夏の隣
火球アタレ
彩芽side
「ごめん、待った?」
私――
「いや、今来たところだよ」
彼は何でもないことのように言った。本当に長時間待っていた様子がなさそうで安心する。今日、彼を誘ったのは私の方だから遅れるわけにはいかなかった。
夏らしい服がよく似合っている彼――
「今日はどこに行くんだっけ? ここってさ……」
「うん。私たちが初めて会った町」
私がそう言うと、彼は改めて辺りを見回した。
「もう一年前のことなんだよね」
「ああ、そうだな。あの時は大変だったよ」
遠い目をしている文也に私は少し笑ってしまう。彼の言うあの時のことを私はよく覚えていないけれど、この話をするたびに見せる彼の顔がいつもおもしろくてつい話を振ってしまう。
「君はさ……」
「?」
「……いや、何でもない」
彼は私の顔を何かを探るようにじっと見る。
「もう、何?」
「気にしないで。僕が間違ってただけだから」
彼は誤魔化して、
「それより今日はどこに行くの?」
話題を変えた。
「水族館だよ」
まだ、さっきのことは気になっていたが、あまりしつこく尋ねるのも嫌われそうで、追及するようなことはしない。
「……そうか。とりあえず、そっちに行こう」
彼は少し前を歩いて、目的地に向かって行く。私は文也の隣を歩いた。
こういう関係になるまでに私と彼は奇妙な時間を過ごしている。
◆◇◆◇
一年前の今日もとても暑い日だったことをよく覚えている。熱中症に注意が必要だとテレビの人が言っていて、私は水分補給に気を付けることにしていた。
母にもらった水族館の割引券を消費しようとこの町に向かったのだが、休日の朝の電車は混んでいて、駅を出た頃にはかなり消耗していたはず。
大体、どうして割引券を一枚だけもらってくるのか。母のこの行動は謎だと言うしかない。
とにかく、水族館への道を歩いていると、だんだんボーっとしてきている自分に気が付いた。水を買おうと近くにあった自動販売機に近寄ったところまでは覚えているけれど、私の記憶はその直後に途切れている。
次に記憶がはっきりとしているのはその日の夕方で私は公園のベンチに寝かされていて、その隣に文也がいた。
私が目を覚ましてからすぐに文也と今のような関係になったのかというと、そんなはずはなく、むしろ、最初私は彼のことを警戒していた。
私だって年頃の女の子だ。意識を失って、目覚めたときに近くに知らない男がいれば警戒するし、不安にもなる。眠っている間に何をされたかわからないのだから。
だけど、そのことは彼もわかっているみたいだった。まだ、状況が飲み込めない私に、
「大丈夫? ここで眠ってたみたいで心配だったからそばにいたけど……あっ、安心して。眠ってる間に何もしてないから!」
そう言ってくれた。
だけど、そんな当事者の言葉を簡単に信じる私じゃない。私が意識を取り戻し、落ち着くまで待っていてくれた彼に私は「お礼をしたいから連絡先を教えてほしい」というようなことを伝えた。連絡先を聞いておけば後々何か問題が発覚した時に、警察に通報しやすいと思ったから。
彼は全く迷う様子もなく連絡先を教えてくれた。それどころか、不安だろうからといって、住所や年齢、通っている大学まで教えてくれたのだ。
必要以上の情報を聞き出した私はずっと心配そうにしている彼に簡単にお礼を言ってとりあえずその場を離れた。
これが、私と彼の出会い。
◆◇◆◇
「着いたよ。水族館だ」
文也の声で私は視線を上げる。正面からのぞき込んでいる彼の顔は心配そうだった。
「大丈夫? しんどいなら言って?」
「え、なんともないよ」
「それならいいけど、君、ずっと黙ってたから」
一年前を振り返るのに集中しすぎたみたい。私は文也に心配ないと告げて歩き出す。文也も私の隣をしっかりついてきてくれている。
そのことに私はとても安心していた。心のどこかで私は文也が私を置いていってしまうのではないかと不安なのかもしれない。
二人でチケットを買う窓口に並んだ。前にいるのは二組だけだからすぐに順番が回ってくるはず。
短い待ち時間ではあるけど、なにか話をしないといけない気がした。
「ねぇ、文也ってさ、こういうチケットって捨てちゃう人?」
「そうだな……。場合によるかも」
「場合によるって?」
「その場所が楽しかったり、思い出深い場所だったりしたらチケットを取っておこうと思うけど、大したことないと感じた場所なら、そうは思わないかな」
彼は前のカップルに視線を向けたまま言った。文也は私と話すときこんな風に遠くを見て私の方を向いてくれない時がある。
「じゃあ、今日のチケットは捨てないでね」
私は文也の横顔を見て言う。私の方を向いてよ、なんて恥ずかしくて言えない。
そんなことを話してる間に私たちの番が回ってきた。
「二人で」
「はい。二名様ですね」
チケットを買って中に入る。ここは一年前に私が行こうとして行けなかった水族館。それがこうして文也と一緒に行くことになるなんてあの時は思いもしなかった。
「わぁ……」
館内に入ってすぐ、大きな水槽があった。大きな魚や小さい魚、いろんな形の魚が自由に泳いでいる。
「……すごいな」
文也も無意識にそう言っていた。確かにすごい……けど。私的にはもっと色とりどりのカラフルな魚が見たい。ここにいるのは、大体が青っぽい色の魚だった。
時間をみて、私は彼に声をかける。
「ねぇ、そろそろ次行こ?」
「うーん……わかった」
「何か考え事?」
「いや、何でもない。気にしないで」
「……そっか」
私たちは入口の大水槽から離れて歩き始めた。
私の隣に文也がいて、一緒に歩いている。
この状況に心が躍るようになったのはいつからだろう、と私はまた過去を振り返ってみた。
◆◇◆◇
私が文也と再会したのは、初対面の時から二週間が経った頃だった。
正直、絶対に何かあると思っていた。年頃の女の子が意識を失っているんだから、悪いことの一つや二つやってしまうはず。こう考えたのは、ドラマの見過ぎだったからかも……と、今になって思う。
二週間経って、何も問題が起こらなかった。
そうなると、彼に対する私の思いは警戒心から好奇心に変わった。
私は思い切って教えてもらった番号に電話をかけることにした。そのときの会話を今はもうよく覚えていないけど、私はたぶん緊張してたはず。
話の流れでもう一度会うことになって私と彼の初電話は終わった。
友達にその話をしたら、「彩芽の行動力にはほんと感心するよ……」って言いながら呆れられてしまった。
ともかく、私と彼は家から少し遠い駅の待ち合わせ場所で再会した。簡単な挨拶を交わして、あの時のお礼を伝えた。
私が長く喋りすぎたのか、彼は涼しいところで話さない? と、私は彼に誘われて近くのカフェに入ることになった。
そこで文也とはいろんな話をした。
とにかくたくさんのことを聞き出して、彼の人となりを知ろうとした。
喫茶店の中でもそれなりに話をして、話題も尽きてきた頃、
「「……あ」」
私と文也の声が重なった。
それに気づいて、お互いに顔を見合わせる。
「もしかして、君もこの曲を知ってるの?」
「え、文也君も⁉」
店内の有線放送で流れた一曲に私たちは同時に反応した。その曲の作曲者はそんなに知名度が高くなく、私の周りに知っている人はいなかった。
私と文也の音楽の趣味が同じ。
そのことに心が躍った私は二時間近く作曲者について語った。
「――こんなにあの人のことを知っている人がいるなんて思わなかったな」
「それは僕もだ。彼についてここまで語り合えるとは考えてなかった」
喫茶店を出るころには私たちはすっかり打ち解けていて、今度また会う約束までしていた。
「そうだ、僕のことは文也、でいいよ。君付けされると落ち着かないから」
「わかった、今度からそう呼ぶね」
駅前で別れる直前、文也はそんなことを提案した。私としては親しい呼び方をさせてもらえるのだから、断る理由はない。
簡単に別れの挨拶をして、その日はお開きになった。
それから、私と文也は何回も会って色んなところに遊びに行った。
◆◇◆◇
だから、そろそろ気持ちを伝えてもいい頃だと思う。
私が彼のことをどう思っているのか。……たぶん、言わなきゃ気付いてくれない。
もしかしたら、この気持ちに察しがついていて、あえて無視してるのかもしれないけど。それでも、言わなきゃダメだ。
――好きだ、って。
そのために私が選んだ場所は、
「この公園は……」
一年前、私が目を覚ました公園だった。
「どうしてここに?」
文也が不思議そうに聞いてきた。遊びのついでに立ち寄るにはこの公園はなんだか中途半端。
広くもなく、花がきれいに咲いているわけでもない。
それでも、私がここを選んだ理由は、やっぱり、出会いの場所だから。
あの時は私も混乱していて、まともな会話をする余裕はなかったから、文也との関係が始まった場所だとは言いにくいけど。だからこそ、私はここでもう一度新しい関係を始めたいと思ってる。
「今日は思い出巡りだから。伝えたいこともあるし」
文也の疑問の答えにはあまりなってないかもだけど、私はそう言って、大きく息を吸う。
緊張からか、鼓動が早くなってなんだか落ち着かない。頭もうまく回らなくなってるような気がした。
「……伝えたいことって?」
文也は私の方を真っ直ぐ見つめて話の続きを待っている。
「それはね――」
そこまで言って、急に力が入らなくなる。身体が思うように動かせなくなって、このままじゃ、倒れちゃうな、って他人事のように思った。
まだ、何も伝えられてないのに……。
私は気持ちを音にする前に、意識を手放してしまった。
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