歯車な人

 板張りの柵に囲まれた”横に大きい”建物の正面。立派な構えの門柱は石積み造り。開かれた鉄の格子戸を見送ると、いくらもしないうちに浅い階段に辿り着く。持ち上げられているのは、背の高い玄関。三組の列柱で支えられた、迫出た屋根には石像が飾られている。それらの全てが真っ白。

 持ち上げられた両開きの扉を片方だけ押して、出来た隙間へシイナが滑り込んだ。ホールは外見に比べると随分狭くて、左の壁にはガラス張りの掲示板が、右の壁沿いには年季を感じる長椅子が設置されていた。その両端を結ぶ長いカウンターテーブルが正面を仕切っている。向こう側には男性が一人。下を向いて何かしている。奥にはいくつも机が並んでいるから、”今は一人”なのだろう。

 カランという音が響いた。扉が閉まるに合わせて揺れた、ドアベルの音。


「おはようございます。ご用件は?」


 音に引かれて顔を上げた男性が、先立って声を掛けてきた。瞼が半分閉じていて、どうにも眠たげだ。


「あの、番号札とか」


「ええ、もちろんありますよ。ですが今は、必要ありませんので」


「そう、ですか」


 予想していた流れと違ったのだろう。すっかり気圧されているシイナ。一つ大きく呼吸をしてから、挑みかかるような勢いで男性の元へ歩み寄った。


「登録をしたくて」


「何のでしょう」


「えっ、種類があるんですか?」


「種類と言いますか、何を登録するかによって書類が異なりまして」


「そっか。そうですよね。えっと、名前と、ん?」


 何かに思い至ったらしい。言葉を区切るとバッグを胸の前に抱き寄せた。ぐるっと一周視線を泳がせた後、体ごと男性の方へ向きなおる。


「自警団でお仕事をしたいんです。必要な書類をいただけますか?」


「それでしたら、えー、こちらですね。こちらにお名前を、こちらに現住所をご記入いただいて、こちらに拇印を押印していただいて」


「えっ、判子なんて」


「いえ、拇印です」


 見つめ合う二人。半分の目とまんまるの瞳。


「あっ、親指?」


「はい。こちらの朱肉と乾布をご利用ください」


「代筆をお願いする事はできますか?」


「構いませんよ」


 スラスラと走るペン先。紡ぎ出される記号の羅列。たとえ誤りがあったとしても、シイナには気づく事ができないだろう。けれどしっかり、最後まで見守った。


「ここに御署名を。これと同じように書いていただければ結構ですので」


「あっ、母国語、でもいいですか?」


「なるほど、そういう事でしたか。もちろん、そちらのお言葉で結構です。ここです」


 母国語、漢字、署名。男性には記号か模様に見えているだろう。シイナの字を見て一瞬顔を顰めていた。


「今後ご署名いただく際には、今回と同じように記入していただく必要がありますので、ご注意ください」


「はい? はぁ」


 言い回しに違和感を覚えたらしい。けれど追及はせずに書類を差し出す。


「確かに、お預かりしました」


 半目の男性は受け取った書類の欄外に何事か書き込み、奥の机に並べられたトレイの一つに載せると、再びカウンター前に着席した。シイナがキョロキョロしている。


「終わり、ですか?」


「ええ、今日の所は」


「あの、登録されたんですよね?」


「いえ、この後担当者が確認をして、」


「そんな、終わったって」


「はい、申請は完了しました」


「じゃあ、登録されるのはいつですか?」


「さぁ、私には何とも」


「なっ」


 バッグの持ち手に深い折り目が増えていく。男性の表情は一見では変化が無いように見えるが、よく見れば眉尻が下がっていた。ただそれが、困惑なのか同情なのかわからない。つまりその役目を果たせていない。いずれにしても、今のシイナでは気付けないだろう。


「どなたに聞けば分かりますか?」


「そう言われましても。しいて言えば町長でしょうか」


「そんなの、」


「一つお断りしますが、この場でどうこうできるものでは無いんです。こういった手続きには沢山の人間が関わって、」


「知ってます、それ位。でもそれじゃ困るんです」


「……」


 この期に及んでもまだ眠たそうな男性が閉口する。じっと見つめられたシイナは、キッと睨み返してから視線を逸らした。男性が小さく息をはく。


「何か事情がお有りだろうとは思いますが」


「そうです。お仕事しないと、私」


「先程、自警団と仰っていましたね」


「ええ、その為に、」


「でしたら、書類は提出したとキリウスさんに伝えられてはいかがでしょう? 良いように計らっていただけるのでは?」


 今度はシイナが閉口した。ただその雰囲気が先程までとは違う。顔を伏せ、耳の先まで朱色に染めている。目を瞑り、バッグを掛けなおすと、大げさに深呼吸をした。それきり、男性の方を見ようとはしない。


「手続き、よろしくお願いします」


「もちろん。仕事ですから」


 言葉を聞くなり歯噛みした。持ち手を両手で握りしめ、足音を立てずに歩き出す。来た時とは違って大きく扉を開くと、真っすぐに外へ出て、わざとらしく丁寧に閉めていった。

 残された男性は、一人溜息。それまでよりも少しだけ瞼を持ち上げると、何処かへ電話をかけ始めた。漏れ聞こえる声はキンキンしているのに、男性の口調はどこまでも平坦だった。

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