Happy Birthday to You

 その日、夢を見ました。


 鳥かごのような温室庭園の真ん中に置かれた、白いティーテーブル。

 そこに腰掛けて、本を読んでいる夢。

 それはもう、とうに過ぎ去った時間。今はもうどこにもない場所で過ごした日々の残滓。

 ぼんやりと、面白みのない戦術教練書のページをめくっている私に――その時不意に、後ろから投げかけられる声がありました。


「こーこのえっ」


 ひどく呑気な調子の声。面倒くさいな、という気持ちとともに振り向くと、そこに立っていたのは私より少しだけ背の高い、薄水色の髪の少女でした。

 A-004「四月よづき」。私よりも少しばかり姉にあたる一桁台の【聖女】。

 彼女は義手の右手をちょんちょんと私の頬に押し当てながら、子犬みたいなやかましさで私の横にしゃがみ込んできます。


「九重? 起きてる?」

「見れば分かるでしょう。読書中でした。貴方が来るまでは」


 無視するのもかえって面倒であることは百も承知なので、ため息混じりに本を畳んで(と言っても正直、内容は頭に入っていませんでしたが)彼女へと視線を向けます。

 するとこれを「構ってくれる」と取ったのか、四月さんはぱあっと表情を明るくしながら私にこう告げました。


「九重、九重」

「だからなんですか。用件は」

「お誕生日、おめでとう!」

「…………はい?」


 目をぱちくりさせている私に、彼女も不思議そうに首を傾げる。


「え、だから、お誕生日。九重の」

「……ああ、製造日ですか」

「製造日、じゃなくてお誕生日!」

「……はぁ」


 そのこだわりどころはよく分からないですが、ひとまず呑み込むことにしつつ……私は「それで」と続けます。


「なにが、めでたいというんですか」

「え? だから、お誕生が」

「……そんなもの、めでたくも何ともないでしょう」


 吐き捨てるように呟いて、私は小さくため息をついた。


「私たちは兵器です。……ただ戦って、人を殺して、そしてそう遠くないうちに死ぬ、それだけのもの。そんなものが生み出されたことを、誰が祝福するって言うんですか」


 思わず湧いて出た、殴りつけるような言葉。それは――私の本心でした。

 私たちは、兵器でしかない。聖痕症候群によって、生まれながらに短い命を宿命づけられた使い捨ての兵器。

 そんなものが造られ、あるいは壊れたところで。そんなことで一喜一憂する者など、誰一人――


「私は、祝福するよ」


 そんな私の思考を引き裂くように、四月さんの涼やかな声が刺さって。

 はっとして見返した私に――彼女はふんわりとした、いつも通りの笑顔を浮かべてみせました。


「私は、九重が生まれてきてくれてよかったって思う。もちろん九重だけじゃなくて、他の子たちも、みんな」

「……どうして」

「だって、みんなといると――楽しいもの」


 あっけらかんと、そう言ってのける四月さんに私は思わず脱力しかけます。

 ……最年長組だというのに、下の子たちよりも子供っぽいんじゃないでしょうか。

 言い争う気力もなくなってきた私に、彼女は「もちろん」と続ける。


「嫌なことも、辛いことも、いっぱいあるのは――否定はしないよ。けどね、それでも私は、少なくとも私は、生まれてきてよかったって、思えるようになった・・・・・・・・・から。だから……きっと九重にも、そう思える時が来る。だからいつか来るそんな日のために――お誕生日を、お祝いするんだよ。……なーんて、管理官コントロールさんからの受け売りなんだけどね、半分くらい」

「管理官?」


 意外な名前が出てきて、私は首を傾げる。管理官といえば、この箱庭の管理者――普段は表に出て来ない、謎の人物だ。


「一年か、二年か前かな。まだ私が姉妹のなかで一番年下だったくらいの頃にね、言われたの。自分の誕生日はきちんと覚えて、他の人の誕生日は祝ってあげるようにしなさいって」

「……発案は、てっきり貴方か、そうでなければ変人の三次みつぎ姉さんかお祭り好きの七奈那なななさんが言い出したのかと」

「まあ、三次ちゃんが盛り上がってたのは当たり」


 くすりと笑いながら、四月さんはどこか懐かしげな表情でこう続ける。


「その時にさ、私も今の九重と同じことを言って。それで、管理官さんは言ってくれたんだ。『誰が否定しても、僕は君たちが生まれたことを祝福している』って。……初めて会ったのに、なんでそんなこと言うのかなって思ったけど。だけど――不思議と、そう言われて安心したのを今でも覚えてる」

「だから、同じようにしようと?」

「そういうこと」


 九重は頭がいいなぁ、と楽しそうに笑う四月さんに、私は何度目か分からないため息をつく。

 ……まったく。子供みたいなことを言ったかと思うと、急にお姉さんぶるんですから。

 それから少しだけ俯いて――私はそのまま視線は合わせずに、


「四月、姉さん」

「何?」

「ありがとう、ございます。納得したわけではないですが、一応」

「うん。おめでとう、九重」


 言われるたびに、なんともむず痒い気持ちになる。

 だから私は仕返しとばかりに、顔を上げて彼女にこう言い返してやりました。


「四月姉さん。姉さんの誕生日は、いつでしたっけ」

「ええとね、聞いてびっくり。なんと名前と同じで四月なんです。凄いでしょう」


 何が凄いのか分からないがそう胸を張ってみせる四月さんに、私は少しだけ照れくささを感じながら続けます。


「なら、その時。私がきっと、貴方の誕生日を……お祝いしてやりますから。覚悟してください」


 そんな私の言葉に、ここで四月さんは初めて驚いた顔をして。

 それから嬉しそうな、はにかむような笑顔を浮かべながら「うん」と大きく頷いてくれました。


「待ってるね、九重」


 ――これは、夢。

 すでに通り過ぎた、過去の記憶の残滓。

 だから私は知っている。私は結局、その約束を果たせなかったことを。

 あの人は……次の誕生日よりも前に、逝ってしまったから。


 だけど、それでも。

 あの人は私が生まれたことを、祝福してくれた。その記憶だけはずっと、私の中にある。

 それだけじゃない。八刀さんも、先生も。他の子たちも――みんなが、私がここにいていいのだと教えてくれる。


 だから。

たとえ世界中がみんな、私たちのことを嫌ったとしても。うとましく思ったとしても。

 私はもう、生まれたことを呪わずにいられるんだ。

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