16 魔術師、立つ。

 一週間が流れ、時は約束の時間に近づいていた。


「主殿、早く行こうぞ」


 クラウスは家の玄関で、今や遅しとニコラリーを急かしていた。


 ニコラリーは約一週間ぶりの魔術師のマントを着る。慌てず確かに身支度を終えたところで、ついぞニコラリーが玄関へたどり着いた。


「さ、行こうか」


 扉を開け、快晴の空が照らす緑の地上に、二人は一歩を踏み出したのだった。





 数分歩き、中都市『エインアリー』のいつもの門についた。


 通行人を監視している顔なじみの傭兵に会釈をする。


 それから、そのままクラウスを連れて街に入ったところで、突然に声をかけられた。男の声だ。ニコラリーはその声に聞き覚えがあった。


「なんだ、薬屋のおやじか」


「よう、ニコ」


 その主はニコラリーがいつもお世話になっている薬屋の店主だった。


 店主は、人目につかないようにニコラリーとクラウスを端へ呼び出すと、ニコラリーの両肩に両手を乗せてひそひそ声で言う。


「お前、大丈夫なのか?」


「何が……? もしかして俺の作ったポーションで不祥事が?」


「違う! 決闘のことだよ! 街中で噂になってんだぞ」


 汗をかいて知らせる店主の様子を見るに、本当に街中でニコラリーの決闘の話が広がっているようだ。


 テオドールがニコラリー宅を訪れたときにも、三人組を下したクラウスが噂になっていると聞かされたが、ニコラリーの決闘もこんなに騒ぎになっているとは思ってもみなかった。


 想像していたのは、内輪で騒ぐ程度の小さなものだった。


 そういう個人的な争いとは遠縁の薬屋の店主が知っているのだから、想像を超えに超えて広まっていることは確かだ。


 ニコラリーと戦う予定のクロードは、街中でも黒い噂が立ち込めているような奴なので、その悪徳コネ野郎の敗北を見たいと集まる人もいるだろう。ニコラリーは頭を抱えたくなった。


 しかしここで怖気づくわけにもいかない。


 何より、ニコラリーは一週間の稽古を経て、あのクロードに負ける気が全くしなかった。ここで引くのはとてももったいない、と思えるほどに。


 ニコラリーもニコラリーで、クロードのことは元から嫌いだったし、決闘という名目で痛めつけられるのだから至れり尽くせり、という気分である。向こうも同じように思っているのだろうが。


「問題ないよ。じゃ、行くから」


 ニヤリ、と笑って拳を店主の肩に軽くぶつけて余裕を見せると、クラウスを連れてその場を去る。目的地はもちろん、例の場所だ。


「……怪我でもしたらウチ来いよ! 薬をサービスしてやるからな!」


 去っていく二人の背中を見ながら、店主は声を大にして見送った。


「負けたらこの街から追放されるみたいなんだがな」


 ニコラリーは小声で苦笑いをする。しかしその店主の声に背中を押された気がして、ニコラリーの歩くスピードが自然と上がった。


 しばらく歩いていくと、例の広間が見えてきた。ちょっとした人だかりになっており、あの中でやると思うと緊張で足が震えてくる。


「主殿」


 横を歩いていたクラウスに軽く背中を叩かれ、ニコラリーは立ち止まって彼女の方を見た。

 いつも通り、自信満々の顔がそこにある。同時に、彼女との一週間が脳裏に浮かんで、不思議と自信が湧いてきた。


「行ってくる」


「ああ」


 二人でハイタッチをして、そこからは一人で群衆の中に入っていくニコラリー。その後ろ姿をクラウスは見ているのだろう。何だか心強い守護霊を持った気分だった。


 人込みを抜けて、噴水近くの人がいない場所に出ると、そこにはクロードがすでに待っていた。


 クロードは目を閉じ、地面に先をつけた木刀を持ち、仁王立ちをしている。いかにもな体勢だ。達人にでもなったつもりなのだろうか。ニコラリーは彼に話しかける。


「おい」


「……おぉう。この耳が腐りそうなダミ声は、ニコラリーくぅんじゃないか。逃げずに来たんだな」


 目を開けて、前に立ったニコラリーへ挑発をするクロード。

 しかしニコラリーの意識はその挑発には向かなかった。意識は、彼の持つ木刀に向けられていた。


 ニコラリーは彼の持ってきた木刀に、違和感を感じていたのだ。木刀に魔力が内在されている気がする。一週間前のニコラリーには分からないであろうぐらいの魔力だが、これは木刀に何か仕組くまれているようだ。


 それを軽々しく見切れたニコラリーは、密かに自分の自信を膨らませた。


「お前こそ、あの重そうな鎧を着なくていいのか? 怪我して泣くなよ?」


 ニコラリーの指摘した通り、クロードの服装は白い服に黒い蝶ネクタイをつけた、いわば晴れ着とか一張羅とか云われるようなものを着ている。まるで式典にでも参加する服装だが、ニコラリーはその真意を気づいた。


 クロードにとって、この決闘は勝ち試合なのだ。勝利の晴れ舞台が確定されていると、そう考えている。故に、晴れ晴れしい衣装を着てきたのだ。


「吠えてろ、極貧野郎。君こそ、魔法で戦うつもりかい? 傭兵で剣術を学んでいる僕相手に?」


「俺は魔術師でだからな。早く始めよう」


 ニコラリーの言葉に、ニヤリと笑うクロード。彼の連れてきた男を呼び、決闘の号令をやるよう指示する。

 指定された男は、ニコラリーとクロードの間に立った。


「では、三、二、一、で始めます。いいですか?」


 男の言葉に、双方がうなずく。ニコラリーは拳を、クロードは木刀を前に構えた。


「三、二、一、はじめっ!」


 決闘が始まった。

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