第19話 フリージア
スヤスヤと眠る白い肌にかかったピンクの髪の毛を払い、肌を撫でた。
そうすると、自分の腕のことなんか忘れたみたいに、幸せそうに微笑んだ顔が見ていて心地よかった。
その顔を見れたことに満足して、辺りを見渡す。
白い壁に囲まれ、中にはベッドが三つあるが、いるのは俺と彼女の二人で、どちらもベッドの上に寝ている。
彼女の体に外傷はないが、その痛々しい左腕を見ると、どうしようもない罪悪感に見舞われる。
一方、俺はというと、体のいたる所に過剰すぎる程に包帯を巻かれている。
もともと、骨折だって捻挫だってすぐに治ってしまう
「けど、ダメ元でも来てみれば案外親切なものなんだな」
呟きながら、また彼女の髪を撫でた。
すると、彼女は猫のように身震いをさせて、うっすらと目を開けた。
「すまない、起こしたなフリージア」
半開きの瞼が不思議そうに辺りを見渡す。
「ここは、どこですかアキレアさん……」
「病院だよ。山から降りた街にある」
「街にある……病院」
そう俺の言葉を繰り返して、フリージアは突然目を完全に開けて言った。
「ということはアキレアさん。怪物に勝てたのですか?」
勢いよく身を起こして言ったフリージアだったが、自分の左腕から伝わる痛みに顔をしかめる。
「それより、その腕……」
俺も身を起こしてフリージアの左腕を指さす。いや、正確には腕があった場所だ。
俺に指摘されてフリージアも始めて気が付いたようで、左腕の惨状を見て俯いた。
そう、怪物により引き裂かれたフリージアの左腕は、肩から下が切断されていた。
「その……すまなかった。俺のせいでそんな事になってしまって」
「いえ、いいんです。私が勝手にしたことです。アキレアさんが気にやむことじゃありません」
「お前がそう思っていたとしても謝らせてくれないか、それに関して俺は本当に悪かったと思ってる」
「そんな、いいですよ謝らなくたって」
「いや、お前がなんと言おうとも俺は謝る。お前の優しさに甘えてばかりじゃダメだって気付いたから」
俺がそう言うと、フリージアは納得したように頷いた。
「そうですか、わかりました。ではそう言う事にしておきましょう」
そう朗らかに笑って、フリージアは「そんなことより」と続けた。
「アキレアさん。怪物との戦いの結果はどうなったのですか?」
「ああ、そのことか……実はと言うと負けた」
「へ?」
とぼけたように、耳をすますフリージアに今度はしっかりと聞こえる声で、もう一度言った。
「負けた」
「負けたって、それじゃあどうして私たちはここにいるのですか?」
「いやぁ、まぁ、かいつまんで話すとだな……」
そして、俺はフリージアが気を失った後のことを説明した。
「で、怪物の首めがけて斬って、それは命中したし怪物もかなり弱ったんだが、着地する時に暴れた怪物の足がちょうど俺目掛けて飛んで来たんだ。なんとか剣を盾がわりにしたが、剣はこなごなになって体は吹き飛ばされ、気を失ったよ」
ここまでの流れを確認するように、フリージアは何度か頷いていた。
「なるほど、それでよく生きていましたね」
「それが、運のいいことに丁度その時に時間がきて怪物はどこかに行ったみたいだったんだよ。で、その後お前を抱えて街へ降り、医者に頼んだら運良く了承してくれたんだ。いやぁ、ダメ元でも言ってみるもんだな、あっさり頷いてくれた」
まぁ、あんだけ血だらけの人間が来て、頷かなかったら医者の恥だけどな、と俺が軽口を飛ばすと、フリージアは真面目な顔をして俯いていた。
「あの、アキレアさん」
「どうした?」
「少し前に、言いかけてたことがありましたよね」
言われて、少し記憶を探る。
そんなことを言っていただろうか。
「船の上での話です」
それで思い出した。その時がきたら話すとか言っていたことのことか。
「そうです。そして、その事なんですが実は私のフルネームのことなんです」
「フリージアのフルネーム?」
「はい。私のフルネームは、フリージア・ゼラニウス・グレイスと言います」
「グレイス……」
どこかで聞いたことがあるような名前だ。
どこで聞いたか、思い出せない。
「はい。私の父親の名前は、ルドウス・Ⅹ(ゼラニウス)・グレイス。現国王です」
「現……なんだって?」
ちゃかすようにわざとらしく聞き返す。
しかし、それに応えたフリージアの顔は本気だった。
「現国王です」
「……国王?」
「はい、なので私は王女兼次期国王候補です。うちにはまだ長男がいないので」
王女――王女って国で一番偉いってことだよな。フリージアが王女?
突然怪物と戦っているような俺のもとにやってきて旅をするフリージアが?
つまり俺は、そんな奴を連れ回した挙句左腕を切り落とさせたのか。
「って、なんだよそれ! そういうのは先に言っておいてくれよ!」
「いや、だって言ったら私のことを嫌うんじゃないかって心配だったんですよ!」
「嫌うかもってお前……」
「だって国から、国王から迫害されたアキレアさんにその国王の娘なんてきたら、今さらなんのようだって思うんじゃないかなって……」
俯きながら呟くフリージアだったが、たしかにフリージアのその優しさには感謝するが、さすがにため息を隠すことはできなかった。
「それにしてもだなぁ……ていうかお前が政治家になりたいって言っていたのって……」
「それは――アキレアさんは知らないかもしれないですけれど、実は、私は王宮にいた頃のアキレアさんを知っているんです。そして、そんなアキレアさんが受けた処遇が許せなかった。だからこの国を変えようと思いました」
政治家って、お前そんなレヴェルの人間じゃないだろ。王女で次期国王候補だったら、政治家になんてならなくても……。
いや、フリージアからすれば王の血筋であるという権限を行使したくなかったのだろう。
それは、フリージアが俺に自分が王女だという事を話さなかったことからも、俺自身も自分を勇者なんて言ってほしくなかったことからも、しっかりと理解できる。
結局のところ肩書なんてもので自分の証明なんてできないし、その価値なんてものは分からない。
だからこそ、フリージアは苦労してきたんだと思う。だって、自分が王女だなんてことはこの国に住んでいる者なら誰だって知っていることだ(俺は知らなかったが)、だから必ず忖度というものが発生してしまう。それを払拭するためにどれほどの時間と労力を費やしただろうか。
その事を思うと、自分の悩んでいたことが急に馬鹿らしく感じられた。
「そうなのか……それは本当に悪い事をしたな」
「ど、どうしてですか?」
「だって、俺と一緒にいたせいでそんな事になっただなんて、ますます人を俺に近づけないようにするだろ」
「ああ、そうですね……でも大丈夫です!」
元気よく答えたフリージアだったが、その答えは意外なものだった。
「その時は王女の権限で何とかします!」
自分が王女だという事を隠してきたのは、自分をそういう目で見てほしくないからだと思っていた。
それなのにフリージアがそんな風に自分の肩書を使おうとしている事は、あまりにも以外でどこか裏切られたように感じられた。
「……お前は、そういう肩書を使うのが嫌だったんじゃないのか、どうして?」
そう言うと、フリージアは腕を組み宙を見上げて考え事をするように唸った。
「いやぁ、何と言いますか、自分の持っている力を使わずにしたことは、本当に自分がしたかったことなのかなって、思ったんです」
「自分の力……」
「はい。だって本当に何かしたいんだったら、自分の持っている力は惜しみなく使うもので、でもそれをしなかったという事は、私にはまだ覚悟が足りなかったんだと思うと、なんだか情けなく思ったんです」
確かにその通りだ。どれほどにプライドがあったとしても、本当に成し遂げたいことがあるなら、それはプライドを捨てでもしなくてはならない。だってそうしないと自分が本当に何がしたいのか、分からなくなってしまう。
だけど、俺にはフリージアはフリージアのままでいてほしいと、そんな願いが捨てられない。フリージアが自分を王女だと認めれば、フリージアがどこか遠くへと行ってしまう。そんな気がしていたからだ。
そんなことは俺のわがままで、フリージアがどう思うかはフリージアが決めることだという事は分かっている。
だけど、それを簡単に受け入れられるほど俺は素直ではない。
そんな俺の感情は顔に出ていたようで、フリージアが心配そうに声をかける。
「だから約束しましょう、アキレアさん」
「約束?」
「はい、私は自分の力を全て使って、あと一年――いえ二年のうちに必ずこの国を変えて見せます……だからそれまで私を待っていてくれますか?」
待つ?
そんな言葉を言われるとは思っていなかった。むしろ逆だ。待っていてほしいのは俺の方だと言うのに。
いや、でもフリージアからすれば、そうなのかもしれない。
もともと、フリージアは俺に憧れていた。ならばフリージアからしてみれば、俺ははるか遠い存在だったのだ。
だから、フリージアは遠くへ行くのではない。フリージアは俺に近付こうとしてくれている。
こんな俺に、自分が取り返しのつかないような怪我をしたと言うのに、まだ俺の事を慕ってそして俺に手を差し伸べてくれている。
そう思うと胸が苦しくなった。フリージアへ感謝を伝えたい。だけどそれはできない。だってここでフリージアに感謝を伝えれば、フリージアが決めた覚悟を踏みにじるような気がした。
だからその代わりに、一つだけ俺もフリージアに約束をしたい。
「わかった、じゃあ俺も一つ言わせてくれ」
「何をですか?」
「これからは、俺も本気で怪物と戦うって決めた。マリに言われて――お前が傷ついて――気付いたんだよ、全員毎日を本気で生きてる世界の中で、自分一人が取り残されているって」
「そんなことないです。アキレアさんだって怪物を相手にしているだけで、本気で生きています」
「ああ、それは理解できるし、本当のことだと思う。だけど、それじゃ足りない……言葉じゃ上手く説明できないけど、お前がこの国を変えた時にお前に誇れるように――毎日止まらないように生きてみるよ」
ベッドから体を起こし、開いた窓から外を眺める。
高山の隙間をすり抜けて風が室内に流れ込んだ。気候がら涼しくも冷たい風が肌を撫でる。室内に這入った風は、花瓶に入れられた花を静かに揺らした。
俺が王宮にいたころにも何度も見た花、どうやらここの地域はよっぽどこの花が好きなようだ。
そう言えば、花言葉なんかも教えられた気がする。それ以外の花の花言葉なんて教えられないのに、それだけ教えられて妙に思ったのを覚えているが、なるほどそういう事だったのか。
今でも、しっかりと覚えている。
ピンク色のフリージアの花言葉は感謝だ。
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