第5話 怪奇ファイル 1 味噌舐め地蔵とろくろ首―その1
連日酷暑が続く夏真っ盛りの八月。
もうすぐ“お盆”だと言うこの時期に、辰也は県の北部にある浄水場に出張していた。
出張と言っても上司の運転手に過ぎず、特にこれと言って仕事があるわけでもなかった。
浄水場の職員に設備を案内してもらい、軽く研修を受けた後休憩室で一息ついていたときに職員が話しかけてくる。
「もうすぐお盆ですね、迎え盆にはお墓に行って先祖を連れて来なけりゃならないですね」
「そうですね、俺なんて墓参りすら行ってないからなぁ。お墓はどちらなんですか?」 辰也は苦笑いをしながら尋ねた。
「うちの墓は、街中の[天桂寺]と言う寺です。真田家の墓がある寺ですよ、徳川方についた方の真田家の墓です。」
「へ~ぇ、由緒あるお寺ですね」そう辰也が感心していると、少々困惑気味に職員が切り出した。
「それがねぇ、最近変な噂があるんですよ。小学生の間で噂になっているらしいんですが、その寺に“味噌舐め地蔵”と言うのがあるんですがね、夕暮れ時にその地蔵さんにお参りしていると後ろに幽霊が出るっていうんですよ!」
「味噌舐め地蔵?? そんなお地蔵さんがあるんですか?」
驚く辰也に職員が丁寧に説明する。
“味噌舐め地蔵”
あまり聞きなれないお地蔵さまだが、以外にも全国各地にわずかながら存在している。
医療技術の乏しかった時代には、味噌に病を治す力があると信じられていたらしく医学的には全く根拠が無いのだが、その時代には実際に患部に味噌を塗ると言った民間療法が伝わっていたらしい。この民間療法と地蔵信仰が結びついたものが味噌舐め地蔵で、お参りして自身の患部と同じ部位に味噌を塗って祈ると病が癒える、と言う形を変えた地蔵信仰である。
また、地域によっては老夫婦の姿の地蔵で“味噌舐めジジイ”“味噌舐めババア”と呼ばれる物もあり種類も幾つかあるようだが、時代と共にこうした信仰も失われつつあるようだ。
「面白いお地蔵さんですね、でも何でそこに幽霊が出るんだろう?」
「さぁ? 詳しい内容は分からないけど、子供の他に寺の近所に住む婆さんも見たって言ってるらしいですよ! まぁ、こんな話は時節柄涼しくなっていいかもしれませんがね、ハハハ・・・」
この日、仕事を終えて帰った辰也だったが、帰ってからもこの話がどうにも気になって仕方がない。味噌舐め地蔵についてもネットで色々と調べてみたりした。寺の場所は職員に聞いておいたので休日に現地に行ってみようと思っていた。
土曜の午後になって天桂寺に出かけて行き、寺に着くころには丁度夕暮れ時になっていた。
寺の駐車場に車を停め、参道を右手に歩いて行くと味噌舐め地蔵が祀られている。
[味噌舐め地蔵 よろずの痛み取り除く]と書かれた立札がある。
「あった、あった・・これかぁ~、問題のお地蔵さんは」
そう言ってまずはお地蔵さんに合掌し、それから周囲を見回り怪異の探索を始める。
石造の裏手に回ってみると何やら黒っぽい靄が横たわっている。次第にその靄がかすかに人の形に見えてくる。
「あんた、わしらが見えるのかい?」突然声が聞こえてきた。
「わっ、幽霊がしゃべった~!」
「バカ者め! わしらは幽霊じゃないわい。ここの味噌舐め地蔵じゃ!」
と辰也を窘めるが、何か様子がおかしい。
「す、すいません。私は高草木辰也と言います。ところで、お二人とも大丈夫ですか?具合悪そうですけど?」
だらしなく横たわる味噌舐め地蔵に心配になった辰也が問いかける。
「あたしらはこのところの猛暑、酷暑で熱中症になってダウンしておったんじゃ」と、婆さんがやっと呟いた。
「え? 熱中症のお地蔵さんなんて聞いた事無いぞ~~! 水分不足ですか??」
「いやいや、塩分不足じゃ。わしらは“味噌舐め”なのでいくら塩分があっても構わんが、味噌が無くなり塩分不足の上にこの暑さで熱中症になってしまった」
「え、じゃぁ味噌があれば元気が出るの? ちょっと待ってて、そこのスーパーで味噌買ってくるから!」
「すまんのぉ~~!」
辰也は急いでスーパーに行きパック入りの味噌“料亭の味”を買ってきた。パックを開け、地蔵の口にたっぷりと塗ってあげた。
「お~~ 婆さんや、わしゃ生き返ったぞ! 美味いの~~“料亭の味”」
「はい、おじいさん。あたしも久しぶりに生き返りましたよ!」
辰也の買ってきた味噌をたっぷりと味わって、二人はやっと息を吹き返した。そして、何故味噌が無くなって塩分不足になったのか、辰也の問いに少しずつ話始めた。
「昔は良かった、いろんな人がお参りに来ては味噌を塗ってくれたのでいつも味噌だらけじゃった。味噌に困ることなど無かったんじゃが、時代と共に医学も発達してわしらに対する信仰心も廃れていったのじゃ。お参りに来る者も減り今では近所の数人の年寄りだけになってしまった。わしらの力は人々の信仰心じゃ、それが無くなれば自ずと力も弱まりいずれは消えてなくなる運命じゃ」
「え~~、爺さん淋しい事言うなよ!」
「仕方がないんじゃよ、時代の波には勝てん。じゃが、それだけではないんじゃよ。この先に墓地があるじゃろ、その奥に無縁仏を弔った墓がある。殆どの仏は“往生”して行ったが、この世に未練を残して往生せずに此処にしがみ付いている者がおる」
「ふ~ん、まだ“成仏”してないなんてよほど心残りがあるんだね」
「いやいや、成仏はなかなか出来んよ。成仏とは悟りを開いて仏、つまりブッダになることじゃ。ブッダになった者だけが涅槃の境地に入れるのじゃ。それはなかなか難しい、だから大抵の人間は死んだら極楽浄土へ往生するのじゃ。往生とは生まれ変わることじゃよ。極楽は天国のようじゃが天国ではない、悟りを開くために仏道の修業をするために用意されたとても良い世界なのじゃ」
「へ~、なんだか難しくてややっこしいなぁ~」
元気を取り戻した婆さんも怒り心頭と言った感じで話始める。
「とにかくその往生しとらん“ろくろ首”のバカ女が悪いんじゃ、まるで泥棒猫みたいにあたしらの大事な味噌を舐め盗ってしまいやがる。お陰であたしらはこの有様じゃ!」
「ろくろ首?? ろくろ首って人を襲って血を吸うんじゃないの? 味噌を舐めて横取りするろくろ首なんて聞いた事無いなぁ~??」
[ろくろ首]これには諸説あって種類も様々なようである。怪談話の為に創作された物だとか女性の怨念がこの世にとどまり具現化したもの等様々だが、大別すると2つのタイプに分けられる。
胴体から首が抜けて彷徨い人を襲って血を吸うとされる抜け首型、これがろくろ首の原型とされている。
もう一つは胴体から無制限に首が伸びるタイプで江戸時代以降の文献に多く見られるそうだ。
話をしているうちに周囲は真っ暗になり夜も更けてきた。
「味噌も貰ったことだし、今夜あたりは味噌の臭いを嗅ぎつけてあのろくろ首がやって来るぞ!」と爺さんが呟く。
「じゃあ、俺もここでそいつが出てくるのを待っていよう。このままじゃ爺さんたちが可哀想だ! ところでお地蔵さんなのに悪霊を何とか出来ないの?」
「わしらは味噌舐め地蔵じゃ、人の病を治すのが仕事で悪霊退治をする力は持っておらんのじゃよ!」
三人がそんな話をしながらろくろ首が出てくるのを待っていると、何処からともなく辺りに生暖かい風が吹いてきた。
「いよいよ来るぞ!」
そう言って爺さんが墓の方を指さすと、案の定墓がある左手の方角からろくろ首が現れた。怨念のこもった醜い顔の女は髪を振り乱し、口は大きく裂けて長い舌を出しながらまるで蛇の様に首をくねらせて這って来る。顔の半分程が焼けただれた痣の様になっていて実に醜く恐ろしい顔だ。真っ赤になった目を大きく見開きまさに妖怪そのものだ。胴体は墓に置いてきたのか、抜け首型のろくろ首である。
「とうとうやって来たな!」
爺さんがそう言って三人は身構える。女の首は石造に巻き付くようにまとわりつきお地蔵さんの口のあたりの味噌を長い舌でぺろぺろと舐め盗って行く。三人が様子を窺っていると女は気配に気付きこちらを覗き込む。
「何だ、お前らは!」女は恨めしそうに言う。
「このバカ女め! わしらの大事な味噌を盗みおって、今日と言う今日は許さんぞ!!」
元気が戻ったおかげで爺さんブチ切れだ。婆さんまでもが煽り始める。
「あたしらの味噌を返せ! こんな悪さをするならその首へし折るぞ!!」
女は「フフフ・・」と薄ら笑いを浮かべてから言った。
「やれるものならやってみるがいい、お前らは病を治す事しか出来ないくせに。文句を言うならお前らを味噌漬けにして食ってやる! 味噌漬け地蔵だ!!」
「ヒェ~~、恐ろしや・・・」
お地蔵さんたちが怖がって辰也の後ろに隠れる。 いよいよ辰也の出番である。
「味噌ならまだたっぷりあるぞ! 欲しいかろくろ首?、盗れるもんなら盗ってみろ!」パックの料亭の味をこれ見よがしに見せびらかしながら辰也が煽る。
「人間のくせに生意気な、お前も地蔵と一緒に食い殺してくれるわ!」そう言って女が三人に襲いかかって来る。
「おりゃ~~! カン! コン!・・・」女が何度襲いかかって来てもはじき返される。辰也の周りには強力な龍神の結界が張られていて、ろくろ首は入り込むことが出来ない。
「どうしたろくろ首、口ほどにもない奴じゃ。味噌はここにあるぞ、盗れるものなら盗ってみろ!!」
震え上がっていたお地蔵さん達もろくろ首は手が出せないとわかると調子に乗って煽り始める。女は怒り狂って何度も何度も襲いかかるが全く歯が立たない。流石に龍神の結界だけあって幽霊ごときでは全く相手にならないようである。
女は怒りのあまり何度も襲いかかって見たが、とうとう疲れ果てて倒れて横たわってしまった。頃合いを見計らって辰也が声をかける。
「ろくろ首、そんなに味噌が欲しいなら一口食わせてやる。その代わり何故こんな悪さをするのか訳を聞かせてくれ!」
そう辰也に促され一口味噌を貰って落ち着いてから、女は少しづつ事の顛末を話始めた。
つづく
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