Astray
砂樹あきら
第1話
私は私がわからない。
私は私以外のあなたがわからない。
私はこの世界でどうして生きていくのかわからない。
私がこの世界をどうにかできるなんて思っていない。
この世界が私をどうにかしてくれるなんて、
この世界が私を中心に回るなんて思っていないけど、
それでもいつか
この世界が私を受け入れてくれる日が来るのだろうか?
この世界のどこかに自分の居場所を見つける日が来るのだろうか?
「はぁ~…」
黒板に一番近い席でみんなに聞こえないようにため息をついて机に突っ伏した。
両腕を組んでその中に顔をうずめる。
自分の吐き出す呼気で肌が湿ってくる。
目を開けたまま樹の節目を何の意味のなく辿った。
机と腕の隙間から午後の光が差し込むが、気にしなければ結構暗いものだ。
まだ、5時間目の休み時間。
放課後まであと1時間授業を受けなくてはならない。
休み時間だけあって教室ではみんな仲のよい友達とおしゃべりに花が咲く。
女子も男子も、みんな。
そんな喧騒からひとり取り残されている気がした。
ただぽつんと自分の席から離れられずにいた。
(うざいっ!)
何に対してイラついているのかわからないまま、組んでいた手に力が入った。
このまま、手で耳を覆いたくなるほど周囲の音が癇に障った。
何もかも忘れるように両目をかたく閉じてみた。
もう何回こんな日々をやり過ごしているのだろう?
何の感概も感動もなく。
ただ義務感で通っているこの場所に。
知らず、知らず身体全体に力が入っていた。
背中が攣ったように痛くなってきた。
(バカみたい。)
また、ため息が出た。
全身の力を抜いて、意を決して上半身を机の上に起こした。
「!?」
一瞬、目を疑った。
辺りは夕闇に包まれていた。
薄暗くなった教室にひとり座っていたのだ。
自分の周りには誰一人としていなかった。
「え?」
何が起こっているのかわからず、ただ呆然と立ち上がって辺りを見回した。
窓の外にかすかに残る夕暮れの明るさで、規則正しく並んでいる机しか見えなかった。
「クラスのみんなは?」
時計に目をやると14時半を指していた。
秒針もきちんと動いている。
時計が壊れているわけではなさそうだ。
しかし、この暗さは14時台のそれではない。
時間が数時間飛んでしまったように、自分の周りだけがどこかに行ってしまった感覚に襲われた。
「一体何が…」
立ち上がって歩こうとしたが何かにつまづいて転びそうになった。
何とか体勢を立て直して、バランスをとった。
「ここはどこなの?」
「星幽界にあるおそらくは…虚数でできた閉鎖空間」
「!」
男の人の声だった。
それも聞き覚えのない声だった。
人の気配はまったくしなかったので、自分以外は誰もいないものだと決め付けていた。
自問自答したつもりがどこからか答えが返ってきたことに驚いた。
声のする方向から彼の位置を探った。
後ろの窓。
正確にはベランダに出るガラス戸のところに黒い影が見えた。
外を向いたままちょっと体重を左足にかけるようにして立っていた。
暗くて服装まではわからないが、華奢な後姿に見覚えがある気がした。
声の聞こえた方向をたよりに近づいていった。
外気光に照らされたその顔をそっと覗き込んだ。
「バー…ン?」
彼はそれでもまっすぐ窓の外を見つめたまま動かなかった。
「……」
「どうして?あなたは砂樹様の書いた小説のキャラで・・・」
「……」
「現実には存在しない」
「それをどう…証明する?」
初めて彼が動いた。
柔らかな金髪が揺れた。
彼と視線が合った。
間近で彼のオッド・アイを見た。
微かな光を反射する金の瞳と蒼の瞳を。
吸い込まれそうだった。
自分の視線も意識も何もかも。
「俺が想像の産物だと。あるいは、君がそう…じゃないと?」
「そ、それは」
穏やかな声で反論する彼に何も言えなくなってしまった。
無表情のまま彼がこちらを見ていた。
口を開くことすらはばかられる重苦しい雰囲気が続いた。
「……」
「……」
「こういう話がある。蝶の夢を見た男が、夢から覚めてふと思った。現実は…どっちだろう。もしかしたら、蝶になっているほうが現実で、人間の自分は…蝶の夢にすぎないのではないか…と。」
そういうと再びバーンは窓の外に視線を向けた。
何かを待っているようだった。
「ごめんなさい。」と、小さな声で彼女がつぶやいた。
「……」
「自分でも決め付けられのは、好きじゃないのに。・・・あなたの気持ちなんて考えてなかった。」
「……」
彼から言葉は返ってこなかった。
それでもさっきの重苦しい雰囲気はなくなっていた。
「あ、あの聞いてもいいですか?」
「……」
「星幽界って何ですか?」
「……」
沈黙が続いた。
何か聞いてはいけないことに触れたのだろうか?
何を考えているかわからない怖さを抱えながら答えを待った。
遠くを見ていたバーンの視線が眼の前の公園で止まった。
「現実世界じゃない場所ってとこか…」
「これは夢じゃないんですか?」
「いや。」
間髪をおかずに否定された。
「君には霊界って言ったほうが近いか」
「でもさっきまで昼間で、みんないて」
「俺も君も、実体じゃない」
「実体じゃない!?」
バーンは自分の右手をじっと見つめた。
「
彼女は自分の顔や腕を触ってみた。
触覚も痛覚もある。
「信じられない。」
「……」
バーンが外を指差した。
目の前には愛子バイパスが見えた。
学校の周りにあるガソリンスタンドや様々な店がライトやイルミネーションを放っている。
その一際眩しい光に照らし出された道路を彼は指差していた。
「車が走ってないっ!?」
いつも引っ切り無しに車が行き交うこの道路に1台の車も走っていなかった。
もちろん学校の目の前に広がる公園にも間にある道路にも誰一人いなかった。
「この空間には俺達以外いない。」
「どうして、それが?」
「……」
彼はこぶしを握ったままの右腕を彼女のほうに差し出して見せた。
風が音をたてて渦巻いているのが感じられた。
「さっきから、大気の精霊を全方向に展開させてる。半径50kmの範囲に建物はあっても、動物や人はいない…。」
「そうなんだ。」
妙に納得した。
彼女の表情が暗くなった。
「驚かないんだな」
不思議そうにたずねた。
いつもと違う状況に彼自身も戸惑っていたかもしれない。
人は自分と違うものを排除しようという傾向がある。
そういう拒絶反応がないこの少女に対してどこか違和感のようなものを感じた。
「え?」
「……」
「なにを?」
「精霊を使役している、そういったこと」
「不思議なこと、好きだから。それにバーンならできて当たり前かなって。あ、ごめんなさい。なれなれしく呼び捨てにしちゃって。」
ぱっと彼女の表情が明るくなった。
「……」
「私、高梁紫音っていいます。この学校の3年生です。ここが自分の教室だったんですけど、こんなことになって。あの」
「……」
「隣に行ってもいいですか?」
「……」
肯定も否定もせずただ黙り込んだ。
その沈黙を肯定したと判断して、彼女は2,3歩歩みを進めた。
「どうして、私もバーンもここに来たのかな?」
彼と同じように窓の外を見てみた。
いつもの見慣れた風景だった。
ずっとここから見続けた風景だった。
蕃山の黒い山影。
西には赤く染まった夕焼け。
茂庭の方向には白っぽい月が出ていた。
「・・・・さあな。」
「・・・・」
「少なくとも、俺の意思じゃ…ない。」
「私は、自分で望んで来た気がする。」
そう言うとうつむいた。
「だったら、ここは君が創った空間だ」
「この風景が?私の?」
彼に断言されて、弾かれたように顔を上げた。
それでも彼が彼女の方を見ることはなかった。
意図的に見ないようにしているようにも思えた。
「人の『思念』は思った以上に『力』があるんだ。俺や臣人みたいな『力』はなくても、時にその『思念』は爆発的な『力』を…生む。」
薄暗い、重く圧し掛かる空気。
紫色の空。
誰ひとりもいない空間。
人が作り出す無数の音がまったくない静寂の空間。
時だけが静かに流れていくだけの空間が広がっていた。
彼女はもう一度その景色を眺めた。
「ショックだなぁ~。自分の事で嫌になってたんだけど、心象風景をこんな形で見せられると。なんか有り得ない。」
「……」
「これが本音かぁ」
開き直ったように投げやりに言葉をつぶやいた。
「紫音」
その声に彼女はドキッとしたように身体をこわばらせた。
横にいる彼女の顔を見ながらバーンが話し始めた。
「本当に…自分の事が嫌でひとりになりたいと願ったのなら、なぜ、俺を呼び寄せた?」
「呼んでない。私は呼び寄せてない。」
「現に俺はここにいる。俺は紫音じゃない。別の人格を持った別な存在だ。俺が望んでここにいるわけじゃない以上、それでも、同じ空間にいられるってことは君が呼んだとしか考えられない…」
苦悶の表情を浮かべながらうつむく以外になかった。
「わからない。自分の事が一番わからないのに。」
感情が高ぶっていくのが自分でもわかった。
彼女とは逆にバーンは本当に静かな口調で語りかけていた。
どこか諭すように、彼女の真意を探るように。
「心のどこかで、誰かにわかってほしいと願っているからじゃないのか。」
「……」
「自分には何もないと思い込むのは勝手だが、それで他人を巻き込んでいたら…。」
最悪だという言葉をバーンは飲み込んだ。
「……」
「…少なくても俺は巻き込まれてる。」
「バーンにはわからないわよ!私の気持ちなんてっ」
彼女は叫んでいた。
自分で叫んだ声の大きさに驚いた表情で、両手で口元を押さえていた。
バーンはその声を受け止めるように沈黙を守った。
「わかるさ。俺と君は、似たもの同士だ。」
そう言うと彼女から視線を外し、再び外を見た。
「人と関わるのがいやなら、ずっとこの空間(世界)に居続ければいい。ここには、誰もいない。君に話しかける者も、君を傷つける者も」
「……」
「同じように、君を気遣う者も君を守る者もいない」
「……」
「自分を自分で意味づける。そのことに無意味さを感じるのなら、君は人との繋がりを求めてる」
「私は友達なんてっ」
彼女は反論しようとしたが、彼は聞く耳を持たないのか違う話を振ってきた。
「他人は、自分を映す鏡といわれる。知っているかい?」
(鏡?)
「俺にとってそれは臣人だけれど。今の君にとっては、俺がそれなんだろう…。」
「バーンが?」
「鏡に映った自分の姿を見るのが、恐いか?」
「……」
「見る勇気が、ないのか?」
「……」
激しく首を横に振った。
「生きている価値なんて私にはないのよ!自分がなんだかわからないのに生きてくなんて」
「わからないから死ぬのか?随分、端的だな。」
「!」
彼の前で口にしてはいなかった言葉のはずなのに、言い当てられてしまった。
「死ぬとか、死にたいとか軽々しく口に出すな。『思念』は『現象』を呼び寄せるんだ。『死』に目をつけられると、逃れられなくなる。俺みたいに」
まるで自分の姿を彼女の姿に重ねるように悲しい眼で彼女を見ていた。
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