苦手な人

 昨日よりも密度が低い。それでもこの街で唯一、人が行きかう場所。左手にはソフィアと歩き回った専門店が並び、右手には一人で彷徨った個人商店が並ぶ。その境界となっている真っすぐな、舗装されておらずざらざらしているその道を、シイナはずんずん進んで行った。目指すは、赤い屋根。

 途中で少し大回り。さらにぐるっと半周回ると出入り口が見えてくる。開け放たれた木製の扉。地続きで、外からでも中の様子がよく見えた。忙しそうという雰囲気ではないが、紙の束や箱を抱えた人達が引っ切り無しに行き来している。縦枠に手を添えながら、シイナが踏み込んだ。入って左、受付の子。


「すいません、ソフィアさん、いらっしゃいますか?」


 行きかう人達が急制動をかけてシイナに注目する。けれど本人は気づいていないようだ。目の前の女性がガバッと振り向いた事に動転して、それどころではなかったのだろう。


「失礼ですが、どういったご用件でしょうか?」


 スラスラと紡がれる聞き取りやすい高い声。顔の上には、初対面のソフィアが張り付けていたのと同じもの。


「用件? えっと、探し物が見つかった、かな」


「お名前を頂戴してもよろしいですか?」


「はい、シイナと申します」


 一拍。確かな間。


「大変失礼を致しました」


「えっ」


「少々お待ちいただけますか?」


「はい」


 シイナの返事を待ってから深々と頭を下げると、手元の電話機のボタンを押してから立ち上がった。向かった先には三枚の扉。間隔が不揃いなのは、続いている部屋の広さを表しているのだろう。その一番左、最も孤立したドアをノックしている。

 シイナからは見えていないが、背中側も全く同じ構造になっていて、そちら側に座っている女性はなにやら電話をかけ始めた。行きかっていた人々はみな部屋に引っ込み、見渡す限り閑散としてしまっている。

 程なくドアが開いた。


「お待たせしましたー。いやー、早速来てくれるとは」


 昨日とは違う飾りをふぁさふぁさと揺らしながら、笑顔を張り付けたソフィアが出てきた。受付の女性は一歩後ろで畏まっている。


「ちょと出てきますねー。後お願いします」


「いってらっしゃいませ」


 遠慮くなく進むソフィアの後を、唇を咥えたシイナが視線を泳がせながら追う。反対側の女性まで立ち上がって頭を下げていた。


「ふー。あ、お昼はもー済みました?」


 真顔。激しい落差。建物から出て暫くは無言だったソフィアは、角を曲がるなり振り返って尋ねた。必死に追っていたシイナが慌ててブレーキをかける。


「えっ。いえ、まだ、ですけど」


「ちょーど良かった。だったらご一緒しません?」


「お誘いはありがたいんですけど、私、もち合わせが、」


「大じょー夫。これ位おごりますよー」


「いえ止めてください。悪いですから、本当に」


「気にしなーい。チーズとチキン、へー気ですか?」


「えっ、大好き、です、けど、それって」


「久々に食べたかったんですよね。ちょーっと歩きますけどー」


「それは構わないんですけど、ほんと、お金は」


「ふふっ。さー行きましょー」


「えぇぇ」


 ご機嫌顔と困惑顔。歩き出したソフィアは、やはり遠慮なく進んで行って、追いかけるシイナは必至そうだった。会話らしい会話は無く、たまにソフィアが何かを問いかけては、シイナが戸惑いながら返事をするだけ。そうやって半ば強引に連れてこられたのは、あの広場。

 食事をする人、談笑する人、転寝る人。思い思いに青空を仰ぐフードコート。その角っこ。一日ぶりのその場所に、半日ぶりの人が居た。


「あっシイナ、ち、ん」


 シイナを見つけて満面の笑みを咲かせたその人は、すぐ横で破裂している髪飾りを見つけて、みるみる落胆した。いろいろと、何となく察していたのだろう。シイナが曖昧に笑う。


「あ、はは」


「はー。あなた、ここしかお店知らないんですか?」


 お下げの先をにぎにぎと弄びながら、ソフィアが悪態をついた。当然カノンも買って出る。そしてシイナは流される。


「そっくりそのまま返してやるっつぅの」


「ひさびさなのにー」


「知るか。てか何でシイナちんと一緒なのさ」


「へ? そうか、セネカさんの所に泊ってるんでしたっけ」


「えっ。あ、はい」


「気を付けてくださいね。油断してると食材にされますよ」


「するかっ。しまったなぁ」


「どうしたの?」


「ん? ああいや、こっちの話。それよりシイナちん、ご飯どうするの?」


「えっ、それは」


「きょーは私の奢りです」


「マジで? どこまでいいの?」


「何であんたに? シイナさんだけですよ。決まってるでしょう」


「ソフィアさん、ほんと私」


「やめといた方がいいよ? そいつに借りると利子つくから」


「奢りだっつってんでしょーが」


「カノンお願い、ややこしくしないで」


「んー?」


 不機嫌な顔。シイナの言葉に、カノンではなくソフィアが反応した。お面を取ってしまうと、カノン以上に顔に出る質のようだ。


「どうされました?」


「それですよ。納得いかないんですけどー」


「えぇぇ、わかんない」


「借金縛り出来なくなって、むくれてんでしょ」


「違います。なんでこの腹減らしとは打ち解けてて、私とは距離置いてるんですか?」


「えぇぇ」


「うわぁ」


「えっ、なにこのくー気」


「あんたそっち方面もメンドくさかったんだ」


「”も”ってなんですか、もー」


「そんなつもり無いんですけど」


「それですよー」


「あんた胡散臭いんだよ」


「それはっ、そう思われるのは仕方ないですけど。でも昨日は、結構楽しくありませんでした?」


 毛先を両手で弄りながら、殆ど上目遣いにシイナを見る。その姿が余りにいじらしくて、カノンに至ってはイラっとしていた。


「めんどくせぇ」


「えっと、それじゃなんてお呼びしたら」


 感想はたいして変わらないのだろうが、シイナは遮る様に言葉をかぶせる。面倒という言葉の向く先が、ほんのちょっと違ったらしい。その事自体は分かっているだろうに、構わずソフィアが話を続ける。


「呼び方だけじゃないですけどね? んーじゃー、ソフィちゃん、でお願いします。親しみを込めて」


「ソなんとかね、ソなんとか」


「それだけ食べといて、えーよー何処いってるんですか? 肉ですか?」


「は? 太ってるって言いたいわけ?」


「一言もいってませんけど? 自覚がおありなんじゃ?」


「こいつ……」


「あぁあぁ、えっと、ソフィ、ソフィね! ごめんなさい、ちゃん付けはちょっと、私が辛い」


「はーい。ではシイナさんは、シー?」


「シーニーとか? 愛称にし辛いんだよね」


「まってまって、無理にしなくてもいいじゃない? ほら、カノンもカノンだし」


「ちょっとー、それなら私もソフィアがいーですよ」


「うわぁ」


「『うわぁ』じゃないですよ。分かります? この疎外感」


「いや、分からんし」


「わかった、わかったから!」


 ともすれば対立しようとする二人に、いい加減、シイナが業を煮やした。ただそれは、怒りではなく憤り。有無を言わせぬ強引さ。


「それじゃ私はシイナ、ね?」


「はーい」


「うん」


「ソフィアはソフィア、カノンはカノン。だから二人とも、ちゃんとお互い名前で呼んでね?」


「えっ」


「んぐっ、巻き込まれた」


「はあー。シイナさ、シイナ、取引向いてますよ」


「お前がチョロ過ぎるんだよ」


「そう言わないで、ね。ご飯にしよう? ってそうだった。ツケにして下さい」


「いえ、ほんと気にしないでいーですから。もうこの際だから白じょーしますけど、これじょーほーりょーですからね。見つけたんですよね、バヌラ」


「うん」


「あれ凄いよ。癖になる」


「カノン、お願いだから、言い方に気を付けて」


 こめかみを押さえてゲンナリするシイナの横で、ソフィアが顔を引きつらせる。


「食べ物ですよね? ふつーの」


「うん。その筈。私も食べたけど、凄かったのはカノンだけだから」


「そうそう。だからもう一人実験台が欲しいなって」


「言い方ぁ……」


「そー言われてどー意する人居ませんよ」


「なんで? 美味しいよ?」


「余けー怖いわっ」


 やいのやいのと盛り上がり、閑静な広場に響き渡った。近くにいた人たちはそそくさと場所を移し、気付けば三人の周囲に空席地帯が広がっている。ソフィアとカノンは慣れっこのようだ。周囲の動きを目の端で捉えていたが、気にした様子はない。一方シイナは、気付いた様子すらない。この子の目には、二人しか映っていないらしい。

 屋台の前でも、どちらがソフィアに奢るかでひと悶着した後、昨日の今日だからという理由で、シイナはソフィアに頭を下げた。勝ち誇った顔とむくれた顔。二人の間で真赤になって俯くシイナと、その対面で能面顔のまま調理する屋台の親父。お日様がキラキラ眩しかった。

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