たった1人のための『だいきらい』



 11月も中旬を過ぎた今日、南家への配達がある日を迎えた。


 明日の休みで新居が決まるように日付が変わるまで資料を見比べ続けたが、やはり実際の部屋を見ない限り何とも決められそうにないという結論を出す他なかった。

 そのため相変わらず疲労は回復していないままだが、幸いにして業務に支障をきたすミスは起きていない。

 この後、あまなちゃんに癒されれば持つはずだ。


 前回はあまなちゃんに容易く見破られてしまったが、今度こそバレないように表情を作る。


 荷台から食材が入った発泡スチロール箱を取り出す。


「ぐっ……」


 が、両手に掛かる慣れたはずの重量感が、全身をこれでもかと悲鳴を上げさせる。


 ──あれ、こんなに重かったっけ……?

 

 原因はすぐに分かった。

 十中八九というか絶対、連日の疲労のせいだろう。


 でもそれがなんだ。 

 病は気からっていうんだし、気持ちさえしっかりしていればこれくらい何とかなる。


 大丈夫……大丈夫だ。

 

 そんななけなしの気合を入れたのちに、184号室へ荷物を運んでインターホンを押す。


『はーい!』

「……こんにちは。ウミネコ運送です」

『いまいきまーす!』


 軽快な効果音が鳴って間もなく、スピーカーからあまなちゃんの元気な声が響く。


 心配させないように、ちゃんと笑顔を作れよ、俺……!


 乾いた喉で固唾を呑んだと同時に玄関のドアが開かれる。


「いつもごくろーさまです、おにーさん!」

「ありがとう、あまなちゃん」


 先日のことなど無かったかのように笑みを浮かべるあまなちゃんに、笑顔の仮面を張り付けて挨拶を交わす。

 

 キチンと笑えているだろうか?

 違う、出来ていなきゃダメだ。

 少しでも弱気になって隙を晒したら、また不必要な心配を掛けてしまう。


「じゃあ、ここに判子を捺してくれるか?」

「……うん」


 ヒビの入った木の棒と思えるほどに弱った芯を支えつつ、受領印を求める。

 しっかり捺されたことを確認し、玄関の脇に荷物を置く。


 やっと重い荷物から両手が解放されたが、ため息はもちろん欠伸も背伸びもしないように堪える。 


「おにーさん」

「ん? どうかしたのか?」


 必死に繕う俺に対して、あまなちゃんはいつになく思い詰めた眼差しを向けていた。


 ……まさか、バレたのか?

 

 背筋に冷や汗が流れる。

 だってそうじゃないと、この子はこんな表情をしないはずだ。

 

 いつものように聞き返してしまったが、その先の質問を口に出させるわけにはいかない。

 そのために安心させようと、膝を曲げて目線の高さを合わせ、その小さな頭を撫でる。


「ふにゅっ、おにーさん?」


 急に撫でられたことに驚いたのか、いつもなら喜ぶはずのあまなちゃんの顔には困惑の色が窺えた。

 心の中で隠し事をしてごめんと謝りつつ、無理矢理に作った笑みを向ける。


「心配しなくても大丈夫だよ。ほら、早く学校の宿題をしないと、な?」


 あからさまな話題の逸らし方だが、疲労と眠気で限界が近い頭ではこれ以上の言葉が思いつかない。

 頼む、言った通り部屋に戻ってくれと、あんなに求めていたはずのあまなちゃんからの癒しすら手放そうとしていた。


 けれども……。


「イヤ! だっておにーさん、まえよりつらそーだもん!」

「──っ!」


 そんな願いを、小さな少女は拒んだ。

 そして当たり前のように、以前より蓄積されていた疲労を看破された。


 折れかかっている心の芯が、ピキリと小さな音を立てたような気がしたが、すぐに幻聴だと振り払う。


「ほ、本当に大丈夫だって! ほらこんな風に──ぁ、ぐ……」


 言葉で分からないならと、咄嗟に立ち上がって力んでみせようとするが、それより早く立ち眩みでバランスを崩してしまった。

 後ろの柵に背を預ける形でなんとか転倒は免れる。

 しかし、それは繕って隠していた疲労が浮き彫りになる決定的な隙だった。


 あまなちゃんは今にも泣きそうな顔を向けて、俺の側に駆け寄って来る。


「そんなのだいじょーぶじゃないよ! おにーさん、どーしてあまなにウソつくの!?」

「う、うそって……あまなちゃんに心配掛けたくなくて──」

「つかれてるのにだいじょーぶっていうのはウソなんだもん! おにーさんは、あまながこどもだからウソついたの?」

「違うって! これは俺の自業自得で……疲れてても仕事はしなくちゃいけないから……だから、次の配達に行かないと……」


 結局余計な心配を掛けただけでなく、疲労を隠していたこと自体があまなちゃんを傷付けていたと思い知らされた。


 けれど、隠していたのはあまなちゃんが子供だからじゃない。

 単に心配を掛けたくないという自分勝手な意地だ。

 だからこれ以上不安にさせたくなくて、仕事を理由に話を切り上げようとする。


 だが、あまなちゃんはそれを許さなかった。


「──ダメェッ!」

「──っ」


 立ち去ろうとする俺を引き留めようと、小さな体でしがみつくという抵抗の意思を示した。

 

「おにーさんをいじめるおしごとなんか、いっちゃダメなの! あまな、おにーさんがげんきじゃなくなるの、イヤなんだもん! おにーさんにやさしくないおしごとなんて、だいっきらい!!」


 それは、幼い女の子が誰よりも俺を想った訴えだった。

 俺が仕事に行かないと困る人がいるのは分かっている。

 でも顔も名前も知らない誰かより、目の前にいる俺のことだけを想って行かないで叫んだ。


 年齢差や体格差もあるので振り払うのは簡単かもしれない。

 けれども無理に引き剥がして怪我をさせてしまうと思うと、どうしても動けなかった。

 

「おにーさんは、グスッ、みんなにやさしーけど、ヒクッ、なんでおにーさんにはやさしくないの? おにーさんだけつらいのなんて、あまな、イヤだよぉ……うええええぇぇぇぇん……」

「あ、あまなちゃん……」


 とうとう我慢していた涙を流すあまなちゃんに、俺はどう言葉を投げ掛ければいいのか迷ってしまう。

 つくづく自分の馬鹿さ加減に胸が締め付けられる。


 一番泣かせたくなかった子に、こんな悲痛な涙を流させたのは誰でもない俺だ。

 その元凶が、どうして泣き止ませる言葉を考えつけるだろうか。


 困惑が極まって何も出来ないでいると……。


「天那!? そんなに泣いてどうしたんですか!?」

「あ、天梨……」


 仕事帰りの天梨が、娘の泣き声を聞きつけたためか慌てた様子で現れた。

 あまなちゃんと俺の姿を見やるや、彼女は瑠璃色の瞳に稲妻のような怒りを宿して詰め寄って来る。


「天那が和さんにしがみついて泣くだなんて……一体どういう状況なのでしょうか?」 

「えと、その──」

「ママ、おねがい! ママもおにーさんにおしごといっちゃダメっていって!」

「え、えっ!?」

 

 今にも手が出そうなくらいに憤る天梨に、どう説明したものか言葉を選んでいる内に母親を認識したあまなちゃんが泣きついた。

 事情を知らない彼女はその内容に驚きを露にする。


 それはそうだろう。

 自分の娘が社会人にしがみついている理由が仕事に行かせないためなんて、一目見て察する方が困難だ。

 

 動揺が冷めやらぬ天梨はジト目を向けながら、無言で俺を見つめる。

 やがて盛大にため息をつき、冷ややかな眼差しを向けて口を開く。 


「──……どういった経緯でそうなったのかはよく分かりませんが……和さん。確か明日はお休みでしたよね?」

「お、おう……」


 事情を訊かれなかったことに安堵した半面、質問の意図が読めずに困惑しながらも首肯する。

 天梨が俺のシフトを知っているのは、毎朝の弁当を渡すためだが、何故改めて尋ねたのだろうか?


 疑問が晴れない俺に、彼女は不意にニッコリと微笑みを浮かべて……。


「では、明日の10時頃にこちらに来て下さい」

「えっ!?」

 

 唐突なお誘いに驚愕してしまう。

 どうして急にそんなことを言ったのか、本気で訳が分からない。

 

 だが生憎と明日は新居探しの予定がある。

 直接は言えないが用事があることを理由に断るしか──。


「拒否すれば今すぐ警察に通報しますよ?」

「いいいい行きますっ! 是非とも行かせて下さい!!」


 最大威力を誇る脅し文句を出されたため、反射的に同意の返答をする。


 あまなちゃんが泣きながらしがみついている状況で通報なんてされたら一発アウトだ。

 うん、無理だ、断れるはずがない。


 俺の答えを聞いた天梨はよろしいという風に頷いた後、未だにくっついたままのあまなちゃんを引き剥がした。


「ママ! はなして! おにーさんがおしごとにいっちゃう!!」

「気持ちは分かりますが、流石にそれは和さんに迷惑ですよ。天那」

「やだやだやだやだ!」

「ダメです。さ、和さん。今の内に配達に戻って下さい」

「あ、あぁ……あまなちゃんは任せたよ」


 娘に甘いはずの彼女が嫌われるのを承知で俺を促してくれた。

 そのことに感謝をすればいいのか、罪悪感を抱けばいいのか判断に困るものの、言われた通りにするしかないので、そのまま配送車へ戻る。


 あまなちゃんの泣き声に後ろ髪を引かれる思いを感じながらも、車を走らせて次の配達へ向かうのだった。  

  

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