第3話 一時の安らぎを

「はぁ、疲れた……」


 鳳城院麗華は、大師討ちや情報管理室から送られて来た定時報告書に目を通していた。最も、昼食を取ってから八時間連続で働きづめだったこともあり、身体に掛かる疲労は並々ならぬものになっていた。

局長としての職務がより多忙になったことで、休むことなく職務に従事しなければならなくなっていた。


「この量だと、後二時間位はやる必要があるかしら……?」


 そう言いながら椅子の背もたれに持たれながら伸びをした。すると局長室のドアが開き、麗華の夕食を持った薫が入ってきた。


「麗華。持ってきたわよ」

「ありがとう、薫」


 麗華の感謝の言葉を聞きながら、彼女のデスクに夕食のサンドイッチを置こうとする薫。すると麗華はデスク上の資料を引き出しにしまってスペースを作り、薫もそこに置いた。


「麗華、せめてご飯くらいは食堂で済ませるべきだわ。あなたはここ最近働き過ぎよ?」

「気持ちは分かるけど、これからのMASTERとの戦いを考えると、どうしても休むって選択肢を忘れちゃって……」

「私達もいるわ。あなたの仕事が忙しかったわ、その時はしっかり手伝うわ」

「そうするわ。ありがとう、薫」


 そう言いながら席を立ち、コーヒーサーバーの隣にある紙コップを手にしてコーヒーを注ごうとした麗華。するとその直後に麗華の身体は膝から崩れ落ちた。


「麗華っ!」


 突然の事態に慌てて麗華に駆け寄る薫。


「ごめんなさい、薫。やっぱり疲れてるみたいだわ」

「本当に、心配かけて……」


 不安げな表情でそう言いながら、薫は麗華の肩を抱いて彼女を立ち上がらせた。


「一人で立てる?」

「大丈夫、じゃないかも……」


 いつになく弱気な声でそう返す麗華。そんな彼女の頬を薫は左手で軽く撫でた。


「ちょっと、ソファで横になる?」

「お願いするわ」


 麗華の願いを聞き入れ、局長室のソファに横にしようとした薫。すると麗華が薫の隊服の裾をクイッと掴んでこう言った。


「……膝枕……」

「えっ?」

「膝枕、してくれる?」


 急に猫なで声で薫に甘え始めた麗華。


「……いいわよ。じゃあ一旦ソファに腰を下ろして」


 そんな麗華の甘えに、薫は微笑ましそうにそう勧め、薫もその隣に座った。麗華がこのように薫に甘えるのは高校生の頃からあることだが、新戦組として活動してからは珍しかった。


「ほら、おいで」


 そう言って薫は横に腰かけた麗華を誘い、麗華は薫の太ももに頭を下ろした。


「……あったかいわ。薫の太ももは本当に……」

「全く、こんなになるまで無理して。残りの仕事は私も手伝うわ」

「薫の仕事は?」

「今日の分は終わったわ。だからお気遣いなく」

「そう、良かったわ……」


 そう言いながら薫の髪を右手で優しく撫でる麗華。


「こうやって見ると、本当に薫って綺麗ね」

「なっ……‼」


 突然の麗華の言葉に戸惑う薫。


「ど、どうしたの麗華?」

「ううん、ちょっと、って言うか何となく」

「からかってるの?」

「半分ね」

「残りの半分は?」


 そう尋ねながらも、先程の言葉の余韻で徐々に頬を赤らめていく薫。


「本気。本当にあなたに恋人がいないのが不思議だわ。綺麗でしっかりしてて、こんな素敵な人、そうはいないのに……」

「れ、麗華、あなたって人はそうやっていつも……」

「ん? なあに?」


 とぼけたような表情になる麗華。実のところ、麗華は高校時代から真面目な薫をこのようにからかうことが多かった。そしてこうなると薫は麗華に翻弄されることが常だった。


「本当にあなたって人は……」

「だって、薫が可愛いんですもの」

「か、かかっ……」


 顔全体に熱が上って暑くなるほど赤くなる薫。既に麗華の小悪魔のようなからかいに完全に雁字搦めになっている。


「ごめんごめん。ちょっと調子に乗っちゃったわ」

「もう……」


 流石にからかい過ぎたと思った麗華は、微笑みながら薫に謝罪した。この手の流れは既に二人の間では最早恒例となっていた。


「でも、こんなやり取り、ここ最近全くなかったわね」


 解放された直後、未だからかいの恥ずかしさを感じながらもどこか懐かし気な表情でそうつぶやいた薫。


「そうね。総ちゃんが来た頃から私も忙しかったから、あなたとこうやってふざけ合うことはなくなってたわね」

「ええ。少しは心が楽になったわ。あなたの褒め殺しと言う名のクモの巣に掛からなくて済んだ、から……」


 麗華のからかいに対してそう言う薫だったが、その表情はどこか嬉しそうであった。


(本当は嬉しいクセに……)


 そんな薫の強がりとも言える表情に、麗華は未だ微笑み続けていた。


「でも、考えてみると今のあなた、沖田君の気分を味わってるんじゃないかしら?」

「総ちゃんの気分?」


 薫の言葉の真意を見抜けず、語尾を上げて言葉を返した麗華。


「あなたの膝枕よ。沖田君はいつもあなたの膝枕、と言うより太ももの感触を味わってたのでしょう?」

「そうね。でもここ最近のあの子は……」


 どこか寂しそうな表情になる麗華。


「そう言えば、今年に入ってからというか、全くあなたに甘えることがなくなったわね」

「第一遊撃部隊の司令官としての責任感が、あなたに甘えることを妨げてしまっているのかしら?」

「責任感や義務感が強いのは決して悪いことではないけど、もう少し自分に余裕を持ってもいいと思うわ。あの子は只でさえ自分に対して厳しいところがあるし……」

「そうね。その点は薫に負けず劣らずね」


 そう言って再び薫にいたずらっ気のある表情で尋ねる麗華。


「べ、別に、私はあそこまで厳しくしてるつもりはないわ」

「そうかしら? 高校時代も生徒会長の仕事をしてる時、結構無理してたことが多かったと思うけど? さっきまでの私と同じみたいに」

「……だからこそ、私はあなたが無理して欲しくなかったのよ。いつも無理して倒れそうになっていたように、それを今あなたがしていて……」

「でも、それであなたがどれだけ自分の仕事に対して責任感を持って行っていたのかがよく分かったわ。そしてそれがどれだけ大変なことだったのかも……」

「なら、これに懲りてもう無茶しないで欲しいわ。私としてもつらそうな表情のあなたを、これ以上みていられないわ」

「あら? それってまさか……告白?」

「こ、こくはきゅ⁉」


 急な麗華の言葉に言葉を噛んでしまった薫。またしてもその頬はまるで絵の具を塗ったかのように赤くなっていた。


「うふふっ! 本当に可愛いわ」

「ま、またそうやってあなたは私をからかって……」

「でも、時折見せるあなたのそう言うところ、男の人が見たらイチコロだと思うわ」

「それは……」

「大丈夫よ。薫みたいな女性を優しく包み込んでくれる男の人は必ず見つかるわよ」

「……そうね。でもそれは私達の義務を果たしてからよ」

「その通りね。だから薫。これからもう一度宜しくね」


 改まった態度で薫にそう言う麗華。


「勿論よ。だからこそ、少し休んだら食事をとって、私も手伝うわ。保志さんのご飯はいつも私達に力をくれるんですもの」

「そうね。明日お礼を言いに行くわ」


 そう言いながら麗華は徐々にうとうとし始めた。


「もう眠いんでしょ? 私も一緒に寝るから、起きたらもう一度始めましょう」

「そうね。じゃあ一時間後に再会しま、しょう……」

 そう言いながら麗華は薫の太ももで深い眠りに着いた。

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