日曜の朝
くまこ
日曜の朝
枕元でスマホの通知音が鳴った。
反射的に、薄く目を開ける。
いつも寝るときはだいたい音を消しているけれど、そういえば昨日は
サイレントにするのを忘れたかもしれない。
目を瞑ればまた心地よい眠りに入れそうなまどろみの中、
僕は隣で寝息をたてている彼女をぼんやりと見つめた。
カーテンから差し込む光はもう明るくて、
彼女の顔がはっきりと見える。
長い睫毛、きりっとした眉、そして艷やかな唇。
「キスしたい…」
僕は反射的にそう思ってしまった。
身体の向きを変えて、彼女の髪に触れると
なんとも言いがたい衝動が全身を駆け巡るのがわかる。
思わず彼女の額に優しく口づけた。
起きないかな、と少し期待したけれど、
彼女の身体は寝息に合わせて穏やかに上下している。
僕の眠気はすっかりどこかにいってしまって、
彼女の頭を優しく撫でながら、ただひたすら彼女の顔を見つめていた。
僕と彼女が一緒に住むようになって2年が経つ。
お互い何かと忙しくて、平日の夜もゆっくり会話できることは少ない。
だから今日みたいに、なんの予定もない日曜日の朝は、
僕たちにとってそれはそれは幸せな時間なのだった。
僕は枕元のスマホに手を伸ばした。
時刻は6時前だ。
そろそろ起きてもいいかもしれない。
そういえばさっきの通知音は何だったのかな。
通知をスワイプさせると、それは、とある女の子からのメッセージだった。
「おはようございます。朝早くにすみません。
今日、時間があったらちょっと相談にのってほしいです」
めずらしいな、と僕は思った。
この子は、僕の仕事の後輩で、立場上、何かと相談に乗ることもある。
でもそういうのは大抵平日の夜で、今日みたいに日曜日に、
しかもまぁまぁ早朝に連絡がくることは初めてだった。
すぐに返信するかどうかしばらく思案して、
僕はもう一度、隣の彼女を見た。
相変わらず穏やかな寝息をたてている。なかなか起きる気配はない。
僕はスマホを置いて、彼女の顔をまじまじと見つめた。
可愛い。
無防備で眠る彼女は、それはそれは可愛らしくて、
僕は自分が自然と笑顔になっていることに気づいた。
僕は後輩からのメッセージを一旦頭の片隅に追いやって、
目の前の可愛い生き物を堪能することに決めた。
正直、僕は、彼女のことを愛しすぎている自覚がある。
今まで恋愛をしてきた誰よりも、僕にとって彼女は特別だった。
彼女は、僕に、生きる意味をくれた。
僕は、彼女が愛しい。
今までに何百回、愛を囁いたかわからないけれど
いつだって新鮮に、毎回新たな気持ちで、彼女を愛していることに気づくのだ。
今だって、彼女の寝顔を見つめているだけで、こんなに高まっている。
高校生かよ、と自分でも失笑してしまうのだが、
なんせ僕の身体は正直なのである。
彼女に触れたい衝動が抑えられず、僕は彼女の耳の輪郭をなぞった。
耳たぶから、首、そして鎖骨へと指をすべらせる。
「ん…」
彼女は少し身体を動かして、うっすらと目を開けた。
そして僕が彼女の身体に触れていることに気がつくと、
ゆっくりと僕の手に自分の手を重ね、僕に向き直った。
「おはよ…早いな」
僕は彼女が起きたことが嬉しくて嬉しくて、満面の笑みを浮かべた。
「おはよう。なんか起きちゃった」
僕が起きた理由は曖昧なままにしておく。余計なことは言わない。
彼女が僕をじっと見つめたので、僕は軽いキスをした。
途端に彼女は、とっても満足そうに微笑む。
「ふふ」
彼女は僕の背中に手をまわし、
僕は自分の腕を彼女の頭の下に滑り込ませた。
「なんでわかったん。ちゅーしてほしいって」
彼女がいたずらっぽく僕を見つめる。
「自分と同じ気持ちかなって思ったから、やで」
僕はもう一度彼女にキスをした。
今度はもう少し丁寧に、唇の感覚を味わうように、何度も何度も。
「好きだよ」
思わず、気持ちが口をついて出てしまう。
彼女は微笑みながら、キスで答えてくれた。
普段から、彼女が「わたしも好き」と返すことは少ない。
ほとんどいつも、僕が一方的に想いを伝えている。
でもこうして、言葉じゃなくても、気持ちが伝わる行動をとってくれただけで、僕は本当に幸せな気持ちになるのだ。
「んん〜〜〜…しあわせ…」
僕は彼女の身体を力いっぱい抱きしめた。
「あはは」
彼女は朗らかに笑う。
彼女も自分のスマホに手を伸ばし、時間を確認した。
「わ、めっちゃ早起きやん。日曜日やのに」
「そだよ」
僕は彼女の首のあちこちにキスをしながら、自然と彼女の上に覆いかぶさった。
「今日なにする?どっか行きたいとこある?」
彼女は平然と尋ねてくる。
「一緒ならどこでもいい」
僕は彼女に甘えるように何度も何度も唇を重ねた。
次第に彼女も、優しいキスから、お互いを求め合うキスに変化している。
彼女の手が僕の下半身に触れたところで、僕はまた笑顔になった。
「元気やな」
「せやで。お顔見てるだけでおっきくなるねん」
「ふふ。かわゆー」
彼女は笑いながら、僕にキスをする。
僕は、彼女の笑い方が好きだ。
彼女が笑ってくれると、僕も嬉しい。
「だって好きなんだもん」
僕は自分の身体を起こして、彼女の両膝を立て、お互いの下半身を密着させた。
寝る数時間前までもけっこう濃密に愛し合っていたから、
お互いに服は着ていない。
僕は、彼女の気持ちが高まるように、彼女が好きな外側の部分に自分の下半身をうまく当ててみる。
やばい。これだけで僕ももう気持ちがいい。
「…寝る前もしたのに」
彼女は少し困ったような顔をしながらも、僕のキスに応じてくれた。
舌をからめるたびに、下半身が熱くなる。彼女の胸の敏感なところを
優しく愛撫すると、彼女からも吐息が漏れ始めた。
指や舌、唇を丁寧に使い、お互いを高めていく。
彼女の声を聞くと、愛しさが溢れて、もっともっと彼女を感じたい衝動に駆られる。
「ごめん…もう、挿れてもいい?」
僕が彼女に尋ねると、彼女は小さく頷いた。
彼女とはこうして何度も身体を重ねているけれど、本当に僕たちは相性がいいのだと思う。
僕も彼女も、まだまだ相手の身体に飽きることがない。
むしろ、身体を重ねるたびに、どんどん好きな気持ちが増していくのだ。
彼女が僕の名前を呼んでくれると僕は、大袈裟じゃなく、幸せすぎて泣きそうになる。
僕はあなたのために生きていて、
あなたが僕に居場所を与えてくれているということを自覚する。
本当にいつも、感謝しかないんだ。
「好きだよ」
何度でも言葉にする。自分のこの胸のうちが、全部伝わってほしい。
身体だけじゃなく、僕の想いも、思考も、
すべて彼女と混ざり合って一つになりたい。
「ん…わたしも…すき…!」
喘ぐ声の合間に、懸命に彼女が言葉を紡いでくれる。
もうそれだけで僕は嬉しくて嬉しくて、繋いだ手に力を込めた。
彼女の中はあたたかく、毎回、脳天が痺れるような快楽が僕を襲う。
彼女の手が僕の腰にまわされ、彼女もまた僕を求めてくれていることが伝わってくる。
「あ、もう…!ダメ…!!」
彼女の限界が近づき、僕も興奮を加速させる。
知り尽くした彼女の身体の、いちばん気持ちいいところに、届かせる。
何度も名前を呼び、愛を伝え、僕たちは抱き合ったまま、絶頂を迎えた。
行為が終わっても、僕はなかなか彼女の中から出ていかない。
ずっと彼女を抱きしめたまま、愛しい唇に、頬に、首もとに、キスの雨を降らせる。
このまま溶けてしまってもいい。
なんとか彼女と混ざり合って、一つになれないかな。
そんなことを考えていると、ふいに彼女が言った。
「あ、そういえばさぁ。あんたによく相談してくる後輩の子、おるやろ?女の子で」
「え」
僕はさきほどのメッセージのこともあり、別にやましいわけではないのにちょっとドキッとしてしまった。
「うん、いる。なに?」
努めて平静を装って、穏やかに尋ねる。
「あの子さぁ、わたしのこと知ってるん?」
「どういうこと?」
「いや…わたしとあんたが同棲してるって、ちゃんとわかってんのかなーと思って」
彼女は何を言おうとしているのだろう。
「…彼女がいる、とは話の流れで伝えたことはあるけど。同棲してるとかは言ってないよ」
「どんな話の流れで彼女おるとかおらんとかの話題になるん?」
まずい。なんかちょっとこれはさすがに、抜いたほうがよさそうだ。
僕は丁寧に自身のものを彼女から引き抜くと、軽く唇にキスして、後処理をした。
「いや、そんなたいした話じゃなかったけど。どうしたの急に?何か気になることでもあった?」
僕は彼女の横にもう一度寝転んで、髪の毛を撫でた。
「うーん…。別に何もないんやけどな。でもなんかふっと気になった」
彼女は、もうイチャイチャモードは終わり!とばかりに、そばに散らかっていた下着を身につけはじめた。
僕はわりと女の子っぽい…というか、セックスが終わったあともずーーっとくっついていたいのだが、
彼女はそのあたりの雰囲気を容赦なくぶち壊していくところがある。
なぜ彼女が急に後輩の女の子のことを話題に出したのかはわからないが、普段から僕がスマホをさわるたびに「またあの後輩の子?」と聞いてきていたりしていたので、おそらくずっと気にはしていたのだろう。
もし今朝も連絡がきた、なんて言ったらどんな反応するんだろうな…。
「最近いつ連絡きた?」
彼女はそんな僕の心を見透かすように、なかなかエグい質問をしてくる。
正直な僕は、全裸のままなすすべもなく、表情をこわばらせることしかできないのだった。
「今朝…」
「はっ?今朝?こんな朝早くに?」
彼女はキャミソールを着る手を止めて、驚いて目を見開いた。
「うん…そっちが起きる少し前に」
僕ものろのろと下着を身につける。
「なんて?」
「え」
「なんて入ってきたん。内容」
「ええと…なんか相談があるからって言ってた」
「なんで休みの日にまであんたに言うてくるん」
「それはわかんないけど」
完全に追求モードに入っている。
目が笑ってない。
「なんの相談?仕事の話やろ?」
「内容はまだ聞いてないよ。返信もしてない」
「え、ていうか普段、仕事以外の相談にものってるってこと?その子彼氏いてるん?」
「いや、彼氏は…いない」
「ふーん。詳しいんですね」
彼女はついに敬語になって、キッチンのほうに行ってしまった。
すごく機嫌が悪いと、彼女はわかりやすく敬語になる。
こういうとき、僕はいつも、どうしたらいいかわからなくなる。
彼女がヤキモチをやいてくれるのは嬉しいし、そんな姿もまた可愛いなぁと思ってはいるのだが、彼女のことが大好きな僕としては、この不穏な空気がとてもつらい。
「はよ返信してあげたら?その人困ってはんねんやろー?こんな朝早くからLINEしてくるぐらいやもんな!」
彼女はキッチンで朝食の準備をしながら、僕に話しかける。言葉にトゲがあるな。
「あ、うん…。でもまぁ別に、いいよ。今日は二人でいる日だし。向こうも急ぎではないみたいだし」
ほんとは文面を見ると(しかも早朝から連絡してきたことを考えると)たぶん後輩もなにか切羽詰まった状況なのかもしれないが、僕は嘘をついた。
「へーぇ。急ぎじゃないのに日曜日の朝に連絡してきますかー??」
彼女の包丁の音がいつもより激しい気がして、よけい怖い。
僕はTシャツと短パンを着て、何食わぬ顔で彼女の横に並んだ。
「なに作ってるの?」
「お味噌汁ですけど。見てわかりませんか」
「ネギいっぱいやな。なんかいつもより量多くない?」
「うるさいねん。なんかしらんけど刻みたい気分やったんや。どいて」
僕をまるで邪魔者扱いで、彼女はテキパキと調理をすすめていく。
冷蔵庫からお味噌をとって渡したけど、何も言われなかった。
つい数十分前まではあんなに仲良くしてたのに…。
堪らなくなって、僕は訊ねた。
「ねぇ、なんで怒ってるの?」
「怒ってませんけど」
「怒ってるじゃん!もー!」
彼女を背後から抱きしめると、彼女は何も言わなかったけど、身体を離したりはしなかった。
お味噌汁のいいにおいがしてきた。
僕は朝ごはんを食べないのだけど、彼女が作ってくれるお味噌汁だけは必ず口にするようにしている。
「朝は汁物を食べると身体にいいんやって!」と彼女がどこかで仕入れてきた健康情報を、ありがたく鵜呑みにさせてもらっているのだ。
「…お椀、取って」
「うん!」
僕は飼い主に命令された犬のように、ササッと棚からお椀を2つ出して、彼女に手渡した。
二人で向かい合って食卓につく。
ネギ、豆腐、おあげが入った一般的なお味噌汁。
「いただきます。ありがとう」
僕は手を合わせて、彼女に微笑みかけた。
「…いただきます」
彼女も手を合わせる。
いつもなら彼女は、あともう少しおかずを用意したりするのだが、今日は二人でお味噌汁のみ。
なんだかそういう状況もおもしろくて、僕はニコニコしていた。
「めっちゃ笑うやん」
「ん?」
「お味噌汁だけやのに。ごはん」
「うん。美味しいなぁと思って。幸せだなーって思ってニコニコしてる」
「ふつーや。ふつーーのお味噌汁や」
「うん。普通のお味噌汁おいしい。作ってくれて嬉しい。ありがとう」
彼女はずっとムスッとしていたが、僕の言葉で少し表情がやわらいだようだった。
しばらく二人とも無言でお味噌汁を飲んだあと、彼女は口をひらいた。
「…いややねんなー。こゆの」
「こういうのって?」
僕は穏やかに尋ねた。
「ヤキモチやいちゃうねん。あんたとその子がなんもないのはもちろんわかってるねんけど、なんかいややねん」
「うん」
僕は彼女の手を握った。
「でも、そうやって、あーわたし心狭いなーって思うとへこむし、あんたに冷たい態度とってしまうのもいややねん」
「自分は好きだよ」
「え…なにが」
「僕は、やきもちやいてるあなたも可愛いと思うし、怒ってる姿も好きやで」
「わたしがいやなのー!」
ついに彼女はふくれてしまった。
可愛い。これは可愛すぎるぞ。
「もういい大人やのに。もうちょっと余裕もちたい。いい彼女でおりたい!」
「いい彼女やん。怒っててもお味噌汁つくってくれるやん」
「ヤキモチやきたくないねん」
「僕はずーっとヤキモチやいてるで。あなたが日中、仕事で接するすべての人が、全員僕やったらいいのになーと思ってるで」
「なにそれ笑」
彼女はちょっと吹き出した。やっぱり笑顔がいちばん可愛い。
「僕はさ、言葉があなたみたいに上手じゃないから」
彼女の手を優しく撫でながら、僕は一生懸命に話した。
「だから、さっきみたいにあなたが不機嫌になると、どうしていいのか、なんて言ったらいいのかわからなくて困ることはあるけど…」
彼女は視線をテーブルの上に落として、黙って聞いている。
「僕が好きなのはあなただけで、あなたとの時間を大切にしたい。ヤキモチやいてくれるあなたも全部愛しい。あと、お味噌汁に入ってるネギがちゃんと切れてなくてつながってるのも、かわゆーって思ってる」
彼女はついに笑いだした。
「せやねん…ネギなかなか最後まで切れへんよな?」
「いや、切れると思うけど笑」
「なんかだいたい切れてたらええかなって思ってまうねんよな」
「うん笑」
僕は彼女をじっと見つめた。
すると彼女も僕を見て、ニコッとしてくれた。
「…ごめんな。不機嫌になって。ほんま、後輩の人に返信してあげてな」
「うん。ありがと。後でする。…ねぇ?」
「ん?」
僕は立ち上がって、座っている彼女を後ろから抱きしめた。
「いまの笑顔、すっごい可愛かったから、もう一回したくなった。…だめ?」
今日も良い一日になりそうだな。
日曜の朝 くまこ @kumako-10-04
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