遊戯椅子探偵

名久井宀

第1話 出会いと謎

17の夏とは、青春への片道切符であると國宮蜜柑くにみやみかんは思った。


帰りの交通手段なんて待たない少年少女が、正しいかどうかわからない道を突き進んでゆく。

果たしてその終着地点には何があるのか。

いや、何があろうと関係ない。

大概の少年少女はそこで「大人」となり、愚直に邁進してきた青春という道を後戻りしていくのだから。

すなわち、今現在進んでいる道なんてほとんどが間違いであるのだ。


例えば、ずっと学校を休んでいる問題児なクラスメイトの家にプリントを届けに行く、自分が学校から帰る方向とは真反対の道とか。


蜜柑は言いようもない気だるさと、肌に纏わりつく夏服の気持ち悪さから、そんなことを考えながら道を進んでいた。


九月初めの焼き付けるような太陽に、健康的に焼けた小麦色の肌とポニーテールの黒髮は確かな熱を持ち、普段温厚な性格をしている蜜柑にもこのプリント届け係は気を滅入らせるような重労働だった。


大体、例の問題児がクラスのグループラインに入っていればプリントなど届けなくて済むものを何でこんな原始的な方法で……。


等と色々と不満が絶えない中、いざ問題児が一人暮らしをしているというマンションにたどり着いた。

しかし、その建物は驚くほど巨大でハイテク。

とても高校生が一人暮らしをするようなマンションではなかった。


前情報で得ていた14階の1409室という問題児の住処からかなり高い建物だろうとは思っていたが、想像の二倍は大きな建物である。


さっさとプリントをポストに入れて帰ろうと思った、しかし問題児の部屋のポストは書類やら何やらですし詰め状態であり、とてもではないが蜜柑の持っているプリントの束を入れることはできなそうだ。

新学期二日目ということも合間って、プリントは10枚をゆうに越している。

ポストの悲惨な状態から、これから会う問題児はかなりガサツな性格をしているんだろうと感じられた。


これは自分で出向くしかないかと、蜜柑は意を決する。


エントランスにいる警備員に理由を伝え、住人しか入れないマンションの中に入れてもらった。

セキュリティーがそんじょそこらのマンションとは比べ物にならない。

本当に問題児ときたらどんな人物なんだと、蜜柑は好奇心とも憂鬱ともつかない感情で1409室のチャイムを鳴らした。


しばらくしてガチャっとドアがあいた。


中から出てきたのは、どこにでも居るような見た目の少年だった。

しかし、その少年はなぜか浴衣を着ており長く伸びた無造作な髪は、どこにでも居そうな少年を彼独特の雰囲気にしている。

思わず惹きつけられてしまいそうな、ミステリアスな感じだ。


「ん?あんた誰」


少年は短く言った。

怪訝な顔をする少年に蜜柑はハッと我に返った。


「プ、プリント持ってきたの!」


バッと袋に入ったプリントを差し出す。

少年はそれを受け取ると、また腑に落ちないと言った顔で続ける。


「一階のエントランスにポストがあったろ、そこに入れてくれればよかったのに」


その一言はきっと蜜柑を気遣ってのことだったのだろう。

しかし悲しいかな、蜜柑には今までの苦労をバカにされたように聞こえてしまった。

何でそんな無駄なことをしているのか、と言った感じで。


少年から発せられたその言葉は、蜜柑の気を害し彼女の口調は図らずとも荒々しいものとなる。


「あなたのポストが訳の分からない書類とかで一杯だったの!」


その言葉に、少年は少しも態度を変えず、


「そうか」


とだけ言って部屋に戻ろうとした。


しかしその態度は、まさに火にガソリンをまく愚行。

蜜柑の堪忍袋はとうとう限界を迎えた。


「てちょっと!何なのその態度!せめて感謝くらいしてよ、ていうか暑い中ここまで来て差し上げた私を労ってよ!」


ややオーバーなアクションで蒼天を仰ぐ蜜柑。

必然的に少年の目はヤバイ奴を見るときのそれに変わる。

しかし、自分の態度もそっけなかったと反省する面もあり、きっとこの少女は暑さに脳をやられてしまったのだろうと、とりあえず言われた通りここまでの労を労う事にした。


「す、すまん。じゃあ中に上がれよ」

「え?」


蜜柑は言われてから気が付いた、しかしもう遅い。

自分は、不覚にも同年代の男子の家に入れてもらうような言動を取ったのだ。


「あ、いやさっきのはそういう意味じゃなくて……!」


とっさにそう言うが、すでに家に入ってしまった少年には聞こえない。


それでもやっぱり……などと蜜柑が玄関の前でもじもじしていると、


「何してんの、早く入りなよ」


少年が不審に思ったのか、再度玄関を開けて蜜柑を招き入れた。

自分で頼んだ手前、このお誘いには流石に逆らえないと思った蜜柑は、一抹の不安を感じながらも中に入る事にした。


「お邪魔しまーす……」


そっと玄関を閉じて、少年のあとをつける。

外見でもわかっていたが、中に入ってみるとやはりとても大きな家だった。

キャッチボールでも出来るのではないかと言うくらい長い廊下の左右に、いくつものドアがある。


その中でも特に、一番大きな扉が廊下の突き当たりにあった。

そのドアを少年が開け、続く蜜柑は期待と不安を一心に抱えながら中に入る。


その期待は、良くも悪くも大外れだった。


中に入ってみると、そこは本来ならリビングにでも使う部屋なのだろう。

しかしそこにあったのは、大きなデスクとパソコンだけで正直空間を持て余しているとしか言いようがない。


さらに目を引いたのは、パソコンのモニターが下に5画面、上に3画面と計8つ並んでいたのだ。

こんなにあって何に使うんだと蜜柑は思ったが、きっと彼なりのこだわりがあるのだろうと、あえて突っ込まない事にした。

しかしこんな部屋だがエアコンが効いていて先ほどまでの炎天下から見ればオアシスの様な環境だった。

不覚にも入れてもらえてよかったと思ってしまう蜜柑。


「まあ、まずは座れよ」


そう言いつつ少年はパソコンデスクの前に二つあった椅子のうち一つを蜜柑の方に向ける。

その椅子はゲーミングチェアと言うのだろう。

形がスポーツカーの座席に似ていた。


恐る恐る蜜柑はその椅子に座ると、案外座り心地が良いなと感心した。

少年はというと部屋の奥の方に足を運んでいる。

足の向かう先を見ると大きな冷蔵庫があった。

さっきは見えなかったが家電は一応、一式揃っているようだ。


「飲み物だけど、モンスターエナジーかレッドブルどっちが良い?」


少年は冷蔵庫を開けながら蜜柑に聞いた。


「それどっちもエナジードリンクだよね?普通なら紅茶かコーヒーを進めない?」

「嫌なら水道水だ」


思わず突っ込んでしまった蜜柑だったが、郷に入っては郷に従えとも言うし、水道水は嫌だったのでモンスターエナジーを貰うことにした。


少年は冷えた缶を渡すとそのままパソコンデスクに向かい、なにやらカタカタとやり始めてしまう。


「それ飲んで気が済んだら帰れよ」

「あ、うん」


少年は背中越しにそう言った。

蜜柑はプルタブを開けながら答える。


それから何分経過しただろうか、だだっ広い部屋に響くのはキーボード音のみ。

流石に気まずいと感じた蜜柑は少年に話を振ることにした。


「ねえ、名前なんて言うの?私は蜜柑」

「俺はみおだ。澪で構わない」


少年、澪は短いながらもしっかりと答えた。


「ねえ澪くん、なんで浴衣着てるの?」


続く質問は蜜柑がずっと気になっていた事だ。

少年の服装は黒に灰色の模様が入った浴衣である。

なんというか、変だった。


「服装とは本来自由であるべきなんだ」

「え?」


帰ってきた答えは的を射ているようで、的外れなものだった。

先ほどまでの澪ならここで終わりかと思ったが続く口でこう言う。


「國宮の着ている制服がだ、もしも明日からスクール水着になったとしよう。どう思う?」

「は?」


珍しく長く話したと思ったら、意味のわからない内容で、蜜柑は頭に疑問符をいくつも浮かべた。


「い、嫌だよそんなの!」


蜜柑はたじろぎながらも答える。

その答えに満足したように、しかしキーボードを叩く事だけはやめず澪は言う。


「だろ、つまり制服なんてのは、実際の所そうなる運命を少なからず孕んでいるんだ。明日、世の中の偉い人が魔法少女コスプレこそがスーツよりも相応わしい正装だと言ったら、きっと社内や電車の中は魔法少女コスプレをした老若男女で溢れかえる筈だからな」

「そ、そう……なのかな」


なんなんだこいつは、と蜜柑は内心思う。

しかし、これで最後だと言わんばかりに澪は結論づける。


「だからこそ、俺は自分の一番好きな服装をする。俺が着ているのは浴衣でなく、言わば浴衣と呼ばれる形をした衣服という訳だ」

「へぇー……」


聞いた自分が馬鹿だった。

もしさっき、なんでディスプレイが8つもあるの?と聞いていたら今みたいな事になったのだろうと悪寒のようなものがする。

蜜柑はもう澪の身辺について口出しするのはよそうと思った。


さらに数分間が立つ。

間が持たないどころか、冷静になって考えると蜜柑は自分がなんで今こんなところに居るんだと考え始めてしまっている。


こうなったらもうどうなっても良いから澪に質問を投げ掛けかけよう、そんな思考に陥る蜜柑。


「ねえ、澪くん1人で暮らしてるって本当?」

「ああ」


今度はそれだけ。

やはり彼の独特な感性を刺激しない限りは、短く簡潔に答えを言うのだ。


「じゃあ生活は仕送り?見た感じすごい良い家に住んでるから親御さんは、もしかして社長とか?」

「どちらも違うな、親は一般人。それに俺は一人で生計を立てている。この家もセキュリティ面で選んだだけで大きさや豪華さは問題じゃない」

「そっかー、すごいね。今パソコンでやってるのがお仕事?」

「企業秘密だ」

「ふーん」


掴み所がないな、と蜜柑は思う。

それだけに、聞いてみたいと思ってしまった。


「ねえ、なんで学校に来ないの?」

「っ……」


キーボードの音が止まる。

しまった、地雷を踏んだと思った蜜柑。

かなりプライベートな、しかも彼の置かれた状況の最も深い部分に触れてしまった。

蜜柑はそんなズカズカと相手の心に土足で踏み入るような性格ではない。

しかし、彼の持つなんとも言えない雰囲気が、彼女をその行動へと至らせた。


「学校はつまらない」


少年は心底絶望したように囁いた。


「つまらない?なんで?」


もう引き下がれないと思ったら蜜柑は最後は行けるとこまで行ってみようと思う。


「学校なんて、やってる事は一般常識の押し問答だろ。俺らよりも少し生きている先生という連中が、非生産的な情報を垂れ流す。その年齢差だって、天文学的に見れば誤差に過ぎん。心底つまらない」


彼から感じるのは、どこまでも深い虚無感だった。

その思いは一方で、蜜柑の心に熱意を宿した。

なんとしても澪に学校は楽しいところであると知ってもらいたい。

そんな強い思いだった。

そのために、蜜柑は全力の説得を始める。


「そんなことないよ!学校は一生の友達も作れるし!」

「人は自分のためならどんな犠牲も厭わない。たとえ親友であってもだ。だから友達なんて、所詮は便利な駒だろ」

「うぐぅッ」


蜜柑に10の心的ダメージ。


「じゃあ恋愛は!青春の思い出と言えば甘酸っぱい恋でしょ?!」

「恋なんて人間の生存本能によるものだろ。より優秀な子孫を残したい、そんな人間に備わったプログラム如きが青春の本質だってのか」

「ぐはぁッ!」


蜜柑に20の心的ダメージ。


「そ、それなら澪くんの知らない事だって教えてもらえるよ!!」

「例えば?」

「微積分とか!」

「俺は数検準一級保持者だ」

「なにっ……まだまだ、北米のロッキー山脈の東側に吹きおろしてくるフェーン風の名前は知らないでしょ!」

「チヌークだろ」

「あ、あたり……じゃあ和算家として有名な江戸時代の数学者は?」

「関孝和」

「あたり……じゃあ、1077年に」

「カノッサの屈辱」

「……」


蜜柑に30の心的ダメージ。


「やめてあげて、私のライフはもうゼロよ……」


とうとう折れる蜜柑だった。


「ほらな、この程度だろ。高校なんて」


そして極め付けに澪のオーバーキル。


ふと、蜜柑は立ち上がる。

不敵な笑みを浮かべたまま、よろよろと澪の方へと歩いて行く。


「ん……?どうした……」

「あるもん……」


何かをボソボソと呟く蜜柑。

パソコンへと再び向かい始めていた澪は、蜜柑の方へと振り向いた。


「あるもん、澪くんの解けない問題」

「そうか……って何だよ!」


蜜柑はがっしりと澪の肩を掴んだ。

これには流石の澪も驚きの声を漏らす。


「ちょっ、離せって」

「この問題が解けなかったら、澪くん学校来てくれる?」

「あ、ああ行くから!とにかく離せ!」


いきなりの行動にひどく面食らった澪は、訳の分からない約束を交わしてしまった。

その返事に満足したかのように蜜柑が頷くと、澪の肩から手を離しゲーミングチェアに深々と座り直す。


「じゃあ早く出してみろよ、その俺に解けない問題ってのを」

「分かった、じゃあ早速言って差し上げましょう」


自信満々の蜜柑の口から紡がれたその問題とは、


「パンツが見つかったの!」

「…………は?」


澪の想像を遥かに絶するものだった。

もちろん、ダメな方に。

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