解散と帰宅



 堺──いや、茉央にあまなちゃんを助けてもらったお礼として、今まで苗字呼びだった彼女を名前で呼ぶことになった。

 ずっと苗字で呼んでいたから、改めて名前で呼ぶのは妙に緊張した。


 三弥のやつはよく何度も言えるよな……。


 とりあえずそんなことで良いのかと問い返しても、茉央はこれがいいの一点張りだ。

 三弥が呼んだ時は嫌そうな顔をするのに、俺が呼んだら嬉しそうにするもんだから、女ってのは何を考えてるのかよくわからん。


 こんなんだから彼女が出来ないんだろうが……まぁ本人が満足してるならいいだろ。


 そんな感想を抱きつつ黒音に連絡をしたところ、あまなちゃんとの買い物をしていたようで、それも終えたということらしい。

 というか文末に『あまなちゃんのエプロン姿』という大変気になる情報があったんだけど。

 早く見てみたいが、それで茉央を蔑ろにするのは忍びない。

 

 黒音からも待ち合わせ場所にはゆっくり来ていいとメッセージに書かれていたし、茉央と談笑を交えながら歩みを進めていく。

 

 そうして着いた待ち合わせ場所では、買った物が入っているであろう袋を持った黒音とあまなちゃんがいた。


 あまなちゃんは俺を見つけると、小さな体に秘められたバイタリティーを見せつけるように大きく手を振り出す。 

 可愛い。


「おにーさん!」

「あまなちゃん、今度は大丈夫そうで良かったよ」

「おねーちゃんがあまなのおててにぎってくれてたもん!」


 実に嬉しそうな表情で理由を教えてくれるが、なんとも羨ましい限りだ。

 でも俺が黒音のように手を繋いだとしても、親子か不審者の二択にしかならないのが自明の理なので、羨望と嫉妬は大人しく静めておく。


「二の轍は踏みませんよぉ~だ」

「別に黒音を信頼してないわけじゃないって。ありがとな」

「ん。どーいたしまして」

 

 感謝の言葉を聞いた黒音は舌をちょろっと出して小生意気な受け答えで返してきた。

 嬉しいくせに素直じゃないやつ……。

 

「それで? アニキは堺さんにちゃんとお礼出来たの?」

「おう。まぁ下の名前で呼んでくれってことになったけど……なんだそのにやけ面は」


 普通に答えただけなのに、何故か黒音は生暖かい眼差しを浮かべだした。

 せっかくの美少女なのに無性に残念感が漂っている。


「べっつにぃ~? 少しは距離が縮まったみたいで良かったね~?」

「あ、あの、黒音ちゃん? あまりからかうのはやめてほしいんだけど……?」

「っと、ごめんなさい堺さん。でもちょっとだけいいですか?」


 煽るような言動をする黒音に、顔を赤くした茉央が制止の声をかけた。

 その様子に黒音はすぐに謝罪の言葉を口にしたが、続け様に茉央の手を引いて離れていく。

 

「……。……」

「……!? …………」


 距離がある上に俺は地獄耳持ちじゃないので、会話の内容は全く聞こえない。

 しかし、黒音の発言に茉央は一々顔を赤くしながら返している。

 我が妹は一体どんな話を同僚にしてるんだろうか?

 

 もし俺の黒歴史とかだったら、仕事をストライキする自信があるぞ。

 した瞬間、もうウミネコ運送に居場所が亡くなりそうだけども。


「おにーさん? きゅーにかなしそうになったけど、だいじょーぶ?」

「あぁ、うん。あまなちゃんが心配するほどじゃないから」


 集団からはみ出た奴を文字通り腫物扱いする社会の在り様に打ちひしがれている俺を、あまなちゃんは相変わらずな天使ぶりで声を掛けてくれた。

 いかんいかん、この子に心配させるような真似をしたら天梨に怒られる。

 そう気を取り直している内に2人の話は終わったらしく、黒音はやけに楽しそうな表情浮かべているのに対し、茉央はどこか疲れが垣間見える表情で対照的だなと感じた。


 本当に何の話をしたんだよ……。

 そう呆れに近い心象が浮かんだ。


「黒音に随分とからかわれたみたいだけど、大丈夫か茉央?」

「え? え、えぇ……からかわれるというより、むしろ心強い味方が出来たというか……とにかく問題はないわ」

「そっか。もし困らせるようなことがあったら遠慮なく言ってくれよ? 兄として茉央の同僚として叱ってやるからな」

「……えぇ、ありがとう」


 困惑が冷め止まない様子の茉央を励ますつもりで言葉を掛けたが、何故か呆れを含んだ眼差しを向けられる。

 解せぬ。

 ともあれ、時間もいい感じだしそろそろ解散だな。 


「茉央。改めて今日はあまなちゃんを見つけてくれてありがとうな」

「それはたまたまだったし、そんなに畏まらなくてもいいわよ」

「でも、アニキと知り合いの堺さんじゃなかったら、ここまで感謝の気持ちを持てなかったってのは本当ですよ。アタシの方からもありがとうございました」


 謙遜する茉央に、黒音がより感謝の念を上乗せする。

 そしてコイツの言う通り、茉央じゃなかったら言葉だけで済ませてはいさよならだった可能性が高い。


「あまなをたすけてくれてありがとー、おねーさん!」

「……ふふ、どういたしまして」


 そしてあまなちゃんの純粋なお礼の言葉には、茉央も謙遜を見せることなく素直に返事をした。

 明後日、会社で会った時にも礼を言わないとな。

 そう密かに考えながら、俺達は茉央と別れるのだった。


 =====


「アニキ。ちょっとこっち見て」

「ん?」


 ショッピングモールを出てもうすぐアパートに着くかという頃に、信号待ちをしていたら後部座席にいる黒音に声を掛けられた。

 言われた通り顔を後ろに向けると……。


「──すぅ……すぅ……」


 さっきまで元気に妹と話していたあまなちゃんがぐっすりと眠っているではないか。

 普段の無邪気な笑みも良いが、こういうあどけない寝顔を見るとより幼さを感じさせられる。

 

「今日はたくさん歩いてお喋りしたし、疲れたんだろうね」

「だな。家に着くまでそっとしておこうか」

「うん。あ、でもせっかくだから一枚だけパシャリと」


 おい、何勝手に幼女の寝顔を撮ってんだ。

 確かに写真で保存したいくらい可愛いけど、限度ってもんがあるだろうが!

 まぁそれはそれとして。


「黒音。その写真あとで送ってくれないか?」

「…………何に使う気?」


 何故兄にそんな訝し気な眼差しを向ける。 

  

「あまなちゃんに会えない日でも、この寝顔が見れれば癒されるかなと思ってな」

「なるほど、それなら大丈夫──なわけあるか!? いやいや、スマホで幼女の寝顔を眺めて癒されたいとかフツーにドン引きなんですけど!?」

「おい静かにしろよ。あまなちゃんが起きちゃうだろ」

「アタシが悪いみたいに言わないでよ!?」


 至って健全な気持ちで答えたというのに、何が納得いかないのか黒音は中々写真を送ってくれなかった。

 最終的に夏休みも部屋を貸すことで何とか交渉成立となり、渋々ながらも送信して貰った。

 

「よし、アパートに着いたぞ」

「運転お疲れ~。あまなちゃん、着いたよ~」

「──んにゅ? ふぁ~……」


 そんなこんなで無事に帰ることができ、黒音に起こされたあまなちゃんは実に可愛らしい欠伸をして目を覚ました。

 荷物を持って車を降り、俺が借りている201号室のドアを開ける。


「ただいま~!」

「え?」

 

 すると、寝起きとは思えない元気な声音であまなちゃんが帰宅の挨拶をしだした。

 それがあまりに唐突で、驚きを隠せずに声に出してしまう。


 俺の反応に気付いたあまなちゃんは、自分の言葉に何の疑問も抱いていない表情で見つめてくる。


「あ、あまなちゃん? ここは別にあまなちゃんの家じゃ──」

「? でも、おでかけからかえってきたら、ただいまっていわないと!」

「…………」


 淀みのないまっすぐな言い分に返す言葉が出ない。

 答えに窮している内に同じように放心していた黒音が突如噴き出した。


「あっはははそうだね、うん。その通りだわ。ただいま~っと」


 笑みを浮かべたまま『ただいま』を口にする。

 

「ほら、おにーさんも!」

「……あぁ、ただいま」


 そしてあまなちゃんに促されるまま、帰宅の挨拶を口に出す。 

 なんてことのない、普通の挨拶だ。

 特に一人暮らしをしてからは次第に口に出すこともしなくなっていた。

 

 3日間だけ泊まりに来ている女の子の自然な行動に、そのことを改めて自覚させられた。

 

 俺の言葉を聞いたあまなちゃんは、満足そうに微笑んで……。


「──おかえりなさい! えへへ」


 何度も帰って来たこのアパートで、初めて『おかえり』という言葉を聴かせてくれたのだった。

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