第7話 記憶喪失から始まる青春
-side 田島亮-
『高校に初めて行く日』とは、大抵の学生はこれから始まる高校生活に期待して胸を踊らせたり、青春を謳歌する自分を想像してワクワクしちゃったりするものだろう。きっと多くの者は暖かな日差しの中、桜並木の下を友人と語らいながら初登校を果たすに違いない。
しかし、本日11月8日。俺の『高校に初めて行く日』は、とてもそんなキラキラしたようなものではなかった。まあ、正確に言うと初登校ではないのだが、記憶がないのだから体感的には初登校である。
これからの高校生活に期待? いや、そんなの無理だって。放課後に2時間補習あるんだし。
青春を謳歌する自分? そんなものは想像できないな。だって、女子から距離を置かれてる可能性があるんだぞ。
暖かな日差しの中、桜並木の下を友人と登校? そもそも今は11月だ。暖かくないし、普通に寒い。しかも今日に限って超雨降ってるし。なにも天気まで俺の気分に合わせなくてもいいじゃないか。あと、もちろん桜なんて咲いているわけがないな。真っ裸の枯れ木が並んでいるだけだ。
と、まあ現在、俺は少し憂鬱な気分で通学路を歩いて天明高校に向かっているのである。ちなみに今通学路を歩いている学生は俺だけだ。今日は担任の先生から登校中に顔見知りに会うのを避けるために登校時間を遅らせように言われたためである。
いやー、この先生の気遣いは正直ありがたかった。俺としても、クラスメイトと再会を果たすのは通学路より教室の方が良いからな。教室の方がゆっくり話せるし。
そして先生は朝のHR(ホームルーム)の時間に俺を教室に招き入れてくれるそうだ。どうやらHRのタイミングで、改めて俺に自己紹介をする時間をくれるらしい。
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家を出てから約15分ほどで天明高校に到着。そこそこ広いグラウンドの脇を通り、とりあえず玄関まで辿り着いた俺は、上履きに履き替えて職員室へと向かうことにした。担任の先生と合流するためである。
そして職員室は玄関から割と近かったため、俺は迷うことなく職員室前にたどり着くことができた。
「スゥー......ハァー......し、失礼します」
深呼吸を済ませた俺は、少し声を震えさせつつ、扉を開けてみる。それにしても職員室の、この独特の緊張感は何なんだろうか。
「おう、田島。来たか」
入口で俺を出迎えてくれたのはジャージ姿の若い女教師だった。ポニーテールがよく似合う美人で、切れ長の目が特徴的な、少し大人っぽい印象を受ける人物だ。
「1年6組担任の柏木奈々だ。担当科目は国語。事故の事情はお母様から聞いている。大変だったな。私は駅伝部の副顧問だから実はお前とは以前に結構関わりがあってな。まあ私は駅伝部でなくなったお前にも以前と同じように接するつもりだ。これからよろしくな」
......完璧な挨拶ではないだろうか。俺の事情に触れないわけでもなく、かといって深入りし過ぎるような言葉は選んでいない。それでいて、俺が欲しい言葉が的確に選ばれている。多分この人は良い先生なんだろうな。
「はは、まあ前みたいに叱ってくれても大丈夫っすよ」
「ふふ、なんで以前は叱られてる前提なんだ?」
「いやー、家族から言われたんですけど、俺ってなんか余計な一言を言うことが多いらしいんで。まあ、先生にも何か言ってそうだな、と」
「なるほど。よくわかってるじゃないか」
「あ、やっぱそうなんですね。まあ、先生みたいな美人に叱られてもご褒美にしかならないっすけど」
「び、美人てお前...」
俺が軽くジョークを飛ばすと、なぜか先生は俺から目線をそらして口をモゴモゴさせ始めた。
「え? 先生? 急にどうしたんですか?」
「い、いや、これは、その......お前が急に私のことを『美人だ』なんて言うもんだから、なんか恥ずかしくなって......」
「......」
いや、先生。大人がこれくらいで照れないでくださいよ。顔赤くしないでくださいよ。めっちゃピュアじゃないっすか。なんですかそれ。めっちゃかわいいじゃないっすか。軽い気持ちで冗談を言ったつもりなのに、なんかこっちまでなんか恥ずかしくなってきたじゃないですか。
「お、お前のそういう一言が余計だというんだ! こ、今度急に変なことを言ったら怒るからな!!」
あ、なるほど。一旦照れた後で叱ってくるわけですね。まあ、全然怖くないし、むしろ癒されるんですが。つーか、マジでかわいいな、この人。
いや、アカン。コレ癖になるわ。
多分記憶喪失以前の俺は、癒しを求めてこんな感じで先生に叱られに行っていたんだろうな。一見クールビューティーな先生が叱った途端、こんなにかわいくなるんだからな。そりゃ、叱られにも行きますわ。
うーん、なんか女子に嫌われてる説とかどうでもよくなってきたな。この人が担任なら俺、普通に毎日学校に来るわ。
「と、とにかく! そろそろHRの時間だ。一緒に教室に行くぞ」
「わかりました」
そして、一悶着あった俺と柏木先生は職員室を出て1年6組の教室に向かって歩き始めた。
「お、おい、田島」
「どうしました?」
「え、えっと......教室ではさっきみたいな感じで軽い冗談を言わないと約束してくれ。そ、その......は、恥ずかしいから......」
「ええ、分かりました。不肖この田島亮。美人の奈々さんのためならどんな約束でもすると、今この場で誓いましょう」
「お、おい! お、お前! ほ、ほんとにそういう事は教室で言うんじゃないぞ! ゆ、許さないからな!」
「あ、いや、なんつーか......先生ってホントかわいいっすね」
「か、かわっ!? た、田島! お前、約束破ったら本当に許さないからな!? 約束を破ったら、もう口も聞かないからな!?」
「いや、それだけはマジでやめてください! お願いします! 守ります! 絶対約束守りますから!」
「よし、分かったならよろしい。ほら、教室着いたぞ。まあ、お前は入口の前で少し待っていろ。先に私がクラスの皆に話をするからな」
「り、了解です」
すると俺に一言告げた先生は、教室へと入っていった。
「はい、全員注目! それでは朝のHRを始める。えー、連絡事項は2点。まず1点目。本日の1限目の国語だが、私に急用が出来たため、授業が出来なくなった。よって今日の1限は自習とする」
「やった、自習だ!」
「ぐっすり寝れるぜ!」
「終わらせてない宿題をやるチャンスだ!」
1限目が自習になったという知らせを聞いた教室の生徒達は、それぞれ歓喜を爆発させていた。
って、え? ちょっと待って? 今1限を自習って言ったけどさ? もしかしてあの先生って、俺とクラスメイトがじっくり話す時間を作るためだけに、1限目の自分の授業を潰したんじゃないか......?
いや、何なの、その気遣い。なんか泣けてくるんだけど。
「えー、次に連絡事項2点目。実は田島が本日から学校に来ることになってな。もうアイツがすぐそこまで来てるんだよ。まあ、田島のことは皆も色々聞いているかもしれないが、今まで通り仲良くしてやってくれ」
「え、マジ!? 亮が今日来るの!?」
「おー、連絡は取ってたけど、やっと会えるのか!」
「今まで通り仲良くとか当たり前っすよ、先生」
.......え、いや、なんなの、この歓迎っぷり。
なんかね、もうね。クラスのヤツらの反応が予想より遥かに暖か過ぎてね。急に泣きそうになってきたよね。いや、連絡を取ってたから薄々は分かってたけど、ホント良い奴ばっかじゃん。
あー、うん。なんかもう、別に女子に嫌われてる説とかどうでもよくなってきたわ。
「じゃあ田島、入って来なさい」
「は、はい」
そして先生に呼びかけられた俺は、様々な感情を抱きつつも、意を決して教室に入ることにする。
--瞬間。
「おかえり、亮!」
「待ってたぜ!」
「これからもよろしくな!」
教室に入ると拍手が起こり、それと同時に男子生徒の優しい言葉が次々と聞こえてきた。教室は歓迎ムード一色であり、俺の胸はさらに熱くなっていく。
ああ、もう、ホントにそういうのやめてくれよ。俺って結構涙腺が弱いんだよ。いや、マジで先生とお前らのせいで涙腺がそろそろ限界なんだよ......!
「あれ? 亮泣いてね?」
「ハハ、ほんとだ! 亮泣いてる!」
そして俺は、黒板の前に立つと皆の暖かさに耐え切れず、一言も話せないまま涙を流してしまった。
「チクショウ、笑うんじゃねえよ......! お前らのせいなんだからな.....!」
俺は涙声で力なく言い返すことしかできない。
「おいおい、田島、大丈夫か? 別に無理して話さなくてもいいんだぞ? 自己紹介の時間は後でも取れるから、まずは席に着いたらどうだ?」
「......いえ、大丈夫です。ちゃんと話せます」
「そうか。じゃあ、皆に話を聞いてもらいなさい。遠慮せずに言いたいことを言うんだぞ」
「......はい、分かりました」
正直、今の俺は涙声で普通に話せる状態じゃない。それでも、胸にあるこの思いは今直接言葉で伝えておきたいんだ。またゼロから始まる高校生活を共に過ごす仲間たちに、こんな俺を歓迎してくれたクラスメートたちに......今胸にあるこの気持ちを俺なりの言葉で伝えたいんだ。
--だから無理をしてでも、俺は皆に話をすることに決めた。
「俺の名前は田島亮。皆が知っているようなヤツじゃないかもしれないし、もしかしたら変わっちまってるかもしれないけど......俺は、田島亮なんだ。そして、まずは皆に謝らなければならないことがある。俺は皆のことを覚えていないし、誰とどんなことをしたのかを覚えていないんだ。それは本当に申し訳ないと思っている」
俺が悪いことをしたから記憶喪失になったわけではないということは分かっている。しかし、先生や皆の暖かさを感じるのと同時に、そんな彼らとの思い出を忘れてしまったことを、俺はとても申し訳なく思ってしまった。
「そして皆には本当に感謝している。俺が意識不明の間には俺を励ますメッセージをくれた。皆は俺が忘れてしまった思い出を入院中にたくさん教えてくれた。そして......今日、俺をこんなに歓迎してくれた。本当に皆には感謝してもしきれないよ」
次に伝えたのは感謝の言葉。言葉では伝えきれないほど感謝しているけれど、それでも言葉にしないと感謝というものは伝わらない。だから上手く伝えられたかは分からなけど、俺は皆に精一杯の『ありがとう』を伝えてみた。
「そして最後に皆にお願いだ。俺は皆のことを大切に思っている。入院中に皆とメッセージを交わしているうちに気づいたんだ。記憶喪失なんだからそんなことない、って皆は思うかもしれない。でも本当のことなんだよ。記憶は消えたけど、絆は消えてないと信じてるんだ。でもやっぱり思い出を失ったのは寂しくてさ......だから、俺はこれから皆と楽しい思い出をたくさん作っていきたいと思ってるんだ。もしかしたら身勝手な願いかもしれないけど、俺はもう1度ゼロから皆とやりなおしたいと思ってるんだ。だから......これからよろしくお願いします!」
俺は最後に自分の願いを伝え、頭を下げた。今まではなんとか我慢できていたものの、感極まって思わず涙がポロポロと溢れ出してしまう。
そして数秒の沈黙の後、頭を上げて教室を見渡すと教室に居るほとんどのヤツらが俺のために泣いてくれていた。
「亮!」
一人の男子生徒が俺の名前を呼び、俺の元へ飛び込む。するとそれに続いて1人、また1人と男子生徒が俺の元へ続いて飛び込んで来た。
そして感情が昂り、なんだかワケが分からなくなった俺達は、気づけばその場で抱き合って泣いていた。その時流れた涙が、思い出を失った悲しみから来るものなのか、それとも再会を祝う喜びから来るものなのかは分からない。けれど、俺たちはまるで幼い子供のように、大きな声を上げながら泣いていた。
ああ、確かに流す涙の意味は分からないさ。嬉しいやら悲しいやらで、実を言うと、俺は今の自分の感情もよく分かっていない。
でも......この時、確かに俺はこう思ったんだ。
ー-ああ、ここから俺の青春が始まるんだな、と。
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