出発前の朝
目覚た瞬間真っ先に感じたことは、上半身が小さく揺らされていることだった。
ゆっくり起こすように加減しているというより、力が弱くてあまり強く押せないという感じだ。
「──…っ! ……っ!」
「ん、ん~……寝かせてくれぇ~……」
「──おきてー! きょーはおでかけするんでしょー、おにーさん!」
「……んぁ?」
どうして朝から天使の声が聞こえるんだろうか?
そんな疑問が浮かぶがどうにも思考が纏まりそうになく、むしろ考えるのが面倒な気分だ。
結果、ぼやけた頭で『これは夢だ』と結論付けた。
「──ひゃっ!?」
「う~ん、柔らかい……」
とにかく、こんな可愛い天使が起こしに来てくれる夢ならと、肩を押す手を握って一気に胸元まで引き寄せ、抱き枕のように両腕の中に収めた。
抱き寄せた天使の体は腕の中に丁度収まり、その温かい体温と餅の様に柔らかい肌がとてつもなく心地良い。
鼻腔を擽る香りも極上のように感じる。
一生こうやって抱いていられるわ。
「お、おにーさん、あさだからおきないとだめだよー?」
「いやだぁ~仕事行きたくない~」
「きゃっ!?」
こんな天国から出て堪るかと、天使を逃がすまいと一層両腕に力を込める。
そう、俺が今いるのは天国だ……ずっとここにいたいと思える優しい世界だ。
だというのに何が悲しくて、あんな地獄も生温い仕事に行かないといけないんだろうか。
なので出勤は断固拒否する。
腕の中で天使が何か訴えるが、夢の中だし気にしない。
今日はもうずっとこうして癒されてや──。
「いい加減に起きろ! このクソアニキ!!」
「いっっでぇええっ!?」
唐突に割って入った怒号と共に、耳を思いきり抓られたことによって無理矢理意識を覚醒させられた。
千切れるのではないかと錯覚する程に痛む耳を抑えつつ、上半身を起こして下手人を睨む。
「なにすんだよ黒音! せっかくいい夢を見てたのに!」
「朝メシが出来たからあまなちゃんに起こしてもらうように頼んだのに、一向に起きようとしないそっちが悪いんでしょ!!」
「え、もうそんな時間なのか?」
お怒りな様子の黒音は私服の上にエプロンを付けていて、隣のキッチンから香る味噌汁の匂いから嘘ではないと分かる。
というか待ってほしい。
今コイツ、あまなちゃんに俺を起こすように頼んだって言ってなかったか?
もし、夢の内容が実は現実だったとしたら……そんな軽く息が詰まりそうな恐怖を懐きつつ、恐る恐る視線を下に向けると……。
「う~……」
身を縮こませたまま真っ赤な顔を両手で覆い隠し、こちらに目を合わそうとしないあまなちゃんの姿があった。
え……これ、やばくない……?
突如押し寄せるように背中に冷や汗が溢れ出す。
それに併せて全身の震えが止まらなくなる。
そんな兄の心象を気に掛けるでもなく、黒音は冷静にスマホを操作してこちらに突き出す。
──そこには、気持ち悪いくらいだらしない顔をしている俺があまなちゃんを抱き締めている様子が撮られていた。
どこからどうみても事案です、本当にありがとうございました。
とりあえず俺が最初に取った行動は、あまなちゃんに土下座をして謝ることだった……。
=====
朝から自分で自分の首を絞めるような真似をしてしまったが、思いの外あまなちゃんからはすぐに許してもらえた。
普段の仕事が大変だから朝に起きるのが辛いも無理もないという、何とも有りがたいお言葉付きだ。
そして自惚れでなければ俺に抱き締められたことが嬉しいのか、機嫌が良いようにも見える。
天使かよ。
一方で、黒音に撮られた画像に関しては外出先で欲しい物を1つ買うことを条件に消してもらってる。
コイツのことだから、証拠云々よりそれを狙って撮ったんだろう。
こっちは全然可愛くないな。
そんなこんなで朝食を済ませた俺達は、外出の準備を整える。
あまなちゃんの服装は袖や裾にオレンジのフリルが付いたパステルイエローの半袖のブラウスに、ピンクと水色のストライプ柄のスカートという可愛らしい装いだ。
その小さな背中には初日に背負っていた黄色と青色のチェック柄のリュックサックがあり、中身は少な目にしている。
そして明るい茶髪は黒音の監修によるツインテールだ。
服装と相まって良く似合ってる。
黒音はというと、セミロングの黒髪をうなじ辺りに束ねて降ろして、服装は黒のタンクトップの上にオフショルダーの大き目な白いシャツを重ね着していた。
下はジーンズのショートパンツで肉付きの良い太ももを惜しげもなく晒している。
さらに茶色のショルダーバッグによるパイスラも加わって、似合ってはいるが兄としては何とも言い難い格好だ。
「お前、その露出はどうにかなんないのか?」
「え~イマドキこんなもんだよ?」
「いやほら、そんな格好でいたらナンパとか来るだろうし、兄として心配してだなぁ……」
「その時はアニキをナンパ避けに使うから大丈夫だって!」
「おい」
心配して損させるようなこと言うなよ。
呆れてモノも言えず溜息をつくが、黒音は自分の容姿を十全に理解した上でこの服装なんだ。
周囲の視線や評価よりも、自分らしくあろうとするところが我が妹らしいというか……。
「まぁ、黒音に似合ってるとは思うけど、あんまり心配させるなよ」
「分かってるってば」
ひとまず素直な感想だけは伝えておく。
その言葉を受けた黒音はあっけらかんとしながらも、口元が僅かに笑みを浮かべている。
どうやら嬉しいらしい。
「おにーさん、あまなは?」
「めちゃくちゃ可愛いよ。全然見違えていてびっくりしたくらいだ」
「ホント? やったー!」
黒音が褒められているのを見て、今度はあまなちゃんが俺に感想を求めて来た。
なので俺はオブラートを突き破った称賛を述べる。
大袈裟過ぎじゃないかって?
ぶっちゃけ自分の語彙力の無さを恨むレベルで言葉が足りてないから、まだまだ足りてないくらいだ。
「……ねぇアニキ。アニキって本当にロリコンじゃないんだよね?」
「はぁ?」
しかし、何故か黒音が引くような視線を向けてそう言ってくる。
何をいきなり失礼なことを言って来るやら……。
「そんなわけないだろ? 俺は至って普通だ」
「あのさ、あまなちゃんの頭撫でながら言っても全然説得力無いからね?」
だが説明をしたところで黒音の眼差しが和らぐことはなく、むしろ距離が開いたようにすら思える。
そうしている内に、ショッピングモールに向かう時間となった。
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