第93話 荒ぶる乙女
-side 仁科唯-
「えー、では2学期最初の朝のHRを始める。まだ夏休み気分が抜けていない者も居るかもしれないが、これから私がする話はしっかり聞いておくように。大事な連絡事項がいくつかあるからな!」
新学期初日。柏木先生の声がいつものように教室に響き渡る。
いつも通り木製の少し固い椅子に座って。いつも通り多少の眠気を感じながら。憂鬱とまでは言わなくとも、どこかぼんやりとした気分で柏木先生の声に耳を傾ける。
それは新学期になっても特に変わったこともなく、まさに『いつも通り』の朝で。クラスの皆は『ああ、また今日から勉強や部活に追われる日常が始まっていくのか』、なんてことを考えながらまさに今現実を少しずつ受け止め始めているところだろう。
でも.....私にはまだ新学期が始まったという実感がイマイチ湧いていない。
「はぁ...」
軽くため息を吐きつつ、いつもアイツが座っている左隣の席に視線を向けてみる。
けれど...何度隣を見てもそこにアイツは居なくて。
『体調を崩しちゃったのかな?』とか『新学期早々寝坊しちゃったのかな?』とか色々考えてしまって私は全然先生の話に集中できない。
そしてちょっとだけ不安になった私は、去年--ちょうど1年前の『あの日』のことを思い出してしまう。
去年の9月1日。あの日もアイツは今日と同じように自分の席を空けていた。そして......アイツは多くの物を失い、それから2ヶ月間私の前に現れることはなかった。
だから私は自分の隣の席が空いているのを見ると少しだけ胸騒ぎがしてしまう。『2度も事故に遭う』なんてことはそうそう無いっていうのは頭で分かってはいるんだけど、どうしても『また会えなくなってしまうんじゃないか』とか『また寂しい思いをするんじゃないか』、なんてことをほんの少しだけ考えてしまう。
まぁ、もちろんそんなことは絶対ありえないって思ってはいるんだけどね......
多分新学期が始まったっていう実感がイマイチ湧いていないのは私の隣に田島が...亮が居ないからなんだと思う。だって...アイツが私の隣に居ない高校生活なんて考えられないんだもん。
--そう。私の新学期はアイツに『おはよう』を言わないと始まらないのだ。
「......どうした仁科。随分と浮かない顔をしているようだが」
「えっ!? あっ! いや、これはその! な、なんでもありません!!」
「そうなのか? ならまあ、いいんだが...」
......え、今私ってどんな顔してたんだろ。まさかHR中に柏木先生が話を遮ってまで私を心配するなんて...
ていうか毎度毎度私って感情が表に出過ぎるのよね。これからはちょっと気をつけないといけないかな...
-side 新島翔-
新学期最初のHR。その最中であるにも関わらず、俺の右斜め前の席に座っている女のテンションは死ぬほど下がっている。具体的に言うと柏木先生に心配されるレベルのローテンションになってしまっている。
まあ原因は明確だ。きっと今教室に亮が居ないからだろう。仁科のやつ、さっきからずっと空席を見つめてはため息をついて悶々とした表情を浮かべているからな。
つーか...コイツどんだけ亮のこと好きなんだよ。
いくらなんでも表に態度が出過ぎなんだよ。そりゃ柏木先生も心配するわ。つーか今亮が居ないからって油断し過ぎだっつーの。お前、好意隠す気あるの? 周りの皆に自分の気持ちがバレちゃってもいいわけ?
「亮...亮...」
あ、この子もう手遅れだわ。無意識のうちにアイツの名前連呼しちゃってるもん。ちゃっかり亮のことを下の名前で呼んじゃってるし。いや、マジでお前どんだけ今日亮と会うのを楽しみにしてたんだよ。
はぁ...しかしさすがにこの状態は見てらんねぇな。よし、ここは親友として仁科の悲壮感を軽減するために1つ手を打つとするか。
「柏木先生! HR中にすいません! 1つ先生に質問してもよろしいでしょうか!!」
ある考えが思いついた俺は先生に申し訳ないと思いつつも、先生の話を遮って質問をブッ込んだ。
「急にどうしたんだよ新島。いきなり大声を出すなよ...びっくりするじゃないか...」
「亮はどうして学校に来ていないのでしょうか! 僕はその理由が知りたいのです!!」
まあ、俺が亮の欠席理由を知りたいと思っているのも嘘ではない。だが1番それを知りたいと思っているのは仁科だろう。
だから、その、なんだ。『亮が来てない理由を知れば少しは仁科が落ち着くんじゃないか』って思ったから俺はわざわざ先生に質問をしたってわけ。
「あー、田島か。アイツはおたふく風邪になったらしいぞ。だからもう2、3日は学校に来れないそうだ」
「なるほど、そういうことでしたか...って、え!? おたふく風邪!? アイツってまだおたふく風邪になってなかったんすか!?」
「あぁ、そうらしい。正直私も少し驚いている」
いや、まあなんとなく体調不良なのかなっては思ってたけど...亮、お前おたふく風邪って...それって普通小さい時になるやつじゃなかったっけ...
「ふ、ふふ...おたふく風邪って...! なによそれ。ふふふ...!」
あ、良かった。仁科の機嫌が少しはマシになったみたいだ。なんかさっきまでの暗い表情が一変してめっちゃニヤニヤし始めてる。どうやら亮がおたふく風邪になったっていうのは仁科的には結構ツボに入ったらしい。
...よし、これでひとまず仁科が一日中落ち込むという面倒な展開は避けられたみたいだな。
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「新島。今からここで私の話を聞きなさい」
HR終了後。亮の欠席理由も判明したので、ホッと一息つこうとしていたのだが、仁科から『新島! ちょっと来なさい!』と突然呼びかけられて反強制的に廊下に連れ出された。どうやら俺には
「ねぇ、新島。アンタちょっと私のことを下の名前で呼んでみなさいよ」
......は?
「いきなりどうしたんだよ仁科。発言の意図が全く分からんのだが」
「い、いいから黙って私を下の名前で呼びなさいよ! ほら早く!!」
「いや、そういうラブコメの波動を感じさせるようなセリフは俺じゃなくて亮に言えばいいのでは...」
「う、うるさいわね! いいから早く私を下の名前で呼びなさい!!」
いや、マジでいきなりなんなの。この子全然俺の話聞いてくれねぇんだけど。つーか話の意図がマジで分かんねぇんだけど。
はぁ...でもこのままじゃ埒が開かないだろうしな...ここは仁科の言う通りにするしかないか...
というわけで俺は不本意ながらも仁科のことを下の名前で呼んでみることにする。
「ゆ、唯」
「...」
「...」
「...」
......え? ノーリアクション? 無反応なの? つーか真顔でこっち見るのやめてくんない? それってどういう感情なの?
「よし。じゃあ新島、明日以降は私のことを今みたいに下の名前で呼ぶように。それじゃあ教室に戻るわy」
「いやいやいやいや。待てって。ワケわかんねぇって。なんで俺がお前をファーストネームで呼ばなきゃいけねぇんだよ。おかしいだろ」
「え、何? まさか文句があるって言うの?」
「いや文句しかねぇわ。今更呼び方を変えるとか意味分からんし。まあ別に恥ずかしいとかそういうわけじゃないんだが、なんか、こう、変な気分になるんだよ。あー、うん。とりあえずお前を下の名前で呼ぶのは無理だわ」
「へ、変な気分......変な気分かぁ......」
え、なんか今度は急に仁科が落ち込み始めたんだけど。
...いや、マジでお前どうしちまったんだよ。今日はいつにも増してテンションの浮き沈みが激しいぞ。高低差ありすぎだろ。ジェットコースターかよ。
「おい仁科。とりあえずどうして俺に名前呼びを強要しようとしたのかを教えてくれないか」
「うっ、そ、それは...」
「...それは?」
「た、田島...じゃなくて亮に私のことを『唯』って呼んで欲しいから...かな」
「......は?」
「い、いや実は夏休みに偶然、たじ...亮に会う機会があってね! それで私ったら勢いに任せてアイツのことを『亮!』って呼んじゃって!!」
「......それで?」
「そ、それで、できれば今後も、たじ...亮のことを名前で呼びたいなー、とか思ったり? なんなら私のことも唯って呼んでくれたら嬉しいなー、とか思ったりして...」
「あー、分かったわ。つまりお前は『新島が私のことを名前で呼び始めれば、ワンチャン亮も私のことを名前で呼んでくれるんじゃね?』とでも思ったわけね」
「......え、なんなの? もしかしてアンタってエスパーなの?」
「いや、お前が色々と分かりやすすぎるだけだろ」
「う、うるさいわね...」
「えー、コホン。仁科よ。とりあえず今俺から言えることは1つだけだ」
「......何よ。言ってみなさいよ」
そして俺は今コイツの話を聞いて思ったことを包み隠さず、ありのまま伝えることにした。
「たかが名前呼び程度でいちいち悩んでんじゃねぇよ」
「なっ!?」
「いや、お前マジでどんだけお子様思考なん? その辺の中学生の方がまだマセてるぞ。つーか『たじ...亮』ってなんなんだよ。お前めちゃくちゃ恥ずかしがってるじゃねぇか」
「べ、別に良いじゃない! 私も市村さんみたいに、たじ...亮と名前で呼び合いたいんだもん!!」
「だったら、たじ...亮に直接『唯って呼んで♡』って頼めばいいじゃないか」
「あー、もう! 私の口調をマネすんな! 新島ってホントウザい!」
「つーか仁科が亮のことを名前で呼べば、亮も自然にお前のことを唯って呼び始めると思うんだが」
「そ、それはそうかもしれないけど...でもそうならない可能性もあるかもしれないじゃない...」
「はぁ...アレだな。お前って結構面倒な性格してるんだな」
「う、うるさいわね! 女の子ってのは大体面倒な性格なのよ!」
ほーん。自分が面倒な性格だってことは否定しないんですね。
「つーか...そろそろ始業式の時間じゃねぇか。よし、とりあえず体育館に行くぞ」
うむ。またまだ仁科をイジリ倒したいところではあるが、始業式に遅れるのはシャレにならんからな。ここは嗜虐心をグッと堪えて体育館に向かうとしよう。
と思って渡り廊下の方へ足を進めようとしたのだが...
「いや、ダメよ新島」
仁科が俺の夏服の襟を掴んでそれを阻止してきた。
「え、どしたの急に。つーかお前ってホント襟掴むの好きなのな」
「フン。とりあえず明日からアンタが私のことを名前で呼ぶって約束するまでこの手を離さないから」
あれれー、おっかしいな。女の子から『アンタのことを離さない』って言われてるのに全然嬉しくないのはなぜだろう。
フッ、まあいい。仁科からの拘束を解くなど、俺にとっては容易いことよ。今から華麗に仁科の魔の手から逃れてみせようじゃないか。
「あ! あんなところから田島亮が歩いてきてるぞ!!」
「え!? どこどこ!? どこに居るの!?」
すると仁科は俺の襟元から手を離し、慌てた様子で辺りをキョロキョロと見回し始めた。
......え、嘘だろ。まさかこんなバカみたいな手に本当に引っかかるなんて。
まぁいいや。とりあえず逃げよっと。
「ハッハッハ! まんまと騙されたな仁科! まさかこんな手に引っかかるとは思ってなかったぜ! じゃあ俺は一足先に体育館に行くからな!!」
そして拘束が解かれた俺は渡り廊下に向けて一目散に走り始めた。
「あ! ちょっと! 待ちなさい新島! よくも私を騙してくれたわね! 絶対許さないんだから!!」
続いて、超絶単純な手に引っかかった
...ってちょっと待て。なんか俺を追いかけてる仁科のスピードが普段より速いような......
「あ、あのー仁科さん!? なんかいつもより足速くなってない!?」
「フン! 私はアンタと違って夏休みの部活中も徹底的に自分の身体をイジメぬいたんだから! そりゃあ速くなってて当然よ!!」
やばいやばいやばいやばい。マジで思ったより速い。このままだとホントに追いつかれるって。いや、マジでシャレにならないって。
も、もしこのまま仁科に捕まってしまったら俺はどんな仕打ちを受けるのだろうか...さっきは調子に乗って亮をエサにして思いっきりアイツを煽ってしまったからな...考えただけでも恐ろしい...
「ふふふ...覚悟しなさい新島...!」
げっ! すぐそこまで仁科が迫ってきてる!!
「ゴメン! ゴメンって仁科! ちょっとした冗談のつもりだったんだって! 軽く流してくれると思ってたんだよ!!」
「問答無用...アンタが乙女の純情を弄んだことに変わりは無いわ...罰としてアンタの彼女の顔写真を私と亮に見せなさい...!」
「いや、なんでそうなるの!? 俺の彼女は全然関係無いよね!?」
「あぁ、もう! うるさいわね! リア充は黙ってなさい!!」
「え!? お前なんかキャラ変わってね!? 普段は絶対そんなこと言わないよな!?」
おい、亮さん! お願いだからマジで早く学校来てくれ! お前が居ないと仁科の機嫌が全然安定しないんだよぉぉ!!
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