きみの音楽になりたい
いちぞう
第1話
「
変わった自己紹介だな。と、俺は思った。自己紹介なんて、大体の人が抑揚のない声で名前を言って終わりで、自分のことを語ろうとする人はいなかった。なんだよ、ナマコって、食べたことがある時点で驚きだ。
その少女はサラサラと透き通るようなミディアムヘアで、ハキハキとした声。まるで漫画の主人公のようだった。
「じゃあ、一番後ろの席窓側の空いてる席に座ってください」
「はい!」
朝から元気なことだ。気付けば日が昇ってるなんてことが日常茶飯事な俺にとって、その声は頭に痛い。
天町は、俺の席の隣を通り過ぎて、2つ後ろの席に座った。
「まだ慣れないと思いますので、皆さん助けてあげてくださいね。では、チャイムがなるまで休憩していてください」
担任の後藤先生が席を外すと、クラスの人たちは男女問わず、砂糖に群がるアリのように天町の元へと集まってきた。まあ、元気で美少女な転校生って考えれば、この反応は分からなくもない。
だが、何故だろうか。あの笑顔は少しぎこちない気がした。無理矢理にでも元気に振る舞って、そして感情に逆らってまで笑顔でいる意味が、俺にはわからなかった。
考えたところで、俺には関係のないことなので、俺はその考えを振り払い、授業の準備をした。その後、スマホを取り出して、小説サイトを開いた。
俺は高校になっても、やりたいことが見つからなかった。皆、将来はこんな仕事に付きたいだとか、趣味はこれだから、仕事の合間にこんなことをしたいだとか、実現できるからともかく、大体の人はもう、未来の設計は出来ていた。
でも、俺はいつまでたっても、やりたい仕事も、趣味も見つからなかった。見つけようともしなかった。
それで、始めたのが小説を書くことだった。別に、小説を書くことが楽しいわけでも、小説を書いて飯を食べていこうしていたわけでも無かった。手っ取り早く何もしていない自分から逃げられるから。出口の見えない樹海から外へ出られるから。そんな、中身のない気持ちだった。
だがこれが、案外長く続くものだ。気付けば俺の小説に、ぱらぱらと感想が届くまでになった。その小説を、いつも授業を放って書いていた。ノートを書きながら、片手間にスマホを弄るのがマイブームだ。
放課後が来れば、寄り道をすることもなく一直線に家へ帰る。そして、自分の部屋に閉じこもってひたすら小説を書いた。
今日も、いつもと同じ事をしかしないつもりだったが、転校生が来て教室の雰囲気が変わったし、少し寄り道をして帰ろうと思った。図書館で本を読んだ。
文章を書くというのは、難しい。正解が何だか分からない。だからこうして、本を読んで理解しようとした。正解が何なのかを。
夕日の河川敷を、ゆっくり歩いていった。少し遠回りだが、俺はいつもこの道を使っている。
この道は、いつも変わらない風景だ。駆けていく小学生や、自転車で追い抜いていく制服姿。半袖半ズボンのランナー。心地よく吹く風。ここだけ時間が止まったみたいで、俺の好きな場所だ。
だが、今日はいつもと違った。いつも見かけない人がいたのだ。
アコースティックギターをギターケースから出し、抱えて、堤防の芝生で、弾くことも無くただ座っている人がいた。その後ろ姿は寂しそうで、孤独という文字を伝えるならこのような状態をいうのだろう。俺はその人に見覚えがあった。
「天町……さん?」
俺がそう呟くと、ハッとなってこっちを振り向いた。その瞳には涙が浮かんでいた。教室で見せた姿とまるで違う。
天町さんは俺の姿を見て、慌てて目頭を擦る。
「えっと、同じクラスの」
「江草。江草聡文」
自分の存在を覚えてくれて少し嬉しかった。どちらかと影が薄い方だから、一日で顔を覚えてくれるとは思わなかったのだ。
「あ、江草くん」
「何?」
「その……今見たことは、秘密にしておいてくれない、かな」
俺から目を逸らして、俯き言った。
「大丈夫。誰にも言わない」
俺がそう言うと、天町さんは少し表情を和らげた。
「ありがとう」
俺は、少し間を空けて、天町さんの隣に座った。近くでギターを見たのは初めてだった。大きくて、持ちにくそうだ。それにかさばりそう。軽音部はこれを毎日学校に持っていくのだと考えると、軽音部なんて入らなくてよかったと思う。そもそも、馴染める気がしないし、万が一にでも起こらないとは思うが。
でも、そんなギターのボディーは夕日を反射させて、綺麗に輝いていた。
「天町さんは、ギターが弾けるんだね。いつからやってるの?」
「小学生の頃からやってたの。今はもう、こうやって外に持ち出しても、なんか弾けない」
天町さんは分かりやすく落ち込んでいるようだった。でも、学校にいるときより自然な表情だった。
「弾けない?」
「弾こうとすると、腕が動かなくなるの。それで、いつまでも弾けないままで……」
「ふでばこっていうバンドの名前、聞いたことある?」
「確か、隣の市の有名なインディーズバンドだったか。学生がやってるバンドで……」
そうか、だからあんなに人が集まってきたのか。
「そう。そのバンド、私達のバンドなの。小学校から友達とバンドを組んで、世界一輝ける凄いバンドになって、いつか大きいステージにいっぱい立ちたいって、始めた」
そこで、黙り込んでしまった。話そうか話さないか、迷っているようだった。
「別に、話さなくてもいいよ。初対面なんだし、わざわざ口に出すことは――」
そこまで言うと、天町さんは首を振った。
「江草くんが知っているみたいに、噂が広がるくらいには有名になったけど、でも、私はそのバンドから抜けた。逃げ出したんだ。私」
「転校した理由も」
「そう。無理矢理出てっちゃったから、もう、会いたくなかったし、突き放されちゃったから。もうギターも弾かないつもりだったけど、でもやっぱり弾きたくなった。でも思い出して、泣いちゃって。手も動いてくれなくて、弾けてないけど」
ポロポロと零れてくるその言葉一つ一つは、どれも重さがあって、俺が一つ言葉を発するのにも苦労するような話だった。
「だからこうして、弾きもしないのにギターを持ってるんだ」と、天町さんは力無く笑った。
「天町さんは、軽音部には入らないの? 趣味とかでも続ければいいのに」
「バンドは……ちょっとやりたくないかな。それに自然に弾けるときまで、このままずっと、こうしていようと思ってるから」
天町は吐き捨てるように言った。
「早くまた、音楽がやりたい。今度は自由に、楽しく弾きたい。でもさ、一人だととても出来そうにない」
一瞬、なら俺が……なんて言葉が浮かんだが、そんなことを言えるほど、強い心なんて持っていない。だから、その言葉は飲み込んだ。
「そうだ! だからさ、私がまたギターを躊躇わずに、楽しんで弾けるようになるまで、一緒にいてくれない、かな」
へ?
「急な話だな」
「嫌なら断ってもいいよ。でも、ここに来て友達になるなら江草くんがいい」
江草くんがいい。その言葉に少しドキッとしてしまった。夕日に浮かぶ笑顔に、少し惑わされてしまう。
「そっか。俺は暇だから。いつでもいいよ」
寧ろ、望んだことだ。本望ってほどでは無いけど、さっき飲み込んだ言葉が実現したわけだし。
「やった! じゃあ、連絡交換」
スマホの画面のQRコードを見せてきた。
俺はスマホに写して、友達追加した。早速トーク画面に、天町がスタンプを押していた。熊がサムズアップしているスタンプだった。
「可愛いでしょ。私の好きなキャラなんだ」
「いや、別に」
「えー。可愛いんだけどなぁ」
「感じ方は人それぞれだからな。悪くは無いと思うけど」
「うーん、まあいいや。今度は可愛いって言わせてやるから。あ、そろそろ帰るね、それじゃあ、また明日」
軽く手を振って、天町は歩いていった。
最後に見せた笑顔は多分、彼女本来の笑顔だったのだろう。学校で感じた違和感は無かった。
一人芝生の上に取り残された。そこはいつも通りの河川敷だった。立ち上がって、ズボンについた汚れを払った。坂になっているので少しよろけたが、ゆっくり登り、また川べりを歩いていく。
多分、天町さんの音楽は終わった。でも、それは全てが終わったわけではないはずだ。一つ池が干上がったって、近くにまだ絶えず水の流れ込む池があるかもしれない。そして、干上がった原因が、もう一つの池を作る為なのかもしれない。
だから、俺からしたら天町さんも、まだ始まってさえいないんじゃないかと、そう思った。
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