第4話

「さて、あたしは晩御飯の支度しないとね。まあ、昨日作ったカレーの残りと作り置きのサラダと納豆で大丈夫ね」


 そう言いながらリビングの手前にあるキッチンに向かい、冷蔵庫の中から作り置きのサラダと納豆パックを取り出した。


「ああ。麗華ちゃんは納豆食べる?」

「えっ、えっと~……」


 返事に窮する麗華。実は麗華は納豆が苦手だった。触感やねばねばした感じが彼女の口に合わなかったからだ。


「苦手っぽいね。分かったわ」


 そう言いながら愛美は麗華分の納豆パックを冷蔵庫に戻し、ガスコンロに置かれている大鍋のコンロをつけ、カレー鍋を開けてお玉でかき回し始めた。


「それにしても、総次君って凄いですね」

「凄いって?」

「剣道ですよ。まだ始めて半年なのに凄い腕で……」

「おや? あいつと打ち合ったのかい?」

「ええ。今だから言えますけど、実はあの子とはさっき土手で会ったんですけど、あんな小さい子が一人で剣道をしてたのが珍しくて、それで……」

「声を掛けたんだね?」

「ええ」

「不審者に見られたでしょ?」

「ま、まあ。でも私が剣道をしてるって聞いたら、総次君が試合をしたいって言ってきたので、それで打ち合ったんです」


 実際は総次が可愛いからという理由で近づいた麗華だが、流石にそれは犯罪に聞こえると思ったのでなるべく避けた。


「それで、総ちゃんは君に勝ったの?」

「ええっと、総次君が怪我しちゃったので、持ち越しです」

「そう言えば、膝に絆創膏してたわね。君が手当てしたの?」

「ええ。怪我させちゃった責任は私にもありますし、申し訳ありません」

「いいのよ。それで、あの子はどう? 凄かったの?」

「打ち込みや竹刀の構え方を見てると、とても半年のレベルとは思えなかったです」

「アタシもびっくりしたわ。でもあの子、前から物事の学習能力と応用力が人並外れてたから、納得出来たわ。道場の人もあまりにも成長が早いからって、もう先輩との互角稽古も組んだみたいだし」

「それで全員に勝ったらしいですね」

「師範の人もあり得ないって驚いてたわ。百年に一人出るか出ないか位の逸材じゃないかって言ってね」

「本当にそう思いますわ」


 そう言って微笑みながら麗華はコーヒーを一口啜った。すると麗華は先程から気になっていたことを愛美に尋ねた。


「そう言えば、総次君はどうして剣道を習い始めたんですか?」

「元々侍とかに興味はあったみたいなんだけど、この前までやってた新選組の大河ドラマを見て、自分も剣道をやってみたいって言ったのよ。侍ってカッコいいって言ってね」

「そうなんですか。私も見ましたわ」

「そうなの? じゃあ総ちゃんとは話が合いそうね」

「ええ。あと、さっきの様子を見ると、料理もできるみたいですが……」

「うん。まだ簡単なものだけだけどね。サラダとかフレンチトーストとかだけど、それもやり始めて一年位よ。他にも入学前から国語とか算数とか、まだ習ってない筈の理科、社会、英語もやり始めてて、これも半年でもう中学生レベルってきたわ」

「は、半年で、ですか?」


 雪崩れ込むように総次の凄さを聞き、戸惑いと驚きを隠せない麗華。彼女の中では、総次が既に六歳児とは思えないポテンシャルを秘めていることに疑う余地はなかった。


「本当にとんでもない天才だわ。でも、だからこそこれからが大変になると思うわ」

「そうですか? そんな短期間でそこまで出来るって、手間が掛からなくていいと思いますけど……」

「そう思うでしょ? でも、この間高校の同窓会で先生にそのことを話したら、能力はともかく、人間性を学ばせることの方が一番大事になってくるって言ってたわ」

「人間性、ですか?」

「なまじ何でもそつなくこなせる上に、応用まで自分一人で出来ちゃうから、全部自分の力だけで解決できるって思い込み、傲慢になって協調性が失われる可能性が高いらしいの。だから、その辺りとどう向き合うかで、あの子のこれからが左右されるから、接し方は考えないといけないよって言われたわ」

「それで、今はどうなんですか?」

「今はまだ大丈夫だけど、これからね」

「これから、ですか……」


 麗華には愛美の言うことを半部以上理解できてなかった。だが同時に天才児には天才児なりの教育の仕方や向き合い方があるということを肌で感じ取ってもいた。


「そこで、アタシからキミに頼みがあるの」

「頼み、ですか?」

「あの子の友達になってほしいの」

「友達、ですか?」


 突然の愛美からの申し込みに一瞬怯んだ麗華。


「何て言うか、あの子、もうキミに懐いてるっぽいし、総ちゃんがこれから大切にするべきものを教えられると思うの。学校とか道場以外でね」

「人間性を、ですか?」


 確認するように尋ねる麗華。


「まあね。剣道でもキミの方がセンパイだし、いくら半年であそこまで言ってたしてもまだ総ちゃんが敵うとは思えないわ。あの子が負け知らずになりすぎて傲慢にならないように、今のうちにそう言うことが必要だと思うの。それがこれからのあの子の成長につながると思うし……」

「愛美さん……」

「アタシにだってあの子に教えることに限界はあるし、学校のこととか道場のこととかは先生や師範を通じてでしか知ることが出来ないから、身近なキミと関わることで、あの子にいい影響を与えれると思うの」

「私が、総次君にいい影響を……?」


 自信を持って麗華に頼んだ愛美。だが今日会ったばかりの少年のことをいきなり任せると言われても、自信を持てるはずがなかった。だが真剣な表情をしている愛美に対して気になることもあった。


「どうして、そこまで自信を持って言えるんですか?」

「まあ、これでも社会人六年目だし、いろんな経験もしてきたのがあるわ。新入社員の採用担当もしたこともあるから、人を見る目には自信があるの。キミはあの子にいい影響を与えるって、さっき会ったばかりだけど、そう思わせるものがあると思うの」

「はぁ……」

「それに、アタシも仕事の関係で時々一人ぼっちにさせちゃうことがあるから、せめてその間だけでも、あの子と一緒にいて欲しいの」


 微笑みながらそう言う愛美だが、麗華はこう言った。


「その必要はありません。私は総次君と友達になりたいって、心の底から思ってます。結構見どころが多くて、もっといろいろ知りたいって思ってたところなんです」

「そう。だとしたら、余計なこと言っちゃったかしら? アタシ」

「いえ。そんなことないです」


 そう言いながら徐々に笑顔になっていく麗華。彼女自身言ったように、総次のことをもっと知りたいと思い始めていたからだ。


「それと、話は変わるんだけど……」


 そう言いながら愛美はコンロを止めて麗華の座っているソファの隣に腰を下ろす。


「麗華ちゃん。本当に総ちゃんと竹刀を交えたいと思って声を掛けたの?」

「えっ?」


 突然のことに微かに動揺する麗華。そんな麗華を愛美は口元をニヤリとさせながら話を続ける。


「なんかさ~。確かに総ちゃんは目立つ子だけど、だからと言ってそんな理由で声を掛ける人がいるとは思えないのよ~」

「そ、そうですか?」

「……別の理由があって近づいたとか?」

「い、いえ、そんなことは……」


 追及を続ける愛美にビクつく麗華。そして遂に愛美は止めを刺しに来た。


「……ショタコン?」

「ひっ……‼」


 ビクッと痙攣にも似た動作が不意に出た麗華。


「総ちゃんが可愛いってのはアタシも保証するけど、それで近づいたとしたらキミってなかなかに……」

「あ、あの、その、そんなことは……」

「そんなに取り乱すな。大丈夫。黙っててあげるから」

「は、はぁ、ありがとござ……はっ‼」


 途中まで発言して、自分で愛美の推理が正しいということを証明してしまった麗華。


「だから大丈夫だって、まあ、そういうのは出来る限り慎んだ方がいいわよ。犯罪に走らないようにね」

「そ、その言葉、同級生からも言われました……」

「……キミのショタコンってそんなに有名なの……?」


 愛美はあっけにとられた様子だった。総次にならまだしも、他の年端もいかぬ少年を一方的に愛でようとしているのではという、一種の危機感を覚えたようだ。


「そ、そう言うんじゃなくて、心を開いて話すことが出来る親友にだけってことです」

「そ、そっかそっか。てっきり学園中に知れ渡ってるって思ったから」

「……弟が欲しかったんです」

「弟?」

「ええ。特に好みとしては、子供のクセにどこか背伸びして、ちょっと生意気で、それでも素直に甘えてくるところとかもう……♥」

「れ、麗華ちゃん?」

「はっ‼」


 つい本音を暴露してしまった麗華。彼女自身自覚はあった。もう今更ごまかしても後の祭りだということは。話を聞いていた愛美も、自身の予想以上のレベルだったのか、いささか呆然としていた。


「す、すみません……」

「ん~。ちょっと総ちゃんが大丈夫か心配になってきたわ~」

「だ、大丈夫ですっ、愛美さんっ! これでも私、その辺りはちゃんと弁えられてるので」

「なら良いんだけど。まあ、思い返してみれば、ウチの同僚や社長からも可愛いって抱き着かれてたっけ」

「そうなんですか?」

「うん。まだ六歳で生意気なとこあるけど、結構性格は硬派だし、将来を考えるとすごい楽しみって」

「愛されてるんですね」

「アタシとしても誇りだわ」


 最終的には穏やかな着陸が出来たと、麗華話をしてて安堵していた。


「愛美姉ちゃん、上がったよ」


 すると入浴を終えた総次が、水玉模様のパジャマを着てバスタオルで紙の水滴を拭きながら出てきた。


「おっ! 早かったな。服は洗濯しとくから、ほら」


 愛美は立ち上がりながら総次が手に抱えている私服を受け取り、キッチンの後ろに置かれているカゴに入れた。


「ありがとう、でも、今日は流石に……」


 そう言いながら申し訳なそうになる総次。どうやら来客の前で自分の洗濯物を見せられたのが恥ずかしかったのだろう。


「大丈夫だって、今すぐに洗濯機にぶち込んどくから。ほら」

「じゃ、じゃあ……」


 愛美に諭されて総次は素直に私服を手渡し、麗華の隣に座った。


「総次君?」

「隣じゃ、悪かった? 麗華姉ちゃんの隣、結構落ち着くんだよね」


 もじもじしながら麗華にそう言った総次。


(あら、もう懐かれちゃったみたい)


 隣に座った総次に対して微笑みながらそう思った麗華。


「ほらほらっ! そろそろ食べるぞっ!」


 そんな二人の光景を微笑ましく眺めながら、三人分のカレーをトレーに乗せて運んできた愛美。


「昨日総ちゃんと作ったやつだけど、結構美味しいぞ」


 微笑みながらカレーをテーブルに置く愛美。


「そうなんですか。ちょっと楽しみです」


 そう言って少々気分が乗る麗華。まだ六歳ではあるが、剣も勉学も料理もこなせる総次のこと、既にそれなりのものを作れているのではという期待があったからだ。そうしている内に愛美は冷蔵庫からサラダと二人分の納豆を取り出してテーブルに置き、そのまま総次の右隣に正座した。そして総次は麗華に挟まれながらソファを降りて正座した。


「さて、いただきますっ!」

「「いただきますっ!」」


 そう言いながら三人はスプーンを手にカレーを口に運んだ。


「……美味しい……」


 一口味わって驚きながらつぶやく麗華。


「そうだろ? あたしと二人で野菜切って、あとは総次が一人でやるって言ってやらせたんだ。

「じゃあ、ほぼ総次君一人でですか?」

「ああ。凄いだろ?」


 誇らしげにそう言いながら、愛美は総次を思いっきり抱きしめた。


「ま、愛美姉ちゃんっ⁉」

「良いじゃないかぁ。アタシの可愛い可愛い総ちゃん♥」

「も、もう……」


 照れくさそうに頬を赤らめる総次。傍から見ても幸せそうだった。

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