極上の安眠をもたらす枕



 昨日は色々と衝撃的なことが起きた。

 あまなちゃんに再び疲労を隠していたことを看破され、仕事に行ってはダメだと泣きつかれたのだ。

 加えて天梨からは南家に来るように、断れば社会生命が終わる脅しと共に誘われた。


 そんなことがあって疲労が吹き飛んだ気がしたが、運転席で寝て起きればすぐに疲れが圧し掛かって来る。

 思わず項垂れたものの、あの後の仕事量を思えば十分過ぎる程の一時凌ぎだ。


 元々土曜日の今日はメイスンさんと共に新居候補の内見に行く予定だったが、天梨の拒否を許さない脅しによって申し訳無いがキャンセルの電話を入れた。

 詳細は伏せたものの、気前よく外せない用事なら仕方ないと別日にスケジュールを組み直してくれるそうだ。

 改めて担当があの人で良かったと思う。


 そういうわけで、俺は現在南家があるマンションエブリースマイルの184号室の前に立っていた。


 あの後、どうして天梨が俺を誘ったのかは考えても分からないままだ。

 あまなちゃんを泣かせた落とし前を着ける……なんて物騒な理由でない事を祈る他ない。

 そちらの疑問もだが、一番の不安はあまなちゃんの様子だ。


 仕事終わりに天梨に尋ねたところ、落ち込んではいるが泣き止んだらしい。

 土曜なので学校は休み、つまりこれから鉢合わせになるわけだが……ハッキリ言って気まずいです。


 絶対怒らせたよなぁ……。

 あまなちゃん曰く俺を苛める仕事が嫌いとのことだが、延長して俺が嫌いにならないよな?


 なったら一生後悔するんだけど……そこは天梨がフォローしてくれると信じるしかない。


 さて、時間も迫ってるし、そろそろ覚悟を決めてインターホンを押そう。


『はい』

「おはよう天梨。言われた通り来たけど入って大丈夫か?」

『えぇ。鍵は開いてますからそのまま入って来て下さい』


 聴き慣れた短い音楽が流れると共に、天梨が応答してくれた。

 向こうは準備万端なようで、いつでも入っていいらしい。


 警戒心が無いのか、俺への信頼があるためか、どちらかは判別出来なくとも、誘った側が良いというならそれに従うまでだ。

 恐る恐る玄関のドアを開ける。

 緊張と恐怖が入り混じっているせいか、やけに重く感じるドアが独特の音を立てながら開いていく。


 出迎えに来てくれた天梨がジト目を向けて来る。

 あれ、もしかして通報する気なんですか……?


「……そんなあからさまに怯えなくても、通報なんてしませんよ?」

「ほ、本当か……?」

「和さんの性格上、言質が取れたのならそれで十分ですから」

「ほっ……」


 なんかサラッと言われた気がしたが、通報されない安心感が勝って気にならなかった。

 

 ふと彼女の装いに目を向ければ、暖かそうな白いセーターに淡い赤色のロングスカートというシンプルながらも奥ゆかしさが良く出る格好だ。

 大変似合っていると思う。 


「えと、あまなちゃんは?」

「部屋で宿題をしています。少なくとも午前中は自室に籠ったままですよ」

「そっか……」


 思っていたより持ち直していそうだと、そっと胸を撫で下ろす。 


 ともあれ、天梨に促されるがままリビングへ向かう。

 相変わらず清潔な空間だが、彼女はフローリングの上に敷いてある絨毯の上に正座する。


「さ、和さんも座って下さい」

「あ、あぁ……」


 言われた通りに座るが、一応天梨との距離を人一人分空けておく。

 これでいいかと思って目を向けるが、何が不満なのかジト目で見ていた。

 

 え、なんで?


「和さん。もっと近くで良いんですよ?」

「い、いやいや。流石にそれは……」

「なんですか? 私が隣に座ると何か不都合でもあるのでしょうか?」

「な、ない、けど……」

「そちらが来ないのでしたら、私の方から近付くまでです」

「ええっ!?」


 言うが早いのか、天梨はササっと俺の左隣へ身を寄せて来た。

 互いの肩が触れ合うのではという距離まで近付き、濃い茶髪から漂う良い香りが鼻腔を擽る。


 やけに左肩に神経が集中し、無性に鼓動が早くなっていく。

 

 おいおいおいおい、なんなんだ一体!?


「て、天梨さ──」


 動揺しながらも質問しようとした途端、唐突に彼女が右手を俺の顔に伸ばしてきて……


「失礼します」


 一言断りを入れてから一気に引き寄せた。

 

 視点が90℃傾いたと理解するより先に、左頬に柔らかい感覚が奔る。

 加えてさっきより甘い香りが強くなった気がするんだけど?

 なんだこれ?

 俺は一体どうしたんだ?


「ど、どうでしょうか?」

「な、何が……?」


 右耳から天梨の凛とした声が聞こえる。

 自分の身に何が起きているのか分かっていないのに、どうでしょうかも何もないんですが?


「わ、私の……





 膝枕の、ことです……」

「へぇ~ひざま────っっ!!?」


 一瞬普通に呑み込み掛けた状況に、驚愕を隠せず全身を強張らせた。

 

 え、これが膝枕!?

 天梨の膝に、俺の頭が乗っかってんの!?


 思いがけない状況を理解した途端、一気に顔に熱が集中していく。


 ヤバイヤバイヤバイヤバイ!!

 何がヤバイって、柔らかいし良い匂いするしで色々と理性が削られていくんだよ!!

 耐性の無い人間にいきなり膝枕をするとか、何を考えてんだ!?


「なんで膝枕!?」

「あ、暴れないで下さい。黛さんに相談したところ、こうするのが男性のには効果的だと教わったんです」

「あのムキムキオネェさんの入れ知恵かよぉ……!」


 嬉しいっちゃ嬉しいが、それを俺相手に実行するのはどういうことなんだ?

 

 そんな疑問が頭を過るものの、よく天梨の言い分を思い返せば答えには簡単に辿り着いた。


「疲労回復って……もしかして気付いてたのか……?」


 首を動かせないので天梨がどういった表情をしているのか分からない。

 けれども彼女は「はい」と答えて続ける。


「天那があんな風にしがみつくなんて初めてでしたから。和さんの顔色をよく見ればとても疲れた様子でしたので……」

「わ、悪い……いっ!?」


 天梨が膝枕という行動に出たのは、やはり俺が疲労を溜め込んでいたからのようだ。

 申し訳ないと謝るが、急に右耳を引っ張られる。


「私が和さんに膝枕をするのは、謝ってもらうためではなくてしっかりと休んでほしいからです」

「でも……」

「どうして和さんがそうなるまで無茶をしたのかは後で問い質します。ですが今だけはどうか休んでくれませんか?」

「……」


 抵抗するのは簡単かもしれない。

 けれども、ここまでされて断るという選択肢は完全に消え失せていた。


 今まで使って来た枕より心地の良い天梨の膝に、溜まりに溜まった疲労と睡眠不足が降参とも言える諦念を訴えて来る。

 元々無理を通して来た体では抗う術を持たない。


 俺は誘われるがままにかつてない微睡みに身を任せて、眠った……。 

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