14. 殺人犯が僕を呼び止めます

 太陽が眩しいです。


 一日ぶりの空気がおいしいです。


「ほら、行くぞ」


 兄が階段を降りていきます。


 僕は背後を振り向きました。


 五階建て。四角四面。コンクリート。


 警察署というのは何度来ても好きになれません。


「一晩泊まって、どうだった」


「公園のベンチで寝るほうが幾分ましです」


「これが最初で最後にしてくれよ」

 兄が大袈裟にため息を吐きます。


 兄に身元引受人を頼むのは初めてです。これまでは奈緒さんに迎えに来てもらっていました。


「ありがとうございました。兄さん」


「うん。しょうがないさ」


 僕のヴィッツに乗り込みます。


「誤解が解けてよかった」


「よくはないですね」


「勾留されずに済んだんだ。よしとしよう」


 当然です。僕は何もしていないのですから。


「昔の教え子が警察に説明してくれたらしいな」


「そのようです」


「洞川さんだったか」


「えり緒さんです」


「おまえに恩を感じてるんだな」


 兄が笑います。


 僕も笑います。


 車が秋葉街道を走ります。


「稲村さんだがな」


 兄が呟きます。


「家庭教師はもういいそうだ」


「でしょうね」


「いや。警察沙汰がどうこうじゃない」


「和葉さんと美桜さんですか」


 兄が横目で僕を見ます。


「ああ」


「僕は力不足でした」


「仕方ないさ。教師としてできることには限りがある」


 姉妹の致命的なトラブルを察知した家庭教師が、調停のため教え子の手を借り学校に乗り込んだ、ということになっているそうです。えり緒さんは喋る前と後に『この話はフィクションです』と付けるべきです。


「バイト代だがな」


「いくらでしたか」


「奈緒さんに返しておいた」


 僕は近々死にます。兄に殺されます。未必の故意です。


 相生町の実家に着きます。


 シートベルトを外します。


 車から降ります。


 足許がふらつきます。


 死が僕に迫っています。


「優二」


 殺人犯が僕を呼び止めます。


「アパートは引き払って、ここに住め」


「またその話ですか」


「俺だっていつも浜松にいるわけじゃない。部屋も多いし、もったいないだろう」


 実家で兄と暮らす。


 考えただけで息の根が止まりそうです。僕は心臓に疾患を抱えているのです。兄は僕にとどめをさすつもりです。


「帰ってくるなら、引越し代は出してやる」


 どうやら僕に他の選択肢はないようです。


「考えておきます」

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