ネト充の歩き方

竹千代

第1話 無職だし……




 薄暗い神殿の最深部、どこからともなく差し込む青白い光が一層不気味さを醸し出す。

 まるで異世界にでも続いてるんじゃないかとも思える程に深く、真っ黒に染まった大きな穴。そんな穴の上に掛かった歪な橋を数百人が列を成して歩いていく。


 橋の上にあった小さな石ころを誰かが蹴ると、それはコツンコツンと橋の上を転がり、そして暗闇の中へと吸い込まれていった。しばらく耳を澄ましていたが、石ころが音を返してくることはなかった。



「諸君、今回はよく集まってくれた、『Artemis』のペヨーテだ。」



 全員が橋を渡り、数メートルはあろう悍ましい扉の前に集まったところで一人の男が声を発した。


 ギルドの頂点を決める大会で3連覇中の大所帯ギルドArtemis。ギルドメンバー全員がそこらのプレイヤーとは比較できないほど強いのは言うまでもないが、中でも三傑と呼ばれる3人に至っては次元そのものが違うとまで言われている。

 そのうちの一人『豪傑のペヨーテ』と言えば、少なくとも最前線で戦うこの中に知らないものはいないだろう。



「今回の目的はこの神殿の攻略、すなわちこの扉の向こうにいるベルフェゴールの討伐を以て完了する。敵の名前以外全く情報はないが、ここにいるのは猛者ばかりだと信じている。各自が状況を判断して的確に動けば、決して我々は負けることはない」



 ペヨーテの言葉に、誰かが『おおおおおっ』と雄叫びを上げた。

 それを合図に、各々が武器を掲げ、雄叫びを上げ、手柄を挙げようと奮起する。誰も負けるなんて言葉は頭にはよぎらない。あるのは絶対的な勝利だ。

 ペヨーテはその興奮が最高潮に達したのを見計らい、目の前にある悍ましい扉に手を当てた。すると、その大きな扉はギィィと軋んだ音を上げながら独りでに開いた。



「……では参――」



 ペヨーテが武器を構えようとしたその刹那、直径数センチ程度の真っ白な光線がペヨーテ、そしてその後ろにいたプレイヤーを次々と貫いた。


 ほんの一瞬の出来事に、その場にいた誰もが固まる。攻撃を受けたペヨーテでさえも何が起こったのか理解していない様子で、頑強な鎧に覆われたその身体が地面に倒れこむ。

 そしてしんと静まり返ったその場所で、ペヨーテ達の身体が砕け散った。



「な……なんだアイツは……」



 数秒ほどして、誰かがその沈黙を破る。そしてその言葉を機に、興奮は一気に混乱へと翻った。


 油断していたとはいえ、Artemisの三傑が一撃でやられたという事実。指揮者であるペヨーテを失ったという衝撃に、誰もが自分の役目を見失う。

 いや、それだけじゃない。扉の奥から溢れ出す殺気は形容できないくらいに獰悪で、迂闊に近づいたらヤバいことを誰もが本能的に理解していた。だからこそ、誰もその扉の奥へ入ろうとはしなかった。



「トオルさん、どうします?」



 そんな状況の中、隣にいた少年がさも冷静な声で俺の名前を呼んだ。


 ボス部屋の扉は開かれてから1分後に閉じる。この状況を立て直してから同じメンバーで再戦するのが最善ではあるが、そのためには一度ダンジョンを入りなおさないといけない。となると早くても明日になるだろう。


 そんなことを考えながら、横にいる少年に視線を落とした。

 遠距離攻撃が主体のためか、防具は軽装……。というよりもほとんど身に着けていないといった方が正しいかもしれない。俺よりも15センチほど低い位置、右手に彼の伸長と同じくらいの長さの銃を持ちながら爽やかなイケメン顔が上目遣いに俺を覗いていた。



「遠距離タイプなら問題ない。いつも通り俺が囮になるから、セリ君は距離を取りながらダメージを頼む」



 そう答える俺に、セリは怪訝な表情を浮かべながら無言で俺を見つめる。



「いや……攻め方じゃなくて、戦うかどうかを聞いたんですけど」



「え?あ、ごめん……」



「冗談ですよ」



 そう言ってセリは小さく笑った。




 扉を開いてから1分が経ったのだろう、軋む音と共に開いていた扉ゆっくりと動き始めた。それを合図に俺とセリはお互いに視線を切り、一直線にその扉の中へと駆けていく。

 驚く表情を浮かべたプレイヤーたちが横目に見えたが、生憎構っている余裕はなさそうだ。


 扉が閉まりきるぎりぎりで、何とか二人とも身体を部屋の中へと滑り込ます。が、安堵させる間もなく、ピッという音が俺の耳元を通り過ぎた。

 なんだ?という思考が頭を巡るよりも先に、その光線が壁にぶつかり壮大な爆発音を轟かせた。



「トオルさん、あいつ結構早いです」



 俺からおおよそ10メートルほど距離を取ったところにいるセリが大きな声でそれを伝える。

『そんなこと分かってる』と言おうとしたが、よそ見するなと言わんばかりに俺の視線のすぐ前を狙ったベルフェゴールの威嚇に、俺はその言葉を飲みこんだ。



 身体は鱗のようなもので覆われており、両手には武器として十分すぎるほどに長く尖った4本の爪。人間のように二足で立ち、2本の歪な角が生えた顔はまるで病気の牛のようだ。

 そんなベルフェゴールと数メートルの距離を保ち、剣を構えながらじっと見つめ合う。




 ……来る。

 そう感じたコンマ数秒後、あの光線が俺の頬を掠める。今度は威嚇じゃない。俺を狙った本気の攻撃だ。

 肉が焦げた臭いと、刃物で切られたような鋭い痛みに思わず顔が歪む。


 と、今度はセリが放った攻撃がベルフェゴールの右腕へと直撃する。

 が、ベルフェゴールの鱗は思ったよりも固いらしく、セリの攻撃がダメージを与えている様子はない。

 当然、そんなセリの攻撃にベルフェゴールが意識を向けることはなく、俺との睨み合いが続く。


 接近戦になる前にあと一回は見ておきたいと思う俺には折りよく、ベルフェゴールが攻撃を仕掛ける。

 さっきはわずかに掠ったが、想定通りの軌跡を辿るその光線を今度はすれすれで躱す。と同時に、一瞬無防備となったベルフェゴールの腹にセリがすかさず援護射撃を放つ。


 鱗がほとんど無いせいか、セリの攻撃にベルフェゴールがバランスを崩した。


 いける……。

 そう感じた俺は地面を思い切り蹴り、一直線にベルフェゴールの元へと駆け、腰に掛けた剣に手を伸ばした。

 そしてフッと息を止め、力を込めた腕を思い切りベルフェゴールの喉をめがけて振り払った。


 が、その切っ先は喉元ギリギリの空を切る。



「クソッ」



 と歯を食いしばる俺の視界の端で何かが動いたかと思うと、ベルフェゴールの尻尾が鞭のようにしなり俺の横腹にぶつかる。

 無防備な身体への攻撃に思わず声が漏れたが、耐えられない程の痛みではない。あの光線にさえ当たらなければ勝ち目はありそうだ。


 そう思うと同時に、ベルフェゴールの口が微かに光った。



「トオルさん!」



 セリもその光が見えたのだろう、後ろの方で俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。

 だが、これでもう4度目だ。どこにその光線が来るのか、その軌道はなぜか自然と俺の視界に浮かぶ。


 ベルフェゴールの口から放たれた光線を横目に見送り、そのまま身体を一回転させながら俺を狙ってきた大きな尻尾めがけて剣を思い切り振るった。



「ゴグアアアアアァァ」



 尻尾から勢いよく噴き出た青い血飛沫と共に、ベルフェゴールが猛々しい雄叫びを上げる。

 蹌踉めく身体、そこにすかさず追い打ちをかける。ベルフェゴールも負けじと尖った爪を無造作に振り回すが、セリの援護射撃がそれを遮る。

 それでもベルフェゴールは叫び声を上げながら攻撃を続ける。が、キレがなくなったその光線はもはや放たれることもなく、隙のできたその喉を俺の剣が引き裂いた。



「ガ……」



 という最後の声を発し、ベルフェゴールの身体が砕けた。



「や……」





 セリの声に混ざって、はぁはぁという自分の荒い息遣いが耳を刺激する。



「やりましたねトオルさんッ!」



「ああ、まさか二人で勝てるとはな」



 無邪気に喜びながら走ってくるセリとハイタッチを交わした。

 まさか本当に勝てるとは……。改めて自分が成し遂げたことに今さらながら興奮する。



 ボスを倒した最初のプレイヤーは部屋にある石碑にその名前が刻まれる。普通は攻略班が先に討伐してしまうため、俺にとってはこれが初めてだ。そしてそれはセリも同じだろう。


 石碑を見に行きたい……。いや、ベルフェゴールがいったいどんなアイテムをドロップしたのか確認したい。

 そんな興奮を抑えつつ、目の前で燥ぐセリに口を開く。



「セリ君……時間大丈夫?」



 ん?

 と怪訝な表情を浮かべたセリはすぐに『ヤバッ』と大きな声を漏らした。


 いや、実はと言うと俺はボス部屋に入ったあたりから時間がヤバいことに気付いていたんだけど、あの状況でセリに抜けられるとどうしようもないわけで……。

 なんていう言い訳をあえて口には出さず、心の中へとしまう。



「すいませんトオルさん、学校遅刻しちゃうんで落ちます!トオルさんも会社遅れないように気を付けてください!」



 そう言って、セリは慌てた様子でログアウトの準備を始める。




 と思いきや、『そう言えば……』なんて、何かを思い出したように、動きを止めたセリが口を動かした。



「トオルさん、今週末に東京であるイベント、一緒に行きましょう!」



 それだけを言うと、セリは俺の返事も待たずに右手を小さく上げて姿を消した。


 え……。と困惑するも、その続きを話す相手もおらず、静かになった広いボス部屋の中心で一人ぽつんと佇む。

 さっきまで俺が輝いていたはずのこの部屋が、今はなんだか居心地悪く感じる。



「……俺も一回落ちるか」



 そう独り言を呟いた。






 クーラーがきいた部屋は少し肌寒い。

 光が差し込んだカーテンの隙間は明るく、どこからともなく蝉の騒がしい鳴き声が聞こえてきた。青白く不気味だった神殿だった視界も、今は見慣れた天井だ。




 会社遅れないようにって言われてもなぁ……。


 セリに言われたことを頭の中で復唱しながら、頭に着けた装置を外す。そしてベッドに横たわった身体を起こし、見苦しく伸びた無精ひげをさすった。



「俺……無職だし……」



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