第8話
駅前の広場でギターを背負って、俺は立っている。いつになく、俺の体はガチガチに固まっていた。緊張からだ。
何故、俺がこんなことをしなければいけないのか。それは、全部天町さんが音楽を始めたからで、音楽をやめたからだ。本当に、面倒事に首を突っ込んでしまって、いや突っ込まされて、迷惑する。これだけやって、それでダメだったなんてなれば、それこそ愛風にも落とし前を付けてもらわないと、割に合わない。これから、俺は、嫌でも知らない人の目に入るような、馬鹿みたいに目立つことをするわけだ。
道具は準備万端。後は、愛風さんが来るのを待つだけ。そして、待ってる間にだんだんと、緊張感が増してくる。もう、早く今日が終わって欲しい。
「あ、いたいた」
「もう、集合時間は過ぎてるんだけど」
「ちょっとくらいいでしょ? バイトじゃないんだし」
愛風はそう言ってから、周りを見渡した。周りには既に1人、路上ライブをやっているみたいで、ギターを持って、テレビで聞いたことのある歌が聞こえてきた。
「んー、既に人がいるかー」
「マジかよ。早く帰りたいんだけど」
……なんて言ったとしても、やるしかないのだが。
「他の人がいた方が熱いでしょ。やるぞってならない?」
ならねぇよ。
「あそこで弾く?」
といって、愛風さんが指をさした場所は路上ライブをしてる人の真正面だった。
「馬鹿を言うな。離れた場所でいいよ。あそことか人が少ないし」
流石に、真っ向から対抗しようなんて気はサラサラないので、相手の気に触らないように、離れた場所を指した。
「じゃあ……そこにしようか」
不服そうに見えるが、それは意味がわからない。そもそも、今回は敵を作る必要も無いのだ。ただ1人、天町さんだけに聞こえてくれれば、それだけでいい。それに、ある意味これは本番に限りなく近い準備段階とも言える。しっかり外の場に慣れた上で、自分の曲を天町さんに聞いてもらう。それが、最終的な目標だからだ。
と言って、愛風さんはギターのチューニングを始めた。俺も遅れて、ギターのチューニングをした。
夏休みに入ったとはいえ、平日だ。子供は遊んではいるが、大人は仕事で忙しい。少し遅い時間だが、スーツで歩いている姿が多く見られた。
「本当に、天町さんは来るの?」
「大丈夫だよ。この周辺で遊べる場所なんて、碌なところないし」
おい、地元を馬鹿にするな。
「江草くんからしたら、今日いきなり来ちゃうのは逆に不味かったりするんじゃない?」
「いや。外でやるんだから、見せられるように練習はしてた」
「そっか。なら早速やろうか」
心を整える準備も無しに、愛風さんはギターを弾き始めた。多分、ギリギリまで躊躇うことを分かっていたのだろう。現に、俺は深呼吸が……とか適当に誤魔化して、時間を引き摺ろうとしていた。天町さんの為だからと割り切ったつもりでも、やはり心の中では逃げたくて堪らないのだ。
愛風さんの前奏に合わせて、何とかギターを弾いた。そして、俺は大して上手くもなく、下手でもない声で、30分の間歌った。
「見てこれ。もう私、音楽なんてやらない」
薄暗い、ぼんやりとした夕日が、ギターを鈍く色付けていた。オレンジ色の光は、天町さんの瞳に映ることは無い。
「天町さん、どういうこと?」
「もう、何もかも終わりにしたい。音楽の所為で、私は人を不幸にして、人を巻き込んで。そんな中で、私が音楽を続けるのなんて間違ってるし、私だってもうたくさんなの!」
口が石のように固く閉ざされ、動いてくれない。俺が音楽を辞めるとかならなんとも思わない。でも何故、天町さんが? 些細な言葉だ、あんな言葉気にしなければいい。見返してやればいい。最初、河原であった時はそのくらい真っ直ぐで、勢いがあった。それがなんで――
「天町さん、まだ」
「――やめて」
「いや、だから」
「――1人にさせて」
俺はそれ以上何も言わなかった。言う気にならなかった。
「――江草くん?」
「え? ……ああ、なに?」
「なんかぼーっとしてるみたいだったから」
愛風さんは既に片付けを終えていて、残っているのは俺のギターだけだった。俺はそのギターをさっさとケースに仕舞った。
「いや、なんでもない」
「やっぱり向こうの人が目立っちゃって、こっちは全然だね。もっと惹き付けられるようにならないと」
俺としては、あんまり人が集まって欲しくないけど。でも、そのくらい出来ないと、人の心を変えるなんて、できっこないのかもしれない。
「まあでも、見られている気がしなくても、意外と見てくれる人はいたりするものだと思う」
「なにそれ?」
「さぁな。それより、急いだ方がいいんじゃない? 店番があるとか言ってなかっだけ」
「そ、そうだった。やば、もうこんな時間。じゃあまた!」
愛風さんは、時間を確認するなり、慌てて走り出した。あの母親のことだ。間に合ったとしても、時間ギリギリなら説教するつもりなのだろう。その様子が容易に想像出来る。
そういえば、さっき愛風さんはもっと人に見て欲しかったとか言っていたが、ライブハウスと比べると、物足りないのだろうか。
でも、個人的には今回は成功と言っていい。禍根は早めに断っておいたほうが、後々楽になる。
「――あんた、あいちゃんと何してたの?」
緊張感が漂う。胃薬の準備はしてある。大丈夫だ。
「それより、俺、名前知らないからさ。名前、教えて欲しいんだけど」
「古原桜」
「古原さんか。俺は江草聡文。さっき、愛風さんと路上ライブしてたんだ。古原さんはそういう話、聞いてなかった?」
「……」
古原さんは無言だった。どうやら、愛風さんはバンドメンバーに俺のことを伝えていなかったようだ。
「別に、俺はバンドを邪魔しようとか、そういうことをしたいんじゃない。天町さんに、また音楽を始めて欲しいだけなんだ」
「それで……そらちゃんがまた音楽を始めたとして、貴方は何がしたいの? それで終わり?」
その一言で、俺はハッとなった。そういえば、俺は何がしたいんだろう。音楽を始めて欲しい、それは本心からの言葉だ。
「それで、あなたは満足して、終わり? 勝手に居なくなって、それでそらちゃんは幸せだと思う?」
だが、その後のことなんて、何も考えてなかった。本当にしたいことってなんなんだろうか。俺がここまでしようとしたのは初めての事だ。だから、絶対に俺がしたい理由もどこかにある。
古原さんの言葉が、一つ一つ鉛のように重くのしかかる。それは多分、実際に天町さんがいなくなった時の、本心だったからだ。
「私は、そんな理由もわからないような人に、そらちゃんは預けたくない」
「……そんなに大事なら、なんであの時キツく当たって――」
「だからって恨んでないわけじゃない。自ら出ていった人がこそこそ戻ってくるのは気に食わない。もうそらちゃんの居場所はここじゃないから。それだけ」
その声は冷たかった。天町さんのことを気にかけている素振りを見せながら、こうやって冷たい言葉で突き放す。
「――それに、居場所を作るのは……私の役目じゃないから」
「え?」
「なんでもない」
そう言って、古原さんは急ぎ足でどこかへ行ってしまった。いまいち、掴みどころがない人だ。結局の所、天町さんのことをそこまで根に持っているわけでは無さそうだ。
最後の一言なんて、全てを恨んで、憎んでいるのなら、言えるはずの無い言葉だ。
「居場所を作るのは私じゃない、か。」
それなら誰だろう。俺か? なんて、調子の乗った言葉が浮かぶが、やっぱり愛風さんが適役なんじゃないかって思う。適材適所は大事だ。冷静に考えれば、あんなにも天町さんのことを考えられる人は居ないから、答えは明白だ。
……だが。
「譲りたくはない、な」
そこまではいかないにしろ、自分がって思いはある。また、音楽を一緒にやりたい。多分、本心はそれだ。
『伝えたいことを書けばいいんだよ』
……そういえば、天町さんほそんなことを言ってたっけ。伝えたいことを見つけるのに、かなり遠回りをしてしまったみたいだ。
まだ、歌詞には改善の余地がある。いや、全部書き直そう。今のままじゃ、俺の気持ちを伝えられない。もっと単純に、ストレートに、飾った言葉なんて書かなくたっていいのだ。今までのカッコつけた、なんか良さそうな言葉より、ただ本心のままに書いた言葉の方がいいに決まってる。
少しだって、偽物の気持ちなんて書かない、俺はこの歌詞に真実を、本心だけを書く。
この先なんて、全く分からない。何が起きるのかなんて分からない。分からなくて、いいのだ。ただ自分の赴くままに、ただ筆を書き進めればいいだけ。そうとなれば――
「動くだけじゃねーか」
今からパソコンを起動なんてしたら、今の熱が冷めてしまう。近くのベンチに座り、早速スマホを開いて、メモ帳に書き連ねた。
全く、俺のキャラじゃないな。こんな、堂々と自分のことを喋る文章は。だけど、妙にしっくりくる文章だ。
とにかく、夏の情景と俺が感じた音楽への気持ちを歌詞に詰め込む。ついでに愛風さんにも歌詞はできたと連絡をしておく。フライングだが、もうゴールは目の前だ。構わない。
「……できた」
今までダラダラと時間を掛けた割には、書き直しから一瞬で完成してしまった。半分勢いのおかげだ。
これが、この歌詞が、音楽になるのだ。愛風さんと、俺……いや、違う。
一言だけ、愛風さんに追加で送っておいた。
(俺、天町さんと歌作ってくる)
その返信に、愛風さんはクマがサムズアップしているスタンプを送ってきた。
ここからは、全部俺一人でどうにかする事だ。心配と、焦りばかりが募るが、それでもやらなければならない。俺は、また天町さんと音楽がしたいから。
やっと、やるべきことが決まった。
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