Lost phase-final

Side 瀬見


「……はぁ」

 瀬見は軽くため息をついた。

 ここは彼女の行きつけの書店だ。小さいながらも新刊の品揃えが良く、彼女が目をつけていた新刊は必ず入っているので、発売日になると必ず足を運んでいる。

 客層も子供から大人まで幅広く、近所の人間にとっては親しみやすい店だった。

 そんなお気に入りの店の中で彼女がため息をついたのは、言うまでもなく先日の出来事が理由だった。

 風間が言った、あの言葉。

『本当に、ありがとうな。腕がいい』

 その単純な感謝の言葉が、彼女の中では大きくなっていた。

 共感覚をもつ彼女は、これまでの人生において褒められるどころか、感謝されることがなかった。

 むしろ逆で、薄気味悪がられ距離を置かれることが多く、友達など一人もいなかった。

 そんな彼女にとって、風間のあの言葉は、心の底から嬉しかったし、照れ臭かった。

「……」

 思い出すたびに、頭がポーっと熱くなる。

 こんな感覚は、初めてだった。

「……! いけないいけない!」

 ふと正気に戻り、頭を振る。

 こんな往来でぼーっとしているわけにもいかないのだ。

 そんな彼女はふと、視界の端のある雑誌が目に留まった。

 それは、今まで自分が手に取らなかった、ファッション雑誌。

『流行のギャル系ファッション! テンション上げポヨで気になるあの人をゲット!』

 そんなキャッチフレーズの表紙が、彼女の心を惑わせた。

『気になるあの人をゲット!』

 このフレーズが、延々と頭を駆け巡る。

「……」

 瀬見は考える。

 確かに、気になる。 

 今まではバカにして、何なら見下していた節もあったものが、今、彼女の心を別の意味で苦しめる。

「……」

 でも、

 一回、試してみるだけでも、いいだろうか。

 ちょっと読んでみるだけでも、いいだろうか。

 少しくらい、背伸びしても、いいだろうか。

「……ちょっとくらい、いいかな?」

 そう口に出た彼女は、そっと、雑誌に手を伸ばした。




Side 風間


「……」

 風間は一人、板の間で座禅を組んでいた。

 自衛隊の宿舎にある、格闘術訓練用の道場。

 普段は気合の掛け声や竹刀で打ち合う音が響く道場だが、今は朝早いこともあり、静寂に包まれていた。

 風間はこれまで、こうした落ち着くような行動はしたことなかった。

 今回の一件にしたって、自分が先走って突っ込んだ結果産んだことだ。

 次に同じような状況が生じた場合、必ずしも生きて帰れる保証はない。

 己の驕りが生んだ結果なのだ。

 それを反省し、己を変えようと行動した結果がこれだった。

 毎朝、朝食前に座禅を組む。

 己の心を静め、思考を冷却する。

 そうすることで、その日を冷静に行動することができるとそう考えてのことだった。

「……」

 ゆっくりと目を開き、呼吸を整える。

 そして、立ち上がると、朝食の時間に遅れないように歩き出した。

 ふと、彼は自身の手を見た。

 一見すると、何も変わっていないように見える腕。

 しかし、中身は変化している。

 それは、金属の腕だった。

 彼の腕はあの事件以降、出血がひどく、指先は壊死していたのだ。

 幸いというわけではないが、指だけで済んでいたのが救いだった。

 しかし戦闘に支障が出ることに変わりなかったため、ドクターに連絡したところ、義手に換装してもらったのだ。

 指だけの換装では満足に動かすことができないらしく、腕ごとの移植になってしまったのだが。

「……」

 違和感が残るものの、これまでと変わらぬように感じる感覚。

 だが、明らかに温もりだけは、人工的な温もりだった。

「……」

 だが、これのおかげで、また成長できたか。

 そう思うことにして、彼は再び歩き出した。


 この日以降、心を落ち着かせた結果、極度の無口となることを知るのは、また別の話。




Side ???


 雨の日だった。

 窓を打ち付けるほどの豪雨は、小さな室内に響くには十分すぎる。

 今日は、鬼道正義の葬式だった。

 参列者は少なく、彼の親族身内とノアだけだった。

 だが、致し方ないことかもしれない。

 彼の遂行してきた任務の都合上、関係者であっても真相を話すことなどできない。

 彼が守りたかった、守り続けた者達からは、一切の感謝ももらえぬまま、彼はこの世を去ったのだ。

 死因として公表されたのは、任務上の事故。

 そういうことにした方が、都合のいい連中がいるからだろう。

 少なくとも、ノアはそう考えていた。

「……」

 ノアは何も言わぬまま、静かに視線を上げた。

 彼の棺桶の前に座る、ワンピース状の喪服を着た一人の少女。

 まだ小学校高学年くらいだろうその少女は、おそらく彼が生前に話していた娘だろう。

 共にいた時間は少なかっただろうことは、彼から聞いていた。

 今、彼女は棺桶の前で、何を考えているのだろうか。

 推し量ることさえできなかった。

「……」

 こういう時、普通の人間ならどうするのだろうか。

 顔をうつむけ、考える。

 優しく慰めるのか、それともただただ放っておくことが正しいのか。

 どこまでも人間らしい機械はしかし、どこまでも機械的で、行動できずにいた。

「……ねえ」

 不意に声が投げかけられ、顔を上げる。

 そこには、件の少女の姿がそこにはあった。

 特徴的な三白眼に、切りそろえられた髪。

 間近で見ると、迫力さえ感じるほどの印象をもつ。

「……何か?」

 声をかけられたことに驚きながらも、反射的に反応してしまうノア。

「……教えてください」

「……?」


「……父は、鬼道正義は、どうして死んだんですか?」


「……!?」

 彼女の言葉は、衝撃的だった。

「……どうしてって、彼は、任務上の事故で……」

「嘘です」

 少女は言い切った。

「父が死んだ日の、自衛隊基地で事故が起こるようなことは何もありませんでした。父の勤め先である自衛隊基地のホームページから、事故の情報はありません。この街の近辺の事故ということも考えましたが、それなら、もっと大々的なニュースになっているはずです」

 そう言って、彼女はスマホを突き付ける。

 これには、ノアも驚いた。

 小学生でここまで調べて行動する者は、そういないだろう。

 中身は実は大人ではないかと疑ってしまうほどだ。

「……そ、そうですか。それで、どうして私が知っていると思ったんですか?」

「あなた、自衛隊の人ですよね? この式の通知は父の親族や身内だけにしかしていないそうです。親戚のおばさんがあなたのことを気味悪がっていましたよ?」

「……なるほど」

 確かに、そうかもしれない。

 ノアは納得した。

 ここに来てから、誰とも彼は話していない。

 周りの人間をどうでもいいと思っていた彼としては、そう思われていたことは盲点だった。

「それで、質問に戻ります。父は、どうして死んだんですか?」

「……知って、どうするんですか?」

「?」

 彼女は初めて疑問符を浮かべる。

「そんなことを知って、どうするんです? 知ったところで、彼は戻ってこないんです。それを知ったところで、何も変わらないんですよ。そんな無駄なことを、何でするんですか?」

 ノアは厳しい口調で言った。

 彼が死んだことは、悲しいかもしれない。

 しかし、それをいつまでも引きずることは、彼は望まないだろう。

 幸せな人生を送ってほしいはずだ。

 そう思って、敢えて厳しく突き放したのだ。

「……」

 沈黙する少女。

 これで少しは、あきらめてくれただろうか。

 そう思った瞬間、

「……確かに、そうかもしれません」

 少女は言う。

「でも、それでも、私は知りたいんです! 一緒にいた時間は短かったですけど、そんなことは関係ない! 彼は、鬼道正義は、私の父親なんです! 彼のことを、私は知りたいんです!」

「……」

 少女の叫びに、ノアは何も返せなかった。

 恐怖からではない。

 似ていたのだ。

 鬼道正義に。

 彼がかつて、風間を救うために上司に楯突いた時のような面影を感じたのだ。

 人工物のはずの彼は、そんな曖昧なものを感じることなど、本来ない。

 だが、彼は確かに、それを強い衝撃として受け取っていたのだ。

「……残念ですが、私ではそれはわかりません」

 絞り出すように、ノアは言った。

「……そう、ですか」

 残念そうにうつむく少女。

「……ですが、彼なら、力を貸してくれるかもしれません」

「?」

 そう言って、簡単な地図を描いた。

「ここに、一週間後に行ってください。そこにいる彼には、事情を伝えておきます」

「……ありがとう、ございます」

 地図を受け取った少女は、ノアの元を離れていった。

 それからの一週間、ノアは準備に追われるようになった。

 少女が来るまでに、いろいろなものを揃えた。

 ネットの動画を参考に、己が文字通りのピエロとなれるように。

 来る少女が、決して寂しくならないように。

 全ては、その一心だった。

 そして、当日。

 所長と書かれたデスクで一人、少女を待っていた。

 純白のスーツに、真反対の黒いシルクハット。

 そして、素顔を隠す銀色の仮面。

 用意はバッチリ。あとは時を待つばかりだった。

 そこでふと、思い出す。

 どういう名前を名乗ろうか。

 まさかノアと名乗るわけにもいかない彼は、思考を巡らし考える。

 そしてふと、思い出す。

 鬼道正義がつけてくれた、彼の名前。

 当時はふざけているのかと一蹴したが、ある意味、彼にとってはいい名前にさえ思えてきた。

 表と裏を持つ、カードのように。

 表は少女を喜ばせるように華やかに、裏は見せないように地味目に。

 そんな名前は、これからの彼にピッタリだった。

 そうこうしていると、控えめなノックがされる。

「……失礼、します」

 緊張気味に入ってくる、待ちわびた少女。

 そんな彼女に、大仰に手を広げ、彼は歓迎した。


「やあ、いらっしゃい! ようこそ、『JSA』へ! 私は桔梗院歌留多! 歓迎するよ、鬼道佐久弥ちゃん! いや、サクたん!」

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