募る想い、募る嫉妬
──天梨、
あまなちゃんと同じ苗字で、名前の響きからその人があの子の母親なのだと分かる。
だからこそ、好きな人が自分の知らない女性を呼び捨てで指したことが堪らく嫌だった。
「実を言うとさ、配送の度にあまなちゃんから元気をもらってる内に友達になってな。最近調子が良いのはそのおかげなんだよ」
照れ半分で怖じ気づきながらも、カズ君はあまなちゃんとの関係を明かした。
何それ、事案でもおかしくないじゃない。
そう思っても、2人の接し方からやましいことなんて全然無いと分かる。
純粋に互いを思いやってる証拠なのだと、悟ってしまうくらいに。
「で、だ。初めて会った天梨からは娘に近付く不審者め! って感じに凄く敵意を向けられててな。危うく通報されかかったんだけど……まぁなんとか信じてもらえるようになったんだ」
なんとかって何よ。
どうやったらそんな第一印象から、子供を預けても良いと思えるくらい信頼されるの?
相槌を打つ余裕もない程に、自分の気持ちが落ち込んで行くのが分かる。
だって、天梨さんのことを話すカズ君の表情が楽しそうだから。
自分じゃない誰かを思い浮かべてそんな顔をされるなんて、今すぐ逃げ出したいくらい嫌で嫌で堪らない。
「……自分の娘をカズ君に預けるなんて、相当ね」
「それは俺もビックリだよ。ただでさえ
「──っ!」
「あ、流れでつい教えたけど弁当の件は三弥に内緒な? あまなちゃんのことはアイツも知ってるけど、天梨に弁当を作ってもらってることを知られたら殺されそうだからなぁ」
苦笑しながらさり気なく明かされた関係性に、息が詰まったような錯覚をする程胸が絞め付けられた。
あまなちゃんに癒されてるだけじゃなくて、その母親から手料理を振る舞ってもらえてるなんて……。
その人はどうして旦那じゃない別の男性に弁当を作るの?
結婚してあんなに可愛い娘もいるのにカズ君と仲良くするなんて、天梨さんは何を考えてるのよ。
私が入れていない好きな人の懐に簡単に入っていることが、羨ましくて妬ましくて気が狂いそうだった。
そのせいかもしれない。
「迷子になってたあまなちゃんを見つけた時、あの子は泣いてなかっただろ? 本人が賢いのもあるけど、
「え、女手一つって……シングルマザー、なの?」
「あー……まぁ、な」
母子家庭なのだと知らされて、自分が如何に嫉妬深い性格だと突きつけられたのは。
暗に尋ねた旦那の所在に関して、カズ君は曖昧に返すだけでそれ以上は何も言わなかった。
──本当……嫌になる。
天梨さんは仕事で家を空けるから、大事なあまなちゃんを最も信頼出来るカズ君に預けただけなのに、嫉妬心から変に勘繰ってしまったんだから。
その原因の嫉妬を掘り下げるなら、恋愛的なものだけじゃなくて人としての気持ちも含まれているようにすら思える。
大体、あのあまなちゃんを見れば天梨さんがどれだけ立派な母親なのか分かるじゃない。
人妻の彼女をどうこうしようなんて考えていたら、カズ君だって信頼されていなかったでしょうし。
そんな自分の視野狭窄ぶりにため息しか出なくなる。
まだ彼女でもない同僚なのに、顔も性格もよく知りもしない相手に嫉妬だなんて烏滸がましい。
嫉妬している暇があるなら、少しでもカズ君に好きになってもらえるようにしなきゃ。
そして……想いの強さなら私は負けるつもりはない。
だから、ただの同僚でいるのはやめよう。
足踏みしていた一歩を前に進めるために、鼓動が早くなるほどの緊張が顔に出ないようにしながら口を開く。
「カズ君」
「どうした?」
「お礼の内容が決まったわ」
「お、そうか。なんなんだ?」
呼び掛けるとさっきまでのこっちの嫉妬に気付いていないようで、安心したようなちょっとくらい気に掛けてくれてもいいのなんて不満が混じった。
我ながら面倒くさい心境だと失笑を浮かべたくなるわね。
そんな一喜一憂を感じつつも、私はカズ君にしてもらいたいお礼を伝える。
「私達ってもう6年も付き合いがあるわよね?」
「まぁそうだな」
「それなら、相応の呼び方っていうのがあっても良いと思うのよ」
「分からなくもないけど……今更感があるな」
「コラ。事実でもそんなこと言わない」
これからその今更を変えようとしてるのに、気力を削ぐようなことを言わないでほしい。
どうしてこういう時は異様に察しが悪いのかしら?
そう思っても口に出来ないのが惚れた弱みというか……まぁこれからの頑張り次第でその認識を改めさせればいいと前向きに開き直るしかないわね。
「それで? 結局何が良いんだよ?」
「っと、話が逸れてたわね。何もそんな難しいことじゃないから」
未だピンと来ていない様子のカズ君に、緊張を隠すために平静を装った苦笑を浮かべて結論を告げる。
「茉央って……名前で呼んで、ほしい、んだけど……だ、ダメ?」
もっと毅然と言うつもりだったのに、最後は自分でも聞き取れるか怪しいくらいに小さくなってしまった。
バカバカバカバカ、どうして肝心な時にヘタレたのよ私!?
恥ずかし過ぎて全身から火が噴き出そうだわ!!
何とも前途多難な自分の有り様に呆れを通り越した羞恥心を感じる一方、お礼の内容を告げられたカズ君は茫然とした表情だ。
「え? あー……そんなんでいいのか?」
そして言うに事を欠いて平然と返して来た。
コイツ全く動揺してないんだけど!?
羞恥を殴り飛ばす勢いで怒りが込み上げてくるけど、ここで感情任せに行動したらさっきお勇気が台無しになってしまうので、歯を嚙み締めたくなる気持ちを抑える。
「い、良いから言ったのよ! 文句でもあるの!?」
「い、いや無いけど……」
「なら呼んで。今すぐ名前で呼んで。2秒以内に呼んでちょうだい!!」
「分かった分かりました! 呼ぶよ!」
もうヤケクソ気味に名前で呼ぶように強要した感じになったけれど、カズ君は慌てながらも息を整えてからまっすぐに目を合わせてくれる。
「──ま、茉央……」
「~~っ!!」
名前を呼ばれる……たったそれだけのことなのに、堪らず笑みを浮かべてしまいそうになる。
ここまで単純な感性じゃなかったはずなんだけど……でも、一言で言い表せない満足感があった。
嬉し過ぎて自分の表情が保てているのか考える余裕もなく、声に出ないように我慢するので精一杯だ。
この最初の一歩は、私にとって忘れられない思い出になるなと自覚したと同時に、改めて彼の事が好きなのだと感じることが出来た大事なものになる。
これから会話の度にカズ君から茉央って呼ばれるんだと期待に胸を躍らせながら、残りの時間を大事に楽しんでいった。
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