花火━━林檎のような夏
宮野実憂
後輩編
「ごめん、少しだけ待って」
教室の窓から、グラウンドでシュート練習をするサッカー部を見ていた先輩は、そのままでこう答えた。僕は先輩が誰を見ているか大体分かる。それなのに、一週間後に迫った花火大会の誘いを断らないのもなんとなくだが分かる。それでも僕は、一緒に出かけられるならいいと思った。最初で最後だと察していたから。
「行けることになった。よろしくね!」
僕より二十センチ低い先輩は、今度はちゃんと振り向いて真ん丸な目をこちらに向けて、僕にそう言った。花火大会の前日だった。もう嬉しさとか後悔とかそんなものは無く、やけくそに近かった。サッカー部の方に目をやると、黄色いユニフォームの中に十番は見当たらない。どうやらあの人は休んでいるらしい。去り際にちょっとおどかしてやろうと思って、後ろから先輩の両肩に勢いよく手を置いた。先輩のリアクションは芸人並みにオーバーで、いつもならそれを冷やかすはずだけど、そんなことできなかった。
当日、紺色の甚平を着て来た僕に先輩は
「へー、案外センスあるんだね。見直しちゃった」
と言った。ああ、こんな日も平常運転かと、安心する。
先輩には一年生の頃からイジられてきた。僕のひょうきんで不器用なところが面白いらしく、何かにつけてからかってきた。同じ茶道部の奴らは、どこか不思議な雰囲気のある白桃のように白い肌の先輩に、憧れの念を抱いていた。ただ同時に、誰が気になっているのかも知っていた。だからこそ、デートに誘うなんてもってのほかだった。禁断の領域に足を踏み入れた僕を、連中は黙っちゃいないと思うが、やったもん勝ちだろうとやはりやけくそだった。
会場につくと、先輩は
「ねえ、なにか食べよう!」
と屋台の方を指さした。
「やっぱり先輩は食い意地張ってますね。いつも通りでよかった」
「うん、高校最後の花火大会だから、好きなことしなきゃ!」
そういうと、僕の袖をぐいっと引っ張って屋台の方へ行く。はあ、かわいいなあ、なんて思う暇もなく屋台を巡った。結局、焼きそばとりんご飴くらいしか買わなかったが、それでも先輩は満足そうに笑みを浮かべていた。
十九時になり、花火大会が始まった。その日だけは月よりも輝き、数秒で消えゆくそれは数万人の視線を独占する。僕も先輩ももれなくそれに当てはまった。ただ、それに期待することはみんな違う。光や音、余韻の煙を嗜む人、宿題に出た毎日日記のネタに仕方なく来る子ども、雰囲気に便乗して告白しようとする人、あるいはただイチャイチャする為に来る人。残念ながら僕ら二人はどれでもないが、思惑があることには違いない。
「あれサンドウィッチみたいだね!」
今日はいつも通りの食い意地だが、やたら能天気を演じてくる。後ろめたいことがあるなら言えばいいのに。それとも、一緒に花火を見ていること自体がやましいのだろうか。本人は気づいていないだろうが、ハートと黄色の花火が観客を魅了する時以外、話を切らさないようにこれでもかと話しかけてきた。どうやら沈黙を打ち消さないと気が済まないらしい。
それなら来なければよかったと、僕は初めて後悔した。
一時間後、僕らは人混みに流されもみくちゃになっていた。一五五センチの先輩はいっそう小さく見えて、守らなくちゃいけないと、強くそう思わせた。
「先輩、手繋いでください。迷子になるでしょう?」
言った後に煽りに聞こえたかもしれないと不安に思ったが、
「……うん」
恥じらいつつも手を伸ばす素直さに、やはり惚れてしまいそうになる。今日は二人ともおかしいんだと、よく分からない理論でその時は片付けるしかなかった。
頭が冷えたのは電車を待っている時だった。隣で泣きそうな先輩を見て、やはりそうだったかと全てを察した僕は、後押しをすることにした。
「先輩、今日はサッカー部大会があったらしいですね。なんでも、エースナンバーを付けた松本先輩がハットトリックを達成して優勝したとか。MVPももらったみたいで、先輩も鼻が高いですね」
「うん、そうだよね!松本くんは副部長としていつも部活を影から支えてるからね。でも大会になると……あっ、ごめん」
「いいですよ、別に。それより、僕の誘いを承諾したのは盛大にからかうためですか。それとも……」
「違う!違うよ。……いや、からかうためだよ!松本くんと付き合えそうだってみんなが知ってるこの時に誘うんだから、それ以外ないじゃない!」
冗談めかしにそう言う先輩を見て、安心した。これでもう僕に戻ってこない。
いいんだ、これで。
「お礼はいらないですからね」
「なんでお礼なんかしなくちゃいけないの。するわけないでしょ」
そっぽを向いてほっぺを膨らませる先輩もやはりかわいい。だけど、前を向いた先輩を振り向かせることはできない。
さあ、来年は誰と来ようか。この花火大会。
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