第二十五話 ハクア・G・クリスタの狂乱
ハクア・G・クリスタという少女にとって、グレイという男はどういう存在だったのか。それは簡単だ。一番大切な人。
幼少から戦いの連続であり、王宮ですら政治的な争いが絶えなかった。
心休まる時なんてなく、寝るときでさえ悪夢を見続ける。周りにいるのは兵器としか見ていない大人。ハクアという少女はからっぽだった。
最初のきっかけはささいな事だった。貧民街掃討作戦。その指揮官として戦い、出会った。グレイという男に。
最初の出会いは、殺意に満ちた目。あの目を向けられて、ハクアは怖くなった。でも、同時に謝りたくなった。あの目の原因は自分だ。自分が貧民街を壊してしまった。これ以上罪を重ねたくなかった。
二回目。謝るために出かけた貧民街で、またグレイと出会った。
ただ謝りたくて、自分ができる限りの事をして謝った。
そして約束してくれた。ハクアを殺してくれると。このくそったれな人生から救ってくれる救世主に見えた。あの時、グレイはハクアのヒーローになった。
思えば、ハクアのせいで被害を受けた者に謝ったのも初めてだった。そしてそれは、ほんの少し積み上げた罪が軽くなる気がしたのだ。
グレイの側にいるのは、なぜか居心地が良い。なぜか、安心出来る。
グレイはハクアが兵器である事を求めない。少女でいても何も言わない。多分それが居心地の良い理由なんだろう。
そして、グレイが戦場に来てくれた時。明確に恋をしてしまった。
からっぽだった心は、グレイで一杯になった。
恋は人を変える。兵器ではなく恋する乙女となったハクアは毎日が充実していた。
本気を出せば王国の端から端まで一日もかからない脚力をいかして任務を短時間で遂行する。これも、グレイとの時間を作るためだ。
毎日が楽しくて、ただ一緒にいるだけで幸せになれる。ハクアの心はグレイで埋め尽くされ、居なくてはいけない存在になった。
しかし、そんなグレイはもういない――。
「グレイ……」
ハクアは、今日も自室のベッドに横になっていた。緑色の綺麗な瞳は何も見通せないほど濁っており、最愛の人の名を口にしながら今日も何をするでもなくただ生きている。
心に空いている穴はあまりに大きかった。
「グレイ。どこにいるの……」
最初に旅に出たと聞いた時、ハクアの絶望は計り知れないほど深かった。
でもすぐに帰ってくるって思えた。一人になりたい時ぐらいある。それをしっかり理解してあげるのも大事だ。
最初の一カ月は、待ち遠しかった。二か月も経てば、不安になった。三か月も経った時、心えぐられるほど悲しかった。
この時ほど、自分の立場をフル活用した時はないだろう。自分の地位、名誉、金。全てを使ってグレイを探しても、どこにもいない。死体が見つからないのが唯一の幸運といえる。
グレイが消えてから一年――。今日もグレイは見つからない。
「私は……グレイがいれば――」
グレイは強くなると言い残してどこかに消えた。
だが、ハクアにとってただ隣にいるだけで良かった。それだけで、どんな事も我慢できる。グレイのためなら大嫌いな力も振るえる。
「ん……グレイ」
グレイが自室に残していった服を握りしめる。グレイの香りがした服も、一年経てば消える。
そしてグレイがくれた大切なネックレス。これを握れば寂しさが少しだけ薄れた。
でも、グレイの痕跡が消え、匂いも消えればふと思う。グレイなんて者はいない。自分が作り出した幻なんじゃないかって。
浮かび上がってくる思考を慌てて打ち消して、またハクアはグレイの服を抱きしめる。
「グレイ……帰って来て」
失踪した最愛の人を思い浮かべながら涙を流すハクアは、すでに壊れていた。
ベッドの上で寝転がり、このまま消えてしまいたいと願う。そしてグレイの元まで行きたい。もう何にもいらなかった。グレイの元に良ければ良かった。
『ただいま、ハクア』
声が聞こえた。
「グレイ……? グ、グレイ! どこ行ってたの。心配した」
すぐ傍に立ってたグレイに駆け寄って抱きしめる。
『ごめんな』
「私のせい? どうすれば良い? 悪いところあれば、全部直すよ。グレイの望む女の子になる」
自分のせいでグレイはどこかへ消えた。そう思うハクアは、すがって懇願する。どれだけ都合のいい女になっても良いとグレイに言った。
「あ、髪梳かないと。お洋服、綺麗なの着るね。ご飯も、作る」
嫌われないように、自分からもアイデアを出す。ベッドの下に落ちていた櫛を拾って、髪を整える。二度とどこかへ行かないように、可愛く居続けないといけない。ハクアは濁った瞳でそう思う。
『ハクア』
「ん。なにグレイ?」
『グレイなんて奴。いないよ』
「え……?」
今までグレイがいた場所には、タンスがポツンとあった。
櫛を落とし、ふらふらとタンスに近寄る。何度触っても、それは木でできたタンスだ。タンス以外の何物でもない。
「あ、あはは。そ、っか。あはははははは」
笑った。笑うしかない。
「燃えろ」
笑いながら、タンスに火をつけた。ごうごうと燃えるタンスをみながら、笑う。何度も何度も狂ったように。いや、狂っていた。
「グレイ。いるよね。グレイはほんとにいる? 生きてる? どこにいる?」
ハクアの言葉は、闇に消えた。
◇
ハクアの自室。その扉の外で、暗い顔でしゃがみ込む少女がいた。
「姉様……」
いけ好かない男の名を呼びながら泣く姉の声を聞きながら、どうしようもない感情にグリシャは支配される。
孤高で、気高く、強い憧れた姉はどこにもいない。ここにいるのは一人の弱い少女だ。姉に、期待をかけ過ぎたのかもしれない。グレイという男以外に頼る事ができない環境を作った責任はグリシャ自身にもある。
「あんな男……あの男じゃないと、姉様は救えないんだ」
大嫌いな男。姉の思い人。奴以外に姉を救えないという現実に嫌気がさす。
でも、グリシャにとって姉が一番輝いていたのは恋をしていた時だ。
もともと神がオーダーメイドをした様な美貌を持っていた姉は、恋をしてもっと美しくなった。
あの男は大嫌いだが、あの男に恋していた姉は一番好きだった。
でも今の姉は好きではない。それもすべてあのいけ好かない男のせいだ。死ねばいいのに。死なないなら早く帰って来て姉を抱きしめてやってくれ。
「……姉様は、なぜあんな男に」
扉の隙間から姉を見る。
グレイがいた頃、毎日手入れをしていたどこまでも白い肌はどこか陰っている。戯れを知らないであろう銀髪も手入れを怠っていた。
タンスに縋ったと思えばタンスを燃やして、何度もから笑いをする姉は見てられない。
これもあの男のせいだ。あんな男に恋した姉を不憫に思う。
「はあ……」
行きばのない怒り。グリシャは、苛立ちながら立ち上がる。
「姉様。……私が探します。あの男を、かならず見つけて姉様の前に突き出してやります」
自分には何かを探し出す才能がある。自分の全てを使ってでも、姉のためにグリシャは決意した。
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