言って令は軽く頭を下げ、キャメル色のジャケットのポケットからSCCAの捜査官を示すバッジを出した。令にとってはあまり要らないものだったが、関係者であることを示すために半ば長官から押し付けられたものだ。

 光輝こうきの母親は少しばかり驚いて、そして同じように頭を下げた。それから母親は少し慌てたように早口で言葉を並べる。


「あの、今あの子は出かけてしまっていて……。最近あの子、家を空けることが多くて……。連絡すれば帰ってくるかもしれませんが、最近はあまり返信もしてくれなくて……。あの、うちで待ちますか?」


 母親の表情と声には何処どこか必死さがある。事情を考えれば、“今度こそSCCAに見放されたくない”……といったところか。まだ詳しい内容も話していないというのにこの必死さとは、家庭内の切迫したものを感じずにはいられなかった。


「息子さん――光輝君はいつもはどれくらいに帰ってきますか?」

「え……あの……。最近は、夜まで帰ってこないことが多いですが……、ほら、今日は天気が悪いから早く帰ってくるかも……っ」


 令は母親のその反応に痛々しさすら感じた。しかしそんな感情は一切表に出さずに、令は落ち着いた声で返す。


「では、こちらで探してみます。ありがとうございました」


 令はそう言い残して去ろうとしたが、踵を返す途中で「あのっ」と母親に呼び止められる。

 再び令が正対すると、母親はわずかにまごまごした後、絞り出すように話し出す。


「あの、あの子は……本当は明るくて優しい、良い子なんです……。でも、あの事故以来変わってしまって……。いつも“何か”に怯えるようになって……人も避けるようになって……。きっと、不安で不安で堪らないんです。あの、どうかあの子の話を聞いてやって下さい……! それだけで、きっとあの子にとっては違うので……!」


 頭を下げ、そして上げた母親の眼は潤み、切実がたっぷりとめられていた。

 令は短い間沈黙し、そして薄っすらと笑ってみせた。


「大丈夫ですよ。なんとかなります」


 それは抽象的なぼんやりとした励ましの言葉に思えたが、母親はいたく救われたような表情を見せた。

 今度こそ令は踵を返し、架金家を後にする。

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