第111話 何もない少女

 魔族の代表、サテュロスの話によれば北の大地は障気で出来た雪が絶えず降り注がれていると言っていた。


 魔族は種族毎に地下シェルターで暮らし、日々汚染に怯えてるのだという。


 本来なら、俺の闘気を魔道具で拡散させながら障気を中和していく予定だった。

 ここで嬉しい誤算が起きた。それは、俺の闘気が世界に還らなくなったことだ。


 これにより、俺の闘気を宿した魔石を持ち歩くことで、常人でも北の大地での活動が可能になったのだ。


 魔石無しで北の大地に行けば、灰色の尖兵に変貌してしまう。それ故に今は1日8時間、ひたすら魔石に闘気を込める作業をしている。


 ──ガチャ。


「兄さん、ちょっと良いですか?」


 王宮の研究室で作業を行う俺の元へ雪奈がやってきた。あと30分で上がりだからそのくらいは構わないだろう。


 今日の作業を終えて雪奈のところへ行った。


「うし! 今日はもう終わりだ、帰るか」


「では歩きながらで」


 廊下に出て、歩きながら話をする。


「それで、何かあったのか?」


「リタちゃんが目を覚ましました」


「時間も時間だしな……明日会いに行ってみるか」


「今からでも会えますよ? その為に少し早く呼びに来たのですから」


「そういうことなら今から行こうか」


「兄さん、驚かないで下さいね?」


 雪奈は浮かない顔で俺に問いかけた。問題が起きてる、そういうことか。


「無茶な助け方をしたんだ、覚悟はしてるよ」


「ではこちらへ」


 リタは騎士の宿舎から王宮に移されていた。より本格的な治療を行うためだ。


 ドアを開けて中に入る。少し豪華だが、ここでは至って普通の部屋、ベッドの上で体を起こして外を眺めるリタがいた。


「……リタ」


 呼ばれて振り返ったリタは大人の顔だったが、完全に人間に戻っていた。


「あの……どちら様でしょうか?」


「……え?」


「ごめんなさい、私……記憶が無いらしくて、あなたのことがわからないのです」


 後ろに立つ雪奈が俺の袖をぎゅっと握っている。


「雪奈、俺は大丈夫だ。ゲスなことを言うかもしれないが、ある意味ではこれが最善なのかもしれない」


 リタの罪も、俺の罪も、記憶と共に失われてしまった。だが、これはワンの願いを叶えたと言えるのだろうか? この子の体は間違いなく生まれ変わっている、その上で記憶や意思も消えたらリタだと言えるのだろうか?


「私は外で待ってますね」


 雪奈はそう言って部屋の外へ出ていった。2人っきりの時間を作ってくれたのだろう。


「俺の名前は拓真、覚えているか?」


「いえ……すみません」


「話しておきたいことがあるんだ。君のことを想っていた人の言葉だ。それは君の父親だ、彼はもういないが彼が何を思っていたかは伝えておきたいんだ」


「わかりました、お父さんは……何を?」


 割りと核心に近い言葉を出しても痛む様子もない、もしかすると完全に消え去ったのかもしれない。


「君はお父さんと共に戦争に参加していた。だけどそれはお父さんの不本意で、決戦直前に君は主力から外されて近くの村に置き去りにされたんだ」


「私がここにいるのは、やっぱり追いかけたから、なのですね?」


「だがそれは間違いだった。彼自信も言葉が足りなかったのかもしれん。部隊が全滅するとわかってて娘を参加させる父親なんていないさ。置いていったのは、誰も知り合いのいない辺境で密かに生きてほしかったからだと思う」


 リタは胸に手を当てて俺の言葉を飲み込んでいる。


「あなたはとても辛そうに見えます。話の内容から、本当は聞かせるべきではないです。ですがそれを敢えて聞かせた、思い出すかもしれないのに……重いものを託された、そういうことでしょうか?」


「俺の罪悪感、もあるかもしれん。ただ、何も知らずに彼のことを無かったことにするのはフェアじゃない気がするんだ」


「複雑なんですね。では、あなたは私にどうして欲しいですか?」


「父親が君のことを大切にしていたことを、忘れないでほしい。そして願わくば……思い出さないで欲しい」


 何もない少女は真剣な表情でこちらを向いた。


「承りました。これからは新たな人生を歩みます」


「助かる。じゃあ俺は行くよ……また会いに来るから」


 背を向けて部屋を出ようとすると、リタが俺を呼び止めた。


「伝えてくれてありがとうございます。それと──あなたのこと、赦します」


 返事をせずに部屋を出た。記憶が無いはずなのに、とても大きく成長した感じがする。しかも赦されて胸が熱くなってしまった。


 でも、それでも俺は親子のことを忘れないでいようと思ったんだ。

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