第二十六話 姫騎士殺し

 姫騎士の仕事といえば、戦いだ。凶悪な魔獣の討伐に始まり、犯罪者の捕縛。盗賊団の殲滅。果てには戦争まで。

 姫騎士を放てばほんの数時間で成果を上げてくるため、これほど便利なコマはない。

 ハクアの仕事はグレイが消えたからといってなくなるわけでもなく、毎週なにかしらの任務に出かけている。心を閉ざして壊れてしまったハクアにもう迷う事はない。ただ淡々と任務をこなす騎士となった。


 今回も任務だ。ガイア帝国の侵攻の阻止。

 一年前に姫騎士の殺害に失敗してからほぼ攻めてくる事がなかった帝国との戦争。いつもならば恐ろしかった戦争にも何も感じない。

 その緑眼はなにも映しておらず、からっぽの少女がいるだけ。


 国内の権力争いに忙しい上層部は、そんな姫騎士にすべてを任せている。

 今回も馬車にゆられてハクアは戦場に向かった。 


「ゆら、ゆら。ゆらゆら」


 馬車の中でハクアは歌う。陰の混じった歌声は、馬車の中どころか外にまで響いた。

 魔力の乗った歌は不気味で、それを聞いた外の騎士達はどんどん体調を悪くしていた。


「ハ、ハクア様。お歌もよろしいですが、お食事にしますか?」

「ゆらゆら。揺れる。ゆらゆら」


 侍女の声などハクアの耳には届かない。もう壊れたハクアの心は、人の声など通さなかった。

 この歌も、ギリギリで正気を保つために必要なものだ。歌っていれば気がまぎれる。歌が、グレイの元へ届くような錯覚があった。


「ハクア様!」

「ゆらゆら~♪」

「あ、うぅ。っごほっ! ごほ」


 ハクアの強烈な負の魔力。それが乗った歌を至近距離で聞き続ければ体調不良は必至。

 侍女は膝をついた。


「ひっ。誰か、たすっ――」


 外に這って助けを求める。だがその前に、侍女の意識は闇へと消える。不気味な歌がずっと鳴った。


「…………」


 ハクアはふと、空を見る。


「ねえグレイ。空、綺麗だね」

『そうだな。でもハクアの方が綺麗だよ』

「っ……もう。恥ずかしい」


 隣に座るグレイに褒められて、頬を赤く染める。


『可愛いよ、ハクア』

「そっか。グ、グレイもかっこいい、よ」


 カラカラと回る馬車の中、ふたりはイチャつく。なんとも親密なバカップルだ。


『ああ。でも今のハクアは可愛くない』

「えっ……?」

『髪はボサボサ。服はよれよれ。目には隈ができてるし、肌も荒れてる』

「あ、ご、ごめんね。そっか。そのせいで、グレイいなくなったんだ」

『そうだよ』


 ふと気づけば、ハクアの隣にグレイはいなかった。何もない空間が広がっていて、そこをハクアはじっと見つめる。


「あれグレイ。どこ行ったの……?」


 キョロキョロと、いるはずのないグレイを探した。何度も何度も、眠りにつくまで探し続けた。

 そんなハクアに、護衛の騎士達は恐れる。最強の兵器が狂ってしまった。制御できない兵器が手元にある様な気分だった。



 ◇



「……ひさしぶり」


 戦場の雰囲気というのは他にない独特なものだ。何度も訪れたカレツキ平原。一年ぶりとなると懐かしさがある。


「グレイ。……やっぱり、いないんだ」


 たった一人で戦場に立っているととても寂しくなる。一年前ならばグレイの胸に飛び込めば寂しさもなくなったのに。

 でも、もしかしたらという気持ちがある。戦場で戦っていたらグレイが助けに来てくれるかもしれない……。そんな希望を抱くのだ。


「ハクア様。戻ってきた斥候によると敵影なしとの事です」

「そうですか」


 後方からやってきた騎士の報告にそっけなく返す。そもそも王都全域をカバーできるほどの魔力感知能力で大軍が攻めてきていないのは確認済み。

 敵の侵攻といっても帝国内に忍び込ませたスパイの報告から、たどり着くであろう時刻を予測。その前に向かって待ち構えるため、数日ほど待つ事もザラにある。


「さがって、良いです」

「はっ!」


 報告を終えた騎士は、どこか怯える面持ちで下がっていく。

 そんな騎士の事もすぐに忘れたハクアは、ただ前を見ていた。

 人形めいた無表情はピクリとも動かさず、ただ感情もなく佇む。

 しかし――


「っ……!?」


 グレイが消えてから、悲しみ以外の表情を出す方法を忘れていたハクアはその瞬間だけ驚きをあらわにした。


 平原の先から、ゆっくりとこちらに歩いてくる人影を見えた。。フードを深く被っているため顔は見えない。

 しかし、ハクアが驚いたのは不審者がいたからではない。魔力が、まったく感知できないからだ。完璧に隠されている。


「帝国……いえ」


 帝国兵かと思うが、それではたった一人でいるのはおかしい。普通ならばまだ人であるとしか判断できない距離でも、ハクアの目は正確に捉えていた。

 体格からして男。深くフードをかぶっている上にローブが体を隠している。不審者でしかないのに、ハクアにはなぜか懐かしく感じた。


「……あの、剣は」


 他になにかないかと目を凝らせば、腰にさしてある剣が目に入る。

 それだけならば普通だが、ハクアには見覚えのある剣だった。昔、グレイにプレゼントした剣――。

 それを認識した瞬間に閉じ込められていた感情が一気に噴き出てくる。


「グレイ……グレイ!」


 あの背格好。記憶にあるグレイと同じだ。そして雰囲気。あれはグレイが持っていた雰囲気だ。

 それだけでハクアは理解する。あれはグレイだ。そう思うより前に、ハクアは駆け出していた。


「グレイ……!」


 風の如き速さで平原を翔け、あっというまにグレイと思しき男の前につく。

 全身黒ずくめなうえフードで顔は見えないが、それで十分だった。雰囲気も、背丈も、匂いも、全てがグレイだ。グレイ以外の何者でもない。


「……ああ。ハクアか」

「グレイ……?」


 男は、フードをはずして顔を見せる。それは、紛れもないグレイの顔。

 ちょっと大人っぽくなってかっこいいグレイの顔だ。


「どうしてここに……帝国軍、は?」

「ああ。俺が追い返した。もう来ないよ」

「そう、なんだ」


 ハクアは混乱する。突然現れたグレイ。それは一年前とはくらべものにならないほど強くなっている。

 しかしそんな事はどうでも良い。いますぐ駆け寄りたい。あの胸に飛び込みたい。

 でもそれは出来なかった。


「なに……その、殺気……?」


 グレイが放つ濃密な殺気。それは全てハクアに向けられている――。

 混じりけも偽りもない殺気に、ハクアは震えた。


「あの日の約束を果たしにきた」

「約束……?」


 何度思い返しても、殺気をあてられるような約束をした覚えはない。


「ああ。約束だ。俺に殺してほしいっていう約束」

「あっ。でも、それはもういや。グレイがいるなら死にたくない」

「……お前を殺しにきた」

「グレイ……?」

 

 紛れもないグレイの声。そこから発せられるのは絶対に聞きたくない言葉だ。

 否定したのに、殺気は止まらない。逆に増した。


「どうしたの……? ちょっと、変」

「変じゃない。姫騎士。お前と戦いにきた」

「どういう……こと?」


 訳が分からない。困惑するハクアの前に、あるのは濃密な殺気のみ。

 そしてグレイは言った。


「姫騎士。お前を、殺しにきた――」

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