第二十一話 転機

 日常。それは退屈でありながら、もっとも大切なものだと俺は思う。朝の日課を終わらせ、バーのカウンター席に座った俺は、そんな事を考えていた。


 クリスタ王国の夏は短く、ハクアと泳ぎにいってから一カ月ほどたった今日は涼やかだ。短い夏の合間の、ハクアとの日常は何事にも代えがたいものであり、そろそろ夏も終わりそうな今日は、茶を飲みながらふと今までの事を振り返っていた。

 しかし、俺の思考はマスターの一言で中断される。


「あらん。そういえば今日はハクアちゃんいないわねん」

「ん、そうだな。今日は用事があるから遅くなると昨日言っていた」

「なるほどねん」


 ハクアも第三王女として、姫騎士としての責務があるのだろう。毎日俺の所に来るのも、無理をしているのではないだろうか。だが大変なら毎日来なくても良いと言ってもハクアは聞かないのでしかたがない。


「……ねえグレイちゃん」

「なんだ?」

「今の、貧民街ここでのハクアちゃんの印象ってどうか知ってる?」

「……いや。知らないな」

「そうよねん。グレイちゃんの前で露骨な態度はとらないわよねん」


 マスターの不穏な言葉に、手にもっていた湯呑をテーブルに置く。


「ハクアちゃんの正体にうすうすでも、感づいている人がいるのよん」

「……まあ、隠してなかったからな」


 ハクアという名前も、その容姿も。

 もともとここの住人にとって貴族というものは遠い存在だ。だからこそ、ちょっと調べれば出てくるハクアについても知らなかった。


「姫騎士っていうのは、ここを破壊した部隊を率いていた騎士。もちろん良い感情はないわ」

「……そうだな」

「でもグレイちゃんが連れているから、顔をたてて何も言わない。それでも限界に来てるかもしれないわん」

「…………」

「それに王族がここにいることによって、変な事に巻き込まれるかもしれないって心配している人もいる」

「そうか」


 俺もうすうすだが感づいていた事だ。しかし、奴らは俺に悟られまいと抑えていたのだろう。だが、それに甘えるのはこのナワバリの長としていけない事だと思う。


「住む世界が違うって事だな」

「ええ」


 俺も、ハクアも。相容れない関係なのだ。貧民街の者と、王族。その間にある壁は高く、ままならない。ただ、一緒にいたいだけなのに。……それすら許されないほど。


「何とかする。とりあえず、王都で会うようにするか」


 しかしそれも一時しのぎだ。王都で会ってもハクアは目立つ。噂になり、それはいずれ国に届く。ハクアの兄がどうにかすると言っても、それに甘えるのは危険だ。

 ……いわゆる、別れの時というのが近づいているのかもしれない。


「ああ。いやだなー」

「……そうねん」


 俺とマスターの言葉は、空しくバーに消えていった。



 ◇



 「……こんにちわ」


 それから二十分後。どこかぎこちなく、扉を開けてハクアが入って来た。

 いつもならばすぐに俺の隣に座ってくるが、今日はおずおずと近づいてくるだけだ。


「どうしたんだ?」

「なんでもない。……ちょっと、調子が悪いだけ」


 ハクアは気にしないでと付け足して、遠慮がちに俺の隣の席に座る。


「…………」

「…………」


 うん。気まずい。沈黙が痛いってこういう事なのか。

 ハクアがおかしい理由。一番はさっきの話が聞かれたかもしれないという事だが、あれは二十分も前の話だ。聞かれていないと思うが。


「……そういえば、今日はなにかあったのか? ちょっと遅かったけど」

「うん……ちょっと会議があった。だけ」

「そうか」

「うん……」


 この沈黙を打破すべく必死に会話を探すが、長続きしない。誰か助けて。


「気分転換に、散歩にでも行ってきたらん?」

「あ、ああ。どうだハクア、そうするか?」

「うん。……行く」


 嫌われている様子ではない様で、了承してくれたハクアと一緒に散歩に出かける事にした。


「王都にでも行くか」

「うん。……そうしよ」


 どこを散歩しようかと一瞬迷うが、先ほどの話を思い出して王都を提案する。快く了承してくれたハクアと、王都まで歩いた。

 ……しかし。なんか気まずい。いつもならば沈黙すら心地よいのに、今はちょっと嫌だ。


 王都に入り、人通りの少ない並木道を歩く。ここまで来るとハクアとの雰囲気も少し回復していた。


「おっ。大道芸人じゃないか?」

「ほんとだ……」


 ふと景色を見ていると、道端で芸をしている男女がいた。芸は魔法を使って行っている様で、少し人だかりが出来ている。


 口から火を拭く芸。何もないところから出した水を自在に操る芸。火と水の魔法を使って行う芸は物珍しい。魔法なんて裕福層しか使えないものであり、彼らは下層区の路上で芸なんてしないからだ。


「どんな……関係なんだろ、ね」

「ハクア?」


 ハクアは、芸をする二人を見ていた。男と女。夫婦の様に仲良く芸を披露している。魔法を使っているのは男の方で、女の方は司会とサポートをしている。ハクアは、芸をする二人をじっと見ていた。


「……恋人とか。夫婦とかか?」

「そっか……」


 空中で火が燃え上がり、その周りを水玉が自在に飛び回る。火と水が織りなす芸術的な光景を見ていると、いつのまにか芸は終わっていた。


「ありがとうございましたー!」


 女の声と共に、観客はお捻りを渡しに行く。ハクアもいつのまにか芸人たちの元に行っていた。ハクアは持っていた一万魔硬貨を、紙で包んで空き缶の中に入れる。そして二人を少し見つめて、帰ってきた。


「ちょっと。……休憩しよ」

「そうだな。ベンチにでも座るか」


 並木道の端にちょこんとあったベンチに並んで座る。座って少しの合間沈黙があったが、それを壊す様にハクアは俺の肩に寄りかかってきた。


「グレイ……」

「なんだ?」

「私たち。……一緒にいて良いのかな?」

「ハクア……?」


 ふと、ハクアは震えるような声で問いかけてくる。


「今朝の話。聞いてたのか?」

「うん。……私がいると、グレイに、迷惑かかるかな?」

「そんな事ねえよ。迷惑なんてこれっぽっちもな」

「……でも。私は貧民街を壊した。それに、私があそこにいると、それだけで迷惑がかかるかもしれない」

「…………それは」


 俺はそれ以上言えない。ハクアはいても良いって言おうとしたが言えなかった。

 貧民街の奴らにも生活がある。ハクアがいれば確かに奴らに迷惑がかかるかもしれない。第三王女が貧民街の男に会いに行っている? それは最高のスキャンダルだ。第三王女として、そんな噂が立つだけでハクアにとってマイナスだし、国だって噂の出どころである俺たちを潰そうとするかもしれない。


「会わない方が良いのかな? 私達……」


 ハクアは泣いていた。俺には涙を見せまいと顔を伏せているが、膝に落ちる水滴はごまかしようがない。


「そうかもしれないな」

「……うん」

「でも、別れるのは嫌だ」

「うん……」


 好きという感情がゆるされない。それが俺とハクアの間にある壁の高さだ。

 会う事すらゆるされず、話すことすらままならない。ハクアの為にも、会わねえ方が良いんだろう。でも、感情が嫌だと言っている。


「私も……離れたくない。グレイの隣しか、居場所がない」

「…………」

「このまま。二人で……どこか遠くに逃げたいよぉ」

「それも。良いかもな」


 泣いているハクアを抱き寄せる。

 このまま二人で、国境を越えて、王国の手の届かない所へ。小国ならば魔獣退治で生計は立てられるだろう。その後は、結婚して子供が生まれて。家庭が出来て。そんな人生も悪くない。


「……ごめんなさい。変なこと言った。忘れて」

「俺はそれも悪くないと思うけどな」

「うん」

「……俺も、変な事言ったな」


 会話はそこで途切れる。木々が揺れる音さえ大きく聞こえる様な沈黙のなか、俺とハクアは寄り添った。

 ただそれだけが幸せで、永遠に続けば良いと思ってしまう時間。だがそれも、いつか終わる。


「まあ、これからは人がいない所で。……この前みたいな、湖みたいな所で会うか」

「うん……そうだね」


 しかしこれも、結局時間稼ぎの様なもの。いずれ、俺とハクアは別れる。そういう運命なのだ。


「ねえ、……グレイ」

「どうした?」

「……あのっ。……ううん。なんでもない」

「なんだ。気になるな」


 何かを言おうとしたハクアは、すんでのところで口をつぐむ。心が締め付けられる様な顔をしたハクアは潤んだ瞳で俺を見上げていた。


「グレイ!」

「どうした――」


 その時、時が止まった様な気がした。頬に感じる柔らかい感触。数秒後、それが頬へのキスだって理解した。


「ハクア……?」

「……ぐれい」


 俺から離れたハクアはとろけた様な声で、俺を見上げてくる。その顔はリンゴの様に赤くて、でも顔はそむけず俺を見てくる。


「好き。大好き」

「……ああ。……俺も大好きだ」


 じっと見つめ合う。誰にも侵される事のない空間の中で、俺とハクアは顔を赤くして見つめ合っていた。その間に時間の感覚なんてものはなく、気付けば日がてっぺんまで昇っていた。


「…………」

「…………」


 たがいに、照れた様にそっぽを向く。そしてもう一度見つめ合った。ハクアを見て、もう二度と離したくないという思いが生まれる。


「……そろそろ。帰らないと」

「あ……そ、そうだな。すまん。引き止めたか?」

「ううん。もっといたい」


 それは俺だってそうだ。

 ハクアは立ち上がる。でも、名残惜しそうに俺を見て、未練を断ち切る様に去って行った。


「……幸せ、だな」


 今日一日の事を思い出しながら俺も帰路につく。もう会えないかもしれないそんな思考は闇に葬って。

 この時の俺は、この後起こる事件に何一つ気づいていなかった。

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