39. 白

「そこまでですよ」


 視界を横切る白い影。


 ふつ、ふつ、と幽気が切れる。


 飛んできたのはばちだった。


 ぽろろろん、と琵琶の音がする。


「よくがんばったです。感心感心」


 現れたのは、幼い女の子だった。


 わたしよりだいぶ背が低い。着ているのはセーラー服で、髪は金髪で、肌が黒くて……。


「姫神さま!?」


「はい、姫神さまですよ」


「どうしてここに? っていうか何かちっちゃい!」


「辺津宮ではこの姿なのです」


 ぽろろろんと、姫神さまが琵琶を爪弾く。


 すると。黒づくめが身にまとっていた幽気が解れていく。

 あたりに立ちこめていた幽気も、すうっと薄くなっていく。


 黒づくめが二歩、三歩と後じさる。


「よくもうちの子たちに好き勝手してくれやがったですね」


 姫神さまは振りかぶり……琵琶で思いきりなぐりつけた!


 黒づくめがふっとんでいく。


 そして夕暮れの暗がりに溶けて消えていった。


「琵琶って、そういう使い方する祭具なんですか?」


「んなわけないです。ムカついたのでついやっちゃったですよ。どうしようです」


 姫神さまは、泣きそうな顔をしながら、真っ二つに折れた琵琶を持ち上げた。


「いや、そんなことよりニオちゃんですよ」


「そうだ!」


 髪の毛が真っ白になったニオが、道の上でぐったりと眠っている。


 ニオの口もとに頬を近づけ、胸には手のひらをつける。

 ……呼吸はあるし、脈ももだいじょうぶ。


「……ん」


 そうこうしているうちに、のどかが目を覚ました。


「えっと、黒づくめは? ニオは?」


 のどかは立ち上がったが、頭を押さえてふらふらしている。


「もうだいじょうぶ。黒づくめは消えたし、ニオは平気。まだ気を失ってるけど、」


「いやああああ!」


 背後から叫び声が聞こえた。


 ニオだ。


 振りかえる。ニオは白くなった髪をつかみ、かき集めている。


「いや! 見ないで、見ないで!」


「ニオ、」


 わたしが近づくと、ニオは「やだ! いや!」と、がむしゃらに手を振りまわした。


 ニオの手がわたしのほほにあたる。ぴっと切れる感触。爪があたったみたい。


 ニオが振りまわす手をかいくぐり、そっと頭を抱く。


「ニオ、だいじょうぶだよ。誰も見てないから。のどかは見てないから」


 ちらりと視線を向ける。

 のどかは小さくうなずき、背中を向けた。


「やだよ、こんなの、白髪で、おばあちゃんで、もうすぐ死んじゃって、わたし、わたし、」


 ニオがわたしの体に手を回す。背中に爪が食いこむ。


「だいじょうぶ。ニオはおばあちゃんなんかじゃないよ。ニオかわいい。超かわいい」


「しずかちゃん、これを」


 姫神さまがキャスケットを差しだしてくる。ニオのだ。さっきの騒ぎで吹っとんでいたのを拾ってくれたらしい。


 抱きついているニオをそのままに、わたしは半ば無理やりニオの髪をキャスケットに押し込んだ。

 髪、ぐしゃぐしゃになっちゃうけど、ごめんね。


「ほら、もうだいじょうぶ。全部入ったよ」


「……はい、った?」


「うん。これなら誰にも見えないよ。のどかにも、わたしにも見えないよ。ニオは帽子似合うよね。めちゃくちゃかわいいよ」


「……」


 ニオが静かになる。


 赤ちゃんのように、ニオはわたしに抱きついたまま眠りに落ちた。


 キャスケットをそっとなでる。


「よくがんばったね、ニオ」


 道の向こうから、みちるさんが走ってくるのが見える。


 いつの間にか日は暮れて、道のわきでは電灯が光っていた。

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