いっしょーのおねがい



「ただい、ま……っ」


 午後9時過ぎ……和さんが帰って来ました。

 今朝にあんなことを言ったせいか、疲労も重なって帰宅の声に覇気が無いように感じます。

 出迎えた際には気まずそうに顔を逸らされましたしね。


 私も割り切れたとまでは言いませんが、あの反応を見る限りでは和さんも相当な苦渋になっているようです。

 それはつまり……彼自身も私達との生活を惜しんでくれているということでしょうか……?

 

 和さんは自己評価が低い面が見られますから、恐らくは自分が迷惑を掛けているという認識なのでしょう。

 だとしたらそれは大間違いです。

 潔く身を引けているつもりかもしれませんが、自分で自分の心を傷付けているようでは未練がましいですよ。


 そんな自覚出来ていない心の重荷を少しでも軽くするために、私は和さんに笑みを向けて……。


「──おかえりなさい、和さん」


 この3週間ですっかり馴染んだ挨拶を口にしました。

 無視されると思った居たのか、普段通りに迎えられた彼は驚きで目を丸くします。


 ちょっとだけ、面白いと思ったのは秘密にしておきましょう。


「おにーさん! おかえりなさい!」

「え、あまなちゃん……?」


 今度は天那が和さんを出迎えます。

 朝のことなど無かったかのような素振りに、どうやら困惑を隠せないようですね。

 

「その……俺が聞くのなんだけど……大丈夫、なのか?」


 戸惑いながらも、和さんはそんな疑問を口にします。


「……あまなは、おにーさんとずっといっしょにいたいなっておもうの」

「……」

「だから、ホントーはちがうおうちにいってほしくないよ。でも、それでおにーさんをこまらせたくもないの」

「あまなちゃん……」


 寂し気な顔で告げられた天那の言葉に、和さんは何とも言えない面持ちを浮かべます。

 あの子のお願いを聞きたいけれど出来そうにない……そんなところでしょうか。


 ここで私も行って欲しくないと言えば、なんて一瞬だけ頭の中を過った考えをすぐに投げ捨てます。

 今言うべきことは、天那の一生のお願いを叶えるための提案ですから。


「天那。和さんにお願いするんですよね?」

「あ、うん!」

「お願い?」


 詳細を知らない和さんが首を傾げます。

 対して天那は少しだけ恥ずかしそうに顔を俯かせて、チラチラと彼に視線を向けては外しを繰り返して……。


「あのね、おにーさん! きょーだけでいいから、みんなでいっしょのおふとんでねてほしいの! あまなのいっしょーのおねがい!!」

「──……へ?」


 予想だにしなかったお願い……それも一生のお願いに、和さんはさらに困惑を強めました。

 

 ……私も聞かされた時はとても驚きましたので、気持ちはと~ってもよく分かります。

 とはいえ事前に理由も聞いているので、天那の考えていることも理解出来ましたが。


「な、なんで?」

「あまなね、おにーさんがおうちでいっしょになったのに、みんなでおなじおふとんでねてなかったってわかったの。だからでていっちゃうまえにおねがいしなきゃっておもったの」

「う~ん……?」


 拙いながらも自分の考えを話す天那の言葉を、和さんは腕を組んでゆっくりと吞み込んで行きます。


「その、あまなちゃんのお願いなら聞いてあげたいけど、みんなでってことは天梨もってことだろ?」

「うん! ママもいっしょだよ!」

「それって天梨は許可したのか?」


 ですが、それでもすぐに頷ける内容ではありません。

 彼が懸念しているのは、幼い天那とならまだしも成人している私が同衾どうきんを拒むのではということ。


 確かに天那の提案を今ここで聞かされていたか、私と和さんの2人でということでしたら拒否したのかもしれませんが……。


「天那の一生のお願いですから、私は受け入れていますよ」

「え!? い、いやでも流石にそれは……」


 彼にとっては予想しなかった返答のようで、目に見えて狼狽えます。


 常識的に考えれば交際関係でない男女が同じ布団に入る行為は、あまりよく思われないでしょう。

 実際には私が和さんに恋愛感情を懐いてますから、羞恥心を無視すれば拒否する理由はありません。


 それに……。


「元々私と天那の2人で住んでいた部屋で寝床やお風呂を貸したり、膝枕までしているのですからその遠慮は今さらです」

「で、でも同じ布団だぞ? もし何か間違いがあったりしたら……」

「あり得ませんね。私は和さんがそういった不義理な行為を好まない方だと理解しているからこそ……他でもないあなただからこそ同衾を受け入れているんです。あまり自分を卑下するようでは、こちらの信頼を裏切っているのと同義ですよ?」

「うっ……」


 私が如何に信頼を置いているのかを説いたところ、和さんは顔を赤くながら黙りました。

 あまりにも鈍くてつい赤裸々な物言いになってしまいましたが、拒絶の意思がないことは明確に伝わったようです。

 

 元より2人きりではなく天那も一緒に眠るのですから、どうあってもそんな状況にはならないでしょう。

 もちろん、彼が道理を重んじる価値観の持ち主であることも理由の一つです。

 でなければ好意を懐いていませんし、ここまで受け入れていなかったかもしれません。


「ママもいーよっていってるよ? それともおにーさんはあまなたちといっしょにねるのはイヤだったの?」

「ぐっ……」


 そしてトドメと言わんばかりに天那がダメ押しをします。

 一生のお願いに加えて半ば泣き落としのような懇願に、和さんは大袈裟な呻き声を出しました。


 ここまでしても断るのであれば諦める選択肢もあったのですが……。


「──……ふー……分かったよ。今日だけ、な?」

「──っ、うん! ありがとー!」


 長い息を吐いた後に観念の言葉を口にしたことで、3人での同衾が決まりました。

 天那は自分の一生のお願いが叶った瞬間に、夜にも関わらず幸せそうに笑い掛けます。


 この笑顔が見られるなら、一生のお願いでなくとも何でも聞いてしまいそうですね。

 

 親の贔屓目ですが、そんな予感を目の当たりにしました。

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