細やかな幸せを噛み締めて
人生、楽あれば苦もある。
国民的時代劇の主題歌にある出だしの通り、あまなちゃんが泊まりに来るという形の楽を過ぎたら、ブラックな激務という形の苦がやって来た。
大変憎々しく思います。
3日も有休を取ったから多少キツくなるだろうなぁとは思ってたけど、予想以上にしんどい。
一昨日の感傷的な気分が遠い昔のように感じる。
潤いが……癒しによる潤いが欲しいです……!!
「たった1日で目に見える程憔悴していますが、大丈夫ですか?」
っといかんいかん、朝からこんな調子じゃ後に差し支えるな。
火曜日の今日はあまなちゃんに会える日。
それ即ち天梨の手作り弁当が食べられる日でもある。
今や、あまなちゃんの癒しと双璧を為す要素といっても過言ではない弁当を作ってくれた天梨の前で、辛気臭い顔を見せてちゃ情けないよな。
「あ~どっちかと言えば心の方がな? 身体の方に関しては天梨が作った弁当のおかげで健康そのものだ」
「……」
「天梨?」
「っ、はい?」
不安にさせないように伝えたが、彼女は何故か固まっていたので声を掛けると小さく驚かれた。
が、すぐに何でもないように繕ったため、あまり指摘するのは野暮かと気にしないことにしておこう。
「あ、その、今更になってしまいますが、3日間天那を預かって頂いてありがとうございました」
「そんな畏まらなくてもいいって。俺も黒音も思い出に残るくらい楽しかったから、むしろ機会をくれたこっちが感謝したいくらいだよ」
「い、いえいえ! 私の方が早川さんに感謝をしていますので、そこまで言って頂ける程のことでは……」
「いやいや。天梨が俺を信じてくれたからこそ、ありがたいって思ってるわけで……」
「……」
「……」
互いが相手に感謝の譲り合いを繰り返していると、やがて言葉を尽くしたため会話が止まった。
「──っぷ、あっははは……」
「──ふふっ」
そしてほぼ同時に噴き出した。
ほんと、良い年した大人が何をやってんだか、呆れるばかりだ。
「最初に会った時は、天梨とこんな風に笑えるなんて思ってもみなかったよ」
「私も同感です。家族や主人以外の男性をここまで信頼出来たのは早川さんだけなんですよ?」
「は……?」
極々自然な様子で朗らかに伝えられた言葉に、頭が真っ白になって間抜けな声が漏れ出た。
待て待て、今とんでもなく語弊がある言い方をしなかったか?
ただでさえ綺麗な顔立ちの彼女に笑顔を向けられ、そんな信頼を口にされては流石に意識してしまう。
ステンバァーイ……落ち着け、クレバーになるんだ。
相手は既婚者だぞ……期待しちゃダメだぞぉ~……。
高鳴って早くなる鼓動を抑えるべく気持ちを落ち着かせる。
が、こちらの反応があからさまだったためか、自分の発言に気付いた天梨の頬は朱に濃く染まっていき……。
「ひ、人として! 娘が懐く程の人としての意味ですからね!? そ、そんな類の感情の意味ではありませんから!!」
「えっ、お、おぅ。解ってるよ……もちろん……」
捲し立てて語られた真意を聞かされ、納得はするがどこか残念な気持ちが拭えなかった。
いや、期待するなって自分で考えたばっかだろ、これは安心しただけだ、うん。
「ゴホン。そ、そろそろお仕事に向かった方がよろしいのでは?」
「お、そうだな。それじゃ今日も弁当ありがとうな」
「いえ、どういたしまして」
気恥ずかしさからなんだか変な空気になってしまっていたが、咳払いをして出勤を進める彼女のお言葉に甘えることにして、そそくさとその場を後にするのだった。
=====
そうしてやって来た午後4時半。
あまなちゃんが待つ『マンションエブリースマイル』の184号室前にやって来た。
今日も凄まじい激務となっているが、あの子に癒してもらえばすぐに気にならなくなる。
期待に胸を躍らせながらいつものようにインターホンを押す。
『はーい!』
「こんにちはー、ウミネコ運送です」
『ちょっとまっててー』
スピーカー越しに聞こえる元気で可愛い声音に、早速心が温かくなる。
あぁ待つとも、いくらでも待つさ。
この瞬間のために生きていると言っても過言じゃないんだから。
なんて感想を浮かべている内に玄関のドアが開かれる。
「いつもごくろーさまです。こんにちは、おにーさん!」
「こんにちはあまなちゃん」
挨拶を交わしながら、受け取り印を押してもらう。
出会って2ヶ月が経つし、すっかり手慣れた流れだ。
しかし、今日のあまなちゃんはチラチラと見つめて来て、そわそわして落ち着きが無いように見えた。
かといって声を掛けようと顔を向ければサッと視線を逸らされる。
気付かない内に何かしてしまったのかと不安に駆られるが、それもすぐに霧散した。
何せ……。
「あのね、おにーさん!」
「ん?」
「はいっ!」
──小さな両手に乗せられた包み袋を差し出されたのだから。
受け取って中を見てみると、チョコレートだというのが分かった。
でも、一目見て市販のものじゃないということも解る……形が歪だからだ。
「これは……?」
「えっとね、おとまりのおれー! おにーさんにあげよーっておもって、きのーね、ママといっしょにつくったの!」
「──っ!」
恥ずかしそうに、でも明るく告げられた感謝の気持ちに驚きを隠せなかった。
天梨が一緒とはいえ、あまなちゃんにお菓子作りでもキッチンに立たせたんだ。
クッキー作りで成長を実感したと言っていたが、なんとも行動が早い。
そして何より……今度は俺のために作ってくれたということ。
正直、先日のクッキーの味見役を引き受けたからお礼としては十分だと
そう、思っただけで口に出していない。
今それを伝えて、果たしてこの子が素直に引き下がるかと言われれば『NO』と断言出来る。
だって、この子はあの天梨の娘で、今の言葉と行動を起こすのに小さな勇気を振り絞ったじゃないか。
建前とか遠慮を出して無下になんて出来るはずがない。
──だったら、俺はその気持ちを受け止めるべきだろう。
そう腹を括り、膝を折ってあまなちゃんと目線を合わせる。
改めて同じ高さで見つめる瑠璃色の瞳は、俺の反応を待っているために酷く不安げだ。
そんな顔をしなくてもいいと笑みを向けて、包みの開けてチョコを頬張る。
カカオの風味と程よい甘味が絡まり、作り手であるあまなちゃんの優しい気持ちが込められているように思えた。
「おにーさん、おいしー?」
無言で咀嚼する様子を見ていたあまなちゃんが、痺れを切らしてそう尋ねて来た。
もちろん、答えは決まっている。
「──あぁ。最高に美味いよ」
「~~っ、やったぁー!」
惜しみない称賛に、あまなちゃんはその場で飛び跳ねる程の喜びを露わにした。
それが堪らなく微笑ましく、俺も釣られて嬉しくなる。
そういえば、初めて会った時にもらったのもチョコだったなと思い出す。
甘いものを食べたら疲れが和らぐだったか……いっそ運命と思える偶然に幸せを感じずにはいられない。
そうして俺は今日も、愛らしい友達であるあまなちゃんによって存分に癒されたと実感するのだった……。
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