ただ飯
互い違いで整えられた四列のテーブル。それぞれに二つずつで向い合う四脚の椅子。クロスは純白で、座面は深紅。しかも背もたれが付いている。彫り込まれた意匠も細密で、飴色の木目はクロスの白とフロアの焦げ茶の仲を取り持っていた。食堂と呼ぶには雰囲気があり過ぎる。そして相変わらず
シイナは、真ん丸の目でゆっくりと見回してから、おずおずと言った風に
「いらっしゃーい!」
「っ!」
おもいきり息を飲むと、軽く目を瞑った。浅く息を吐き、唇を少し舐める。
「こんばんは」
「セネカさんの言ってた子でしょ? 文無しの」
「シイナ、って言います」
「私はカノン。ちょっとまって、すぐ出来るから」
あっけらかんとして身構えない様子は、背格好から受ける印象よりも随分幼い。少なくとも料理長殿というイメージからはかけ離れている。
「一人でしょ? こっちおいでよ」
カノンと名乗った女性は、カウンターの向こうから手招きをした。
「お言葉に甘えて」
「なにそれ」
笑い交じりの問。キョトンとするシイナ。二人が並ぶと、いろいろと対照的だ。髪の長さ、体形、身のこなし。特にメリハリは、エプロンの上からでも解る程。
「言いません?」
「いわなぁい」
コロコロと笑いながらテキパキと支度を進めていく。その手つきには慣れが見て取れた。ほんのり紅いランチョンマット。木製のスプーンとフォーク。胡桃色の木製タンブラーに立てられた亜麻色のテーブルナプキン。それらを二人分。並べ終えたカノンは、壁の向こうへと引き下がる。
「セネカさんも来るんですか?」
「へ? なんで?」
「二人分あるので、」
「それ私のぉ」
壁越しのやり取りから間を置かず、再び現れたカノンの両手には食器があった。右手にリム皿、左手に椀状の皿。平らな中央で
「多くない⁉」
「えぇー、そう?」
どこ吹く風のカノンは、もう一往復してスープを並べると、カウンター端の切れ目をすり抜けて、席に着いた。見ていたシイナの耳が茹っている。
今夜のメニューはスープとパスタ。けれど、使われている具材が同じに見える。マッシュルームのようなキノコ。スライスした玉ねぎ。刻まれカリカリに焼かれたベーコン。総じて、緑や黄色が無い。
目を瞬かせているシイナを余所に、カノンが感謝の言葉と共に食事を始めた。一口ずつ丁寧に掬っている。
「上品に召上がられますね」
「ねぇ、それやめない?」
「え?」
「喋り方。むずむずするぅ」
「あ、はは。気を付け、る」
「癖かなんか?」
「そこまでじゃない、はず」
一口一口丁寧に食べるから、量の分だけ進みが遅い。かといって合わせる必要もない筈だが、ご丁寧にシイナは食器を休めた。カウンター裏の間取りを眺めているうちに、何か引っかかったらしい。
「洗い物って、」
向き直った視線の先で、カノンが何かを振りかけている。
「お塩?」
「とか色々。ずっと同じ味だと飽きちゃうしねぇ」
シイナの眉が八の字になる。
「ここって、メニューは無いの?」
「ないよ。頼まれたら作るけど。普段は定食だけ」
「サラダ、とか」
「高いんだよねぇ」
「そうなんだ」
「作り置き効かないじゃん?」
「そうなの? 二、三日位平気だと思ってた」
「それ位ならね。でもウチ、お客さん来ないし」
「えっ」
「たまに、まとめてどばぁって来る」
「ああ、そういう」
「だから乾物中心になっちゃうの」
いつの間にやらカノンが王手をかけていた。シイナの食事も再開される。
「そいや、お金無いんだよね?」
「うん、その、ごちそうさまです」
「お粗末様です。明日からどうする?」
「ここで働かせて欲しいなって。でも、」
「仕事ないなぁ」
「あ、はは」
「料理できるの?」
「レシピがあれば」
「レシピ?」
「分量とか、時間とか」
「そんなの気分じゃん」
「あ、はは。好きなんだね」
「もちろん。食べる為に作ってるからね」
どんっと突き出された質量。重力に引かれて落ちていく。
「まぁねぇ、私だってねぇ、ちょっとは、憧れてみたりとか?」
「憧れ?」
「ダイエット的なものを、やってみたりとか」
「なんで⁉」
「は、はは」
「それを言ったら、私だって……」
「ん? あげる。全体的に」
「全体的かぁ」
「ほら要らないんじゃん!」
「そうじゃないけど」
コロコロと表情の変わるカノン。ずっとニコニコしているシイナ
「なんかねぇ、我慢できないんだよねぇ」
「わかるかも。甘いものだと、私も」
「あぁ。だめだ、お菓子まであったら、私風船になる」
「空飛べるよ」
「水風船だわ」
「よく跳ねそう。叩いてあげる」
「酷くない?」
どちらの容器も空になっていた。立ち上がって片づけを始めるカノン。
「いいから、いいから」
腰を浮かせたシイナを制すると、二人分の全てを器用に重ねて壁の向こうへ消えていった。残されたランチョンマットは、どちらも見事に染み一つない。
「飲む?」
大きなジョッキグラスがやってきた。泡の無い透明な
「お茶?」
「ハーブティー」
「嗅いでいい?」
「どぞ」
「ミントかな?」
「どうする?」
「いただきます」
パスタの残り香であるニンニクと、メントールの組み合わせ。非常に好みの別れる所だろう。シイナの眉間には皺が寄っている。そこまでしてでも、飲み物が欲しかったのだろうか。
「お仕事ねぇ」
「あ、うん。何かお遣いとかあれば」
「頼みたい事はあるんだけど、いいのかなぁ」
「良くないの?」
「揉めたらやじゃん?」
「そうだよね……当たり前」
「普通は自警団に、間入って貰う」
「自警団かぁ」
「まいっか。お金出すわけじゃないし」
「それは、」
「本、返してきてくれない? そしたら朝食奢ったげる」
「ほん?」
「参考書、って言っていいのかな、あれ」
「それだけでいいの?」
「うん」
「……何か、わけあり、だったり?」
「へ? いやいや全然? 別に急ぎでもないし。なんていうか、口実?」
「こうじつ……」
「みんなそうしてるし。私の時のもそうだったし」
「そうなの? ……そっか。うん、わかった」
「お願いね。あ、メニューの希望ある?」
「温かくて軽いものがいいな」
二人しか居ない室内は、声が良く響く。静まり返った街並みは、声が良く通る。高くなり始めた月の下で、橙色に染まっていく建物たち。二人の歓談は、もうしばらく続いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます