第3話 また会えたね

 八月十四日、お盆も中日を迎え、藤田家には続々とお客さんがやってきた。

 挨拶回りに訪れる人達は、暑い中、一日で何軒もの家を訪れるので、それはそれで大変であるが、ひっきりなしにやってくるお客さんを相手にする両親も大変である。両親が来客の応対で大変な中、健太郎はスマートフォンでゲームを楽しんでいた。

 そんな時、健太郎の部屋のドアを叩く音がした。ドアを開けると、外にいたのは母のりつ子だった。


「ねえ、健太郎、悪いんだけどさ、今から、魚を釣ってきてくれる?」

「な、何だよいきなり、しかも釣って来いって、本気ですぐ釣れると思ってんの?」

「町議の斎藤さいとうさんから、これからこの家に来るって連絡があったんだよ。斎藤さんは川魚が好きなんだよね。特にコイとかが好きなのよ。だからさ、すぐ近くの川で釣ってきて?ね、お願い」

「コイ!?そんな簡単に獲れるわけないじゃん。幸次郎は?あいつなら、釣りがすごく好きなはずなんだけど」

「幸次郎は、高校の同級生と真昼間から宴会だよ。まあ、年に一、二回しか会えないそうだから、しょうがないんじゃない?」


 こんな時に限って、一番頼りになる幸次郎がいないなんて。彼は普段は威勢が良いが、こういう時には本当にあてにできない。


「わかった、わかったよ。おふくろ達が崇めたてまつるセンセイのためと言うならば、しょうがないよね」

「がんばってきてな。できれば、大きい奴をたのむよ」

 りつ子は、大きな歯を出して笑いながら幸次郎の背中を叩いた。 


 健太郎は物置から、幸次郎と一緒に良く釣りに出かけた時に使っていたルアーとクーラーボックス、胴長を取り出すと、帽子と手ぬぐい、冷えたミネラルウォーターを持って、とぼとぼと家を出て行った。


 行く途中、家の近くのコンビニに立ち寄り、川魚用の餌を買った。昔は町内に釣具店があったものの、数年前にご主人が亡くなってからは廃業し、コンビニがその跡を継ぐかのように餌の販売を始めた。

 コンビニで川魚の餌になる虫を買うと、健太郎はそのままコンビニの横から草むらを滑り落ちるように堤防へと下り、堤防を少し歩いて堰になっている所にたどり着いた。

 魚たちは、急峻で角度のある堰を上りきれず、堰の真下の水深がやや深くなっている場所に群れて泳いでいる。

 健太郎は、汗をぬぐいながらルアーを立てかけ、餌を仕掛けると、釣り糸を川の中へ投げ込んだ。

 真夏の太陽が頭の真上からジリジリと、頭を焦がすかのように照り付けてくる。

 夏の川釣りは、暑さとの勝負である。そして、隙あらば刺すぞとばかりに集り寄ってくる、蚊や蜂たちとの格闘である。


 一時間近く釣り糸を垂らしているものの、なかなか成果が上がらない。

 おふくろの言うような大きなコイは期待しないから、せめて小ぶりでもいいから何かかかってほしい。

 そんな切羽詰まった気持ちで堤防に座っていたその時、堤防の上の方から、健太郎に向けて誰かが語り掛けてくる声が聞こえた。


「成果はどうですかあ~?何か釣れたかな~?」


 コンビニの辺りから、麦藁帽子をかぶった、背の高く髪の長い若い女性が、手を振ってこちらを見ていた。


「奈緒さん?」


 健太郎は、驚いた表情で大きく目を見開いた。麦藁帽子に顔が隠れてあまり良く見えないが、声の特徴からすると、間違いなく、奈緒だった。


「そっち行ってもいい?一緒に釣り、やってみたい」

「いいけど、虫とかヘビとかいるから、気をつけて来いよ」

「大丈夫よ。平気だよ」


 奈緒は、草むらをスタスタと駆け下り、あっという間に堤防に足が着くと、少しよろめきながらも堤防の上を歩き、健太郎の隣にたどり着いた。

 奈緒は、アメコミ風の派手なイラストの入ったタンクトップに、デニムのショートパンツ、そして素足にサンダルというラフな出で立ちだった。


「バカだな。そんな恰好で釣りなんてしたら、日焼けするし、虫に刺されるし、あとで大変な思いをするぞ」

「いいのよ。私、日焼けしても虫刺されても全然平気だから」

「いや、普通は気になるでしょ?虫除け貸すから、ちゃんと体中に吹き付けておきなよ」

「私、全然平気なのに……でも、気遣いが嬉しいから、ちょっと借りるね」


 そういうと、奈緒は体中に虫除けのスプレーを吹き付けた。


「これ、ありがとう。じゃ、私にも早速釣らせて」

「釣り竿はこのまま動かさなくて大丈夫だよ。糸がぴくっと動いたら、このリールを時計回りにグルグル動かすと、糸が上がっていくから。ただ、大物が来たら、一人じゃ無理だから、俺のこと呼んでね」


 健太郎は、奈緒に釣り竿を渡すと、奈緒は直接自分の手で竿を持ち、糸を思い切り振り上げ、川の中に入れ込んだ。初めて釣りをやるにしては、ずいぶん手慣れた手つきである。


「健太郎さん、今日は、何を狙ってるの?」

「うーん……できればだけど、大きめのコイかな?」

「コイかあ。よーし、私、釣り上げるからね」


 そう言うと、奈緒は釣り糸を水底の方へ入れ込んでいった。

 魚の影が水面からも見えるが、なかなか餌に食いついてこない。


「ほら、難しいだろう?小さい頃から釣りをやってたこの俺だって、簡単にかからないのに」


 すると、突然、釣り糸が下の方からぴくぴくと動き始めた。そして、糸はどんどん水底の方へと強い力で引っ張られていった。


「やだ、どうしよう?何かかかってる!すごい力!」

「奈緒さん、リールを巻いて!時計回りにリールを回して!」


 奈緒がリールをぐるぐると回すと、糸はどんどん上に上がっていった。しかし、獲物の食いつく力が強く、糸がまた徐々に下の方へ引きずられていってしまった。

 このままでは、釣り竿だけじゃなく、奈緒も川の中に引きずり込まれてしまう。


「奈緒さん、あぶない!俺が手で竿をこっちに引き寄せるから。奈緒さんはそのままリールを巻き付けて!」


 健太郎は、両手で竿本体を引っ張り、奈緒はリールを巻きつけて糸をグイグイと上へ引っ張り上げた。すると、とてつもなく大きなサイズの魚が、水面の上に姿を現した。


「わわわ、デカい!よし、そのまま竿をこっちに引き込むから、奈緒さんはグッと竿を掴んでいてね」

「う、うん!」


 健太郎は竿を強く引きよせて、何とか竿が水中に落ちるのを防いだものの、勢い余って堤防に倒れこみ、奈緒も、健太郎の上に倒れこんだ。


「キャアア~!痛い!」

「ごめん、痛かった?」

「ううん、私は大丈夫。それより、魚、無事に釣り上げられたみたいだよ」


 健太郎が、倒れたまま堤防の上を見やると、釣り上げた大きな魚が堤防の上に落ちていた。


「すげえ!こんなでっかいコイ、生まれて初めて見たよ」

「やったあ!すごいな、私」


 奈緒は、ガッツポーズをしながら、自分で自分をほめていた。


「これ一匹獲っただけでも、おふくろ喜ぶな。ありがとう、奈緒さん」

「いやいや、本当に偶然だよ。ビギナーズラックってやつだよ、きっと」


 奈緒は、苦笑いしながら、カタカナ語を使って照れ隠ししていた。


「奈緒さん、釣りが始めて経験にしては、手慣れた感じがするけど。小さい頃にやってたんじゃないの?」

「お父さんが釣り好きでね。日曜になるとお母さんに睨まれつつも、よく川に釣りに行っててさ。私も連れてってもらったことがあるんだ」


 奈緒はそういうと、ニコッと笑い、釣り糸を再び川の中へと放り投げた。


「釣りって楽しいよね。どうやって仕掛けるか、今日は何が釣れるのか、考えるだけでワクワクしちゃうんだ。あ、また糸がグイグイ引かれてる!」


 今度はそれほど大物ではないようで、引きも弱いようであるが、奈緒は必死にリールを回して、獲物を引き上げていた。すると、今度は大きめのアユが姿を現した。


「すごい!やったあ!」


 奈緒は、子どものように手を叩いてはしゃぎ回った。

 その後も、奈緒は次々と獲物を釣り上げ、終わってみれば、コイ、アユ、イワナの合計五匹という大漁ぶりであった。


「奈緒さん……ひょっとして、本当は凄腕の釣り師なんじゃ?」

「やだあ、そんなわけないじゃん。たまたまだよ、本当に」


 奈緒は恥ずかしそうに否定していたが、初めてにしてはなかなかの腕前である。


「うちじゃ、こんなには食べきれないよ。アユとイワナは、奈緒さんの家に持って帰ったら?」

「ううん、いらない。私は一人だから、こんなに食べきれない。それに私、料理なんてしないから」


 奈緒は、ちょっぴり寂し気な顔つきで、つぶやくように話した。


「そうなんだ、じゃあ一人でこの町に暮らしてるんだ?」

「うん、まあね。そんなことより、もう夕方近いし、健太郎さんの家で今日釣った魚を夕飯に出すんでしょ?だから早く帰らないと、ね?」


 奈緒は、持っていた釣り竿を健太郎の手に戻し、背中を押して早く帰るよう急かした。どうしてこの田舎町でひとり暮らしをしているのか、そして、どこに暮らしているのか?色々聞いてみたいことはあるけれど、奈緒はあまり聞かれたくはない様子だったので、健太郎は聞きたい気持ちをグッと抑えて、奈緒に背中を押されながら堤防の上の斜面を駆け上がった。

 西の空には濃いオレンジ色の夕焼けが広がり、ひぐらしの鳴き声が響き渡っていた。


「やばい、帰らないと、センセイがもう我が家に来てるかもしれない。おふくろに怒られちまう!」

「ほらほら、家の人達、健太郎さんの釣りの成果を楽しみに待ってるんでしょ?急いで帰りましょ」


 そう言うと、奈緒はコンビニから昨日健太郎と一緒に歩いた道を、一人でズンズンと先に歩いていった。

 健太郎は長靴を履いていることもあり、奈緒の歩くスピードについていけず、だんだんと遅れをとっていった。

 そして奈緒は、昨日二人が別れた、石垣に囲まれた小径の所で歩みを止めた。


「ところで、明日はどっかへ出かけるの?」

「明日は町の盆踊り大会の手伝いに呼ばれてるんだ。この町は若者が少ないから、お前も手伝えって言われてて」

「あははは、かわいそう。私も見に行きたいな。何時からやってるの?」

「夜七時過ぎくらいかな?」

「わかった。じゃ、行ってみよっかな。またね」


 そういうと、奈緒はニコッと笑って、小径の奥へと走り去っていった。そして、いつの間にやらその姿は全く見えなくなってしまった。


 健太郎は、実家に戻ると、りつ子が手を腰に当てて、足を踏み鳴らしてイライラした表情で玄関先に立っていた。


「健太郎!何時だと思ってんのよ。斎藤さん、もう来てるのよ。おもてなし、何も準備できてないんだけど、どうしてくれるのよ!」


 隣の家まで響き渡るような鋭い金切り声で、りつ子は健太郎を怒鳴りつけた。


「おふくろ、遅くなってごめん。とりあえず、これ、今日の成果ね。リクエストのコイも釣れたよ」


 そう言うと、健太郎は魚たちで埋め尽くされたクーラーボックスを、りつ子の前でパカっと開いた。

 その瞬間、りつ子の表情が固まった。


「こんなに釣れたの?すごいね、あんた。幸次郎ならともかく、あんたはこんなに、釣りが上手かった?」

「まあ、俺もやればできるってことだよ。あまり見くびるんじゃねえよ。」


 そう言って、作り笑いしながら、親指を立てた。本当は、奈緒のお蔭なわけで……とりあえず、それは内緒ってことで。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る